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レヴァンドフスキ、ロッベン…21世紀ブンデスリーガ最高の選手ベスト25

過去25年間、ブンデスリーガが一方的な競争であったことは周知の事実である。バイエルン・ミュンヘンは17回という驚異的なタイトル獲得回数を誇り、そのうち2012年から2023年までは連続優勝を果たしている。そのため、新シーズンに入るたびに自動的に優勝候補として扱われる。

このような一強状態は、ヨーロッパの他の4つの主要リーグでは見られないものであり、そのため、ブンデスリーガは一部の層で最も弱いリーグとして書き捨てられている。バイエルンは常に最高の選手を抱えているが、その多くは、バイエルンの財政力に対抗できない国内のライバルから加入することが多い。アリアンツ・アレーナは、ドイツでプレーする選手たちにとっての最高の目的地とされており、それが変わることはおそらくないだろう。

しかし、だからと言ってバイエルンがブンデスリーガで唯一の偉大なクラブであるというわけではなく、全盛期のスーパースターを擁する唯一のクラブでもない。

ボルシア・ドルトムントは2000年代に入ってから3回マイスターシャーレを掲げており、レヴァークーゼン、ヴォルフスブルク、シュトゥットガルト、ヴェルダー・ブレーメンもそれぞれ1回ずつ成功を収めている。バイエルンが常にすべてを思い通りにしてきたわけではなく、彼らの失墜を誘発した数少ない選手たちには、たちまち英雄的な地位が与えられた。

では、それらの選手のうち何人がGOALの21世紀のブンデスリーガのベスト25のリストに入っているだろうか。ランキングの上位はバイエルンの最高の選手で占められてしまうのだろうか。すべてが以下で明らかとなる。

  • Bayern Munich's Brazilian defender LucioDDP

    25ルシオ

    ルシオは弱点のない屈強なセンターバックだった。大柄なわりに敏捷で、無限のスタミナを持ち、守備から疾走する姿(そこから「馬」というニックネームがつけられた)は圧倒的だった。2001年1月、レヴァークーゼンがインテル・ナシオナルから彼を引き抜き、ヨーロッパで自身を証明する舞台を提供した。たちまち彼はすべてを制するリーダーとなり、チームを驚きのブンデスリーガ4位に導いた。バイアレーナでの最初のフルシーズンはさらに印象的で、レヴァークーゼンはもう少しであらゆる栄冠を勝ち取るところだった。

    この元ブラジル代表は、チャンピオンズリーグの決勝で強烈なヘディングを決めたが、レヴァークーゼンはレアル・マドリーに敗れ、さらにDFBポカールとブンデスリーガも準優勝に終わった。ルシオは2004年までレヴァークーゼンに忠誠を尽くしたが、バイエルンの魅力を無視することはできず、新しいクラブでのデビューシーズンに国内三冠を達成した。

    ルシオはさらに2度のリーグ優勝を果たし、元バイエルン監督のフェリックス・マガトから「すべての面で絶対的に優れている」と評された。ルシオは敵からボールを奪えるDFとして歴代有数の選手であり、彼のキャリアの絶頂期を目撃したブンデスリーガの観客は幸運であった。

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    24マリオ・ゴメス

    ゴメスは圧倒的な技術の持ち主ではなく、運動量もしばしば疑問視されたが、ボックス内では鋭い本能を持つ特異なストライカーであったことは間違いない。どちらの足でもシュートを決めることができ、空中戦も卓越していたためターゲットマンとしても成功した。

    バイエルンは2009年から2013年にかけて彼のスキルを大いに活用し、ゴメスは4つの国内タイトルとチャンピオンズリーグの優勝メダルを獲得。その間に113得点を決めた。しかし、ゴメスのキャリアで最も満足のいく勝利は、2006-07シーズンに無名のシュトゥットガルトのチームで獲得したブンデスリーガの優勝だったに違いない。

    25試合で14得点を決めてシュトゥットガルトの優勝に貢献し、2018年に再び加入した際には英雄として迎えられた。ゴメスはヴォルフスブルクでの短いながらも生産的な期間を楽しみ、ブンデスリーガで通算170得点ものゴールを決めてキャリアを締めくくった。

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    23マリオ・ゲッツェ

    フランツ・ベッケンバウアーに「ドイツのメッシ」と呼ばれて有名になったゲッツェは、ボルシア・ドルトムントで17歳でトップチームデビューを果たし、急速に頭角を現した。ユルゲン・クロップの下でのBVBのブンデスリーガ連覇において中心的な役割を果たし、その完璧な技術で際立っていた。

    ゲッツェは両ウイング、セントラルMF、もしくは偽9番としてプレーでき、その軽快な足さばきと鋭いパスはしばしばサポーターを驚嘆させた。2013年の夏にバイエルンが3,700万ユーロ(約60億円)のリリース条項を発動させ、ドイツ人選手としては当時の最高額で彼を獲得した。アリアンツ・アリーナでのデビューシーズンで15得点を記録している。

    しかしバイエルンでは、ゲッツェの本来の実力が一貫して発揮されることはほとんどなかった。若いうちから深刻な身体の衰えに直面したゲッツェは、バイエルンからドルトムントに売却されたが、そこでもベスト・コンディションを取り戻すことができなかった。現在32歳のゲッツェはアイントラハト・フランクフルトでプレーしており、自身のスタイルをうまく適応させて高いレベルを維持し続け、2022-23シーズンにはチームのDFBポカール決勝進出に貢献して6試合で5アシストを記録した。

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    22エディン・ジェコ

    ジェコは、マンチェスター・シティに所属しプレミアリーグで活躍したことが最もよく知られているが、ローマ、インテル、フェネルバフチェなどでも強力な得点力の持ち主として知られていた。しかし、彼が名声を築いたのは、ヴォルフスブルクのフォルクスワーゲン・アリーナでのことだった。

    ボスニア・ヘルツェゴビナ代表のエースであるジェコは、「狼」の愛称で知られるヴォルフスブルクのために4シーズンで85得点を決めたが、特に2008-09シーズンの歴史的なシーズンで26得点を記録した。この年、ヴォルフスブルクは初のブンデスリーガ優勝を果たしたが、ジェコはブラジルのストライカー、グラフィッチと素晴らしいコンビを築き、ホームでバイエルンを5-1と粉砕した試合では両選手が2得点ずつ決めている。

    ジェコは翌シーズンも得点王を獲得し、2度ブンデスリーガの年間ベストイレブンに選ばれた。生まれ持った能力とコンディションがかみ合った時のジェコは誰にも止めることができず、ヴォルフスブルクにとって重要な資産となり、チェコのテプリツェからの当初の移籍金400万ユーロ(約6億5400万円)での加入が世紀の大安売りのひとつだったことが証明された。

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    21アイウトン

    アイウトンはキャリアの最初の5年間を南米で過ごし、1998年にヴェルダー・ブレーメンに加入した。ドイツのトップリーグのレベルに適応するのに少し時間がかかったが、2000年代に入ると新たな高みに達し、ブレーメンの得点とアシストの主軸となった。

    このがっしりした体格のブラジル出身選手は、2003-04シーズンに全公式戦で34得点を決めたが、そのうち28得点はブンデスリーガでの得点だった。ヴォルフスブルクはアイウトンの素晴らしいパフォーマンスに支えられて初めて二冠を達成し、アイウトンは外国籍選手として初めて、ドイツの年間最優秀選手賞を受賞した。

    その後、シャルケが興味を示し、アイウトンはヴェルトリンス・アレーナで44試合に出場して20得点を決め、その伝説をさらに高めた。アイウトンは最高レベルに長くとどまるための身体のケアを充分にはしていなかったが、全盛期には素早く冷徹なストライカーであり、常に観客を魅了するエンターテイナーだった。

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    20ジャマル・ムシアラ

    2019年、ジャマル・ムシアラがチェルシーを去って家族と共にミュンヘンに加入したとき、バイエルンは宝石を手に入れたことをわかってはいたが、彼がどれほど早く注目を浴びるようになるかを想像することはほとんどできていなかった。ムシアラは、2020年6月に17歳115日でブンデスリーガでのデビューを果たしてバイエルンでの最年少リーグ出場選手となり、2020-21シーズンの開幕戦でシャルケ相手に得点してバイエルンでの最年少得点者となった。

    これらの記録破りの偉業により、大きなスポットライトをが当たったが、ムシアラはプレッシャーに対応できる、年齢に見合わぬ成熟さを発揮した。ムシアラの飛躍のシーズンは2022-23シーズンで、全公式戦47試合で32得点に関与した。複数の異なるポジションでプレーしつつ、前線でも活躍した。

    この俊足のドイツ代表は、ライン間で混乱を引き起こし、アタッキングサードで判断を間違うことがほとんどない。まだ21歳だが、決定的なパスやめくるめく走りで守備を崩すことが期待されている。このままの軌道で成長していけば、元チェルシーの若手スターは本物のバロンドール候補者になれるだろう。

  • Portrait of Giovane ElberGetty Images Sport

    19ジオバネ・エウベル

    ジオバネ・エウベルは、3年間シュトゥットガルトで目覚ましい活躍をした後、ブンデスリーガで実力が認められた存在として1997年にバイエルンに加入。この元ブラジル代表は、世界最大のクラブのひとつへのステップアップにも臆することなく、不思議な力を持った魅力的な人物であった。

    バイエルンはエウベルの在籍期間中に7つのトロフィーを獲得したが、そのうち5つは世紀が変わってからのものだった。エウベルは2001年のチャンピオンズリーグ準決勝で、レアル・マドリー相手に2試合とも得点を決め、ヒーローとなった。バイエルンでの最後のシーズンである2002-03シーズンに再び国内二冠に貢献し、ブンデスリーガで21得点を決めて得点王としての地位を確固たるものとして、スターとしての地位をより確実なものにしたのだった。

    エウベルはボールを足元でしっかりとキープすることができ、スピード感あふれる冷徹なストライカーだった。バイエルンの元ゼネラルマネージャー、ウリ・ヘーネスは彼のクラブへの影響を次のように完璧に表現した。「彼は素晴らしい男だ。いい意味でのずる賢さを持つスーパーマンだ。彼を知る人はみな彼を好きになる」。

  • Bayer 04 Leverkusen v VfB Stuttgart - BundesligaGetty Images Sport

    18フロリアン・ヴィルツ

    ヴィルツはレヴァークーゼンのトップチームでの最初の3年間は好調だったが、2002年3月に前十字靭帯を損傷した後はなかなか成長できず、10カ月間控えにまわることとなった。そんな打撃を受けたMFが、以前より良い肉体および精神状態で戻ってくると予想した人は少なかっただろう。だが、ヴィルツはまさにそれを成し遂げ、クラブ史上最も成功したシーズンにおいて、シャビ・アロンソの最も貴重な財産として復活した。

    レヴァークーゼンは無敗でブンデスリーガのタイトルを獲得し、DFBポカールを制覇し、さらにヨーロッパリーグの決勝に進出したが、その過程でヴィルツは38得点に貢献した。DFをかわし、20m以上離れたところからゴールの隅を狙い撃ちし、チームメイトに完璧なパスを送って、自らの力で試合を決定できる才能を持っている。

    21歳のヴィルツは、ボールを受けた瞬間に反転して即座に効果的にプレーすることができ、他の凡人では気づかないピッチ上のスペースを見つけることができる。2024-25シーズンのレヴァークーゼンは、やや調子を落としているが、ヴィルツのレベルは変わっておらず、来年の夏にはヨーロッパのトップクラブが彼と契約しようと列をなすのは間違いないだろう。

  • FBL-GER-BUNDESLIGA-HERTHA BERLIN-BAYERN MUNICHAFP

    17トニ・クロース

    トニ・クロースと言えば、主にレアル・マドリーの伝説として記憶されることだろう。6度のチャンピオンズリーグ制覇を誇るクロースだが、そのうちの5回はサンティアゴ・ベルナベウにいる間に獲得している。ただし、彼を作ったのはバイエルンだ。17歳でバイエルンの舞台に立つと、ブンデスリーガのデビュー戦に途中出場して2つのアシストを記録し、全公式戦で20試合に出場して初めてのシーズンを終えた。

    しかし、その後レギュラーになることはかなわず、2009-2010シーズンにバイエルンは彼をレヴァークーゼンにレンタル移籍させ、クロースは当時そこで監督をしていたハインケスの下でプレーすることとなった。クロースの潜在能力はそこで完全に引き出され、2011年にバイエルンに復帰すると、たちまちチームの司令塔という重要な役割を与えられた。

    驚くべきことに、バイエルンは2011-12シーズンにブンデスリーガ、DFBポカール、チャンピオンズリーグのすべてで準優勝を果たし、翌シーズンには3つの大会すべてで優勝を果たしたが、その成功を支えたのがクロースの輝きだった。

    その当時、純粋なサッカー脳と技術の質の高さにおいて、クロースに匹敵する者はいなかった。バイエルン・ミュンヘンでも監督をしたハインケスの退任後、監督としてクロースと仕事をするチャンスを得たグアルディオラもそう語っている。

  • Bayern Munich's striker Miroslav Klose (DDP

    16ミロスラフ・クローゼ

    クローゼは国際試合で永遠に語り継がれるレガシーを残し、ドイツの歴代最多得点者となり、ワールドカップの最多得点記録(16得点)を樹立した。クラブレベルでは同じような絶大な影響を与えることはなかったものの、ブンデスリーガやチャンピオンズリーグで常に相手DFを恐怖に陥れていた。

    遅咲きのクローゼは、FCホンブルクでキャリアをスタートさせたものの、カイザースラウテルンに移籍して22歳になるまでトップリーグで初ゴールを挙げることができなかった。しかし、フリッツ・ヴァルター・シュタディオンでの4年間が終わるまでに、52得点を記録することとなる。2004年にヴェルダー・ブレーメンに移籍した後はさらに多くの得点を決め、132試合で63得点を挙げた。

    これらの実績により、クローゼはバイエルンに引き抜かれることとなり、主にゴメスやルカ・トーニの代役となるストライカーとして起用されたが、それでも53得点を決め、さらに27アシストを記録した。クローゼは賢いストライカーであり、ペナルティエリア内のタイミングが完璧で、ボールキープも見事だった。彼の最高のパフォーマンスはドイツ代表で発揮されたかもしれないが、それでもクローゼはブンデスリーガの伝説として記憶されるべき選手である。

  • Bayern Munich's Peruvian striker ClaudioAFP

    15クラウディオ・ピサーロ

    クラウディオ・ピサーロは、2001年から2007年までのバイエルン在籍時に、史上最高の選手であるミュラーにあやかって「アンデスの爆撃機」と呼ばれた。この元ペルー代表のストライカーは、その6シーズンで101得点を記録し、外国籍選手としてブンデスリーガ史上最多得点者となった。

    ゴール前での鋭敏さを持ちながらも、味方との連携プレーも素晴らしかった真のセンターフォワードで、身体的にも圧倒的な存在感を誇り、DFに悪夢をもたらす選手だった。ロッカールームでも人気があり、2012年にアリアンツ・アレーナに再び彼を迎えるチャンスが来ると、バイエルンはそれを逃さなかった。

    ピサーロは当初1年間の契約を結んだが、すぐに延長され、チャンピオンズリーグのグループステージでのリールとの試合で、33分間でハットトリックを決めるなどして、その才能を発揮した。2012-13シーズンにバイエルンが三冠を達成した際には、21得点に関与してファンの人気をさらに高めた。「彼は私が見た中で最も才能のある選手のひとりだった」と、バイエルン・ミュンヘンの元キャプテン、フィリップ・ラームはピサーロがクラブに与えた影響について語っている。「素晴らしく、輝かしいサッカー選手で、彼と一緒にプレーできたことは喜びだった」。

    ピサーロは、ヴェルダー・ブレーメンに3度在籍することとなるが、そこでもさらに153得点を挙げ、2008-09シーズンのDFBポカール優勝までの5試合で4得点するなどの貢献をした。

  • JOSHUA KIMMICH BAYERN MÜNCHENGetty Images

    14ヨズア・キミッヒ

    ヨズア・キミッヒは、サッカー界でカメレオンのような存在である。ほとんどすべての守備や攻撃の役割をこなすことができ、その働きぶりが完璧なせいで、しばしば目立たない存在になっているのだ。バイエルンは彼がトップチームに台頭して以来、このドイツ代表選手のユニークな才能を完璧に育て上げ、年ごとに彼に託す責任を多くしていったが、キミッヒがそれを拒むことは決してなかった。

    フリックは2021年にキミッヒが「世界で最も優れた選手」になる可能性があるとさえ示唆したが、キミッヒがその評価に完全には応えられていないとしても、他のどの選手よりもバイエルンのシステムに欠かせない存在であると言っても過言ではない。キミッヒは決して止まらないエンジンを持っており、その配球技術は非常に貴重である。

    バイエルンは現在、キミッヒを失うリスクに直面している。契約が来年の夏に満了する予定なのだ。彼の後任を探すことは不可能な課題となるだろう。ニュースの見出しを飾ることはあまりないとしても、キミッヒは過去10年間にわたってバイエルンがドイツサッカーを支配する基盤を築くのに貢献してきている。

  • FBL-EUR-C1-PSG-BAYERN MUNICHAFP

    13チアゴ・アルカンタラ

    2013年にバイエルンの監督に就任したグアルディオラの最初の仕事のひとつは、チアゴ・アルカンタラをバルセロナからドイツに連れてくることだった。バイエルンがこの元スペイン代表を2,500万ユーロ(約41億円)で獲得したことは大きな成功となり、アルカンタラは最終的に、バルサの象徴的なデュオであるチャビとアンドレス・イニエスタの影から抜け出して、自分こそサッカー界最高のMFのひとりであることを証明した。

    チアゴはグアルディオラの下でバイエルンの心臓部となり、自身のパスで試合のペースをコントロールできる、巧妙なボールさばきの達人であった。敵のプレーを分断するのが得意で、どんなプレスにも負けることなく相手を退却させた。彼の才能のおかげで、バイエルンは大抵の場合、試合の最初から最後までボールを支配をすることができた。

    グアルディオラが最終的にマンチェスター・シティに移っても、チアゴには影響がなかった。元バルセロナのスターは、カルロ・アンチェロッティやニコ・コヴァチの下でも輝き続け、後者は彼を「コーチの夢」と表現し、フリックの下でのバイエルンの三冠達成に不可欠な存在となった。そのシーズン終了後、バイエルンはリヴァプールからチアゴを遠ざけるためにもっと努力すべきだったかもしれない。その後は一度もチャンピオンズリーグ決勝に到達できていないのだから。

  • Oliver KahnGetty Images Sport

    12オリバー・カーン

    オリバー・カーンは、バイエルンでの最後の8年間で、ドイツだけでなく、世界で最高のGKとしての地位を確立した。2000年から2008年の間に6回のブンデスリーガ優勝とチャンピオンズリーグ優勝を果たし、その間に2度バロンドール投票で3位に入り、「キング・カーン」という称号を得た。

    カーンが絶頂期にあるときのバイエルンは、まるで突破不可能な壁のようだった。卓越した才能を持つこの元ドイツ代表GKは、あたかも将軍のようにゴールエリアを統率し、その勇気と技術でチームメイトに素晴らしい手本を示した。

    優れたシュートストッパーであるだけでなく、1対1の状況で優れ、その稲妻のような反射神経でバイエルンを何度も救った。38歳で引退する日までバイエルンの揺るぎない背番号1であり、クラブの決して諦めない姿勢の体現者であった。

  • Mats Hummels Dortmund 06012024(C)Getty Images

    11マッツ・フンメルス

    フンメルスはバイエルンのアカデミーを卒業後、2009年にドルトムントに加入し、それからの7年間、BVBが、少年時代のクラブであるバイエルンとドイツサッカー界の覇権を争うのに貢献した。その間、BVBは5つのトロフィーを獲得し、フンメルスは、2012年のDFBポカール決勝でバイエルン相手に5-2で勝利した試合でゴールも決めている。

    2016年、バイエルンはフンメルスを呼び戻すことを優先し、最終的にドルトムントと3,000万ポンド(約60億円)と報じられた契約に合意した。フンメルスはアリアンツ・アレーナでも活躍し、自身のブンデスリーガ優勝回数を5に伸ばした。2018-19シーズンの終わりには衰えが見え始めたように思われたが、それでもBVBは彼を宿敵から再び獲得するチャンスをつかみ、これは結果的に大成功となった。

    フンメルスは、ドルトムントが2021年のDFBポカールを制した際の支柱となり、5年ぶりのトロフィーをもたらした。さらに昨シーズンのチャンピオンズリーグでも同様の成果を挙げた。35歳のフンメルスは、BVBがあらゆる予想を覆して決勝まで進む過程で、年齢を感じさせない活躍を見せたのだった。カルロ・アンチェロッティ率いる絶好調のレアル・マドリーに敗れてしまったのは非常に残念なことであり、この、真に技術に優れたDFとして称賛される続けるであろう選手は、唯一、チャンピオンズリーグのタイトルを獲得できないでいる。

  • David Alaba Bayern 10212015Getty

    10ダヴィド・アラバ

    「ダヴィド・アラバは我々の神だ」。2014-15シーズン開幕時、グアルディオラは、このオーストリア代表選手をいくつかの異なるポジションで起用した後、こう言った。アラバは左サイドバック、左ウイング、そしてセントラルMFとして、バイエルンでトップクラスのパフォーマンスを発揮する能力を充分に持っていたが、真に卓越していたのはセンターバックとしてだった。

    バイエルンは、アラバの積極的なパスとドリブルで前線を突破し、彼の聡明なポジショニングで常にカウンターアタックを迅速に防ぐことができた。アラバは身長180cmで、DFとして最も背が高いというわけではなかったが、それはバイエルンにとって弱点にはならなかった。彼は素晴らしい跳躍力と優れたポジショニングでそれを補っていたのである。

    アリアンツ・アレーナでの11年間で10回のブンデスリーガ優勝と2回のチャンピオンズリーグ制覇を成し遂げたアラバが、2020-21シーズンの終わりに新しいことに挑戦したいと思ったことをクラブの誰も非難できなかった。アラバを獲得したレアル・マドリーは、それ以降バイエルンと同様の成功を享受しているが、彼のキャリアの最盛期はバイエルンに捧げられていた。

  • Munich's Michael Ballack looks on duringDDP

    9ミヒャエル・バラック

    ミヒャエル・バラックは、2001-02シーズンにレヴァークーゼンで歴史的と言っていい活躍をした後、ヨーロッパで最も求められる選手となった。彼は全公式戦で36得点に関与し、その活躍によりレアル・マドリーを含む多くのクラブが彼の獲得を狙ったが、最終的にはバイ・アレーナからアリアンツ・アリーナへの移籍を選んだ。その決断は報われ、バラックはアリアンツ・アリーナで3度のリーグとカップの二冠を果たし、2005-06シーズンに全盛期を迎えた。

    『小皇帝』と呼ばれ親しまれたバラックは、生まれ持ってのカリスマ性と冷静さをはじめとして、全盛期のベッケンバウアーに共通するような多くの特徴を持つ選手だった。粘り強くボールを奪おうとする力を持ち、広いパスレンジと強烈な右足を有するバラックは、バイエルンで多くの長距離シュートを決めた。

    バイエルン在籍中にバラックは2度ドイツの年間最優秀選手に選ばれ、その影響力にふさわしい報酬を受け取った。チャンピオンズリーグでの成功は常にかなわなかったが、バイエルンにいた4年間はクラブで最も安定したパフォーマーであり、長く記憶に残る存在となった。

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    8アリエン・ロッベン

    アリエン・ロッベンは2009年、それ以前に所属していたレアル・マドリーやチェルシーでは散発的にしか輝いていなかったものの、プリマドンナのような評判とともにバイエルンに加入した。ところが、バイエルンはロッベンを精神的に支えるホームとなり、デビューシーズンは23得点を挙げて、ついにロッベンはそれまで彼に欠けていた安定性を手に入れたのだった。

    このまばゆき元オランダ代表は、バイエルンでさらに121得点を積みあげ、2013年、ウェンブリーでボルシア・ドルトムントに勝利した試合では絶好のチャンスに見事な得点を記録。ロッベンが中央のエリアからゴールを決めた滅多にないチャンスのひとつであった。しかし、ロッベンが得意としたのは、右から切りこんで左足を一閃し、カーブをかけたシュートをファーのコーナーに叩きこむシュートだ。

    意図は丸わかりとは言え、あの得意技をロッベンがどれほど頻繁に繰り出し、そのおかげでバイエルンがどれほど多くの試合で優位に立てたかは注目に値する。彼はただの一発屋ではなく、ほとんど全速力で走りながら敵をからかうようなパスを出すことができたし、クラブのためにセットプレーで100回以上のアシストを決めたエキスパートだった。一言で言って、ロッベンはバイエルンの最高の武器であった。

  • Marco Reus Dortmund 2024Getty

    7マルコ・ロイス

    多くの一般のファンは知らないかもしれないが、ロイスはドルトムントのアカデミーで活躍できなかった後、ロート・ヴァイス・アーレンでプロのキャリアを始めた。2009年にボルシア・メンヘングラッドバッハに加入し、すぐにブンデスリーガで最もエキサイティングな選手のひとりという評判を獲得した。ロイスはボルシアMGでの3シーズンで69得点に関与し、ドルトムントは彼を早く放出したことは間違いだったと気づいたのだった。

    2012年夏にドイツの年間最優秀賞を受賞したロイスはドルトムントに復帰し、たちまちクロップの重要な選手のひとりとなった。ロイスが加入した最初のシーズンで、ドルトムントはブンデスリーガとチャンピオンズリーグの二冠達成まであと一歩と迫った。ロイスは19得点を挙げたが、バイエルンの前にいずれの大会も準優勝で終わった。

    その後の11年間、ロイスの苦難は続いた。BVBは2022-23シーズンの最終日にブンデスリーガ優勝を逃し、昨シーズンまたしてもチャンピオンズリーグの栄光を逃した。前十字靭帯の断裂を含む多くのケガと戦い続けたロイスは、ドルトムントでのキャリアの大部分で調子を出すことができなかった。

    しかし、これらの挫折ゆえに、ロイスの成功はより見事なものとなり、クラブで2度のDFBポカール優勝と、429試合で301得点に貢献した。運が良ければ、ロイスはこのリストのトップ5に確実に入っていただろう。彼は才能ある攻撃的MFであり、生まれついてのリーダーであり、この夏のMLSへの移籍前にドルトムントが彼に贈った感動的な送別会に値する選手であった。

  • SchweinsteigerGetty Images

    6バスティアン・シュバインシュタイガー

    バスティアン・シュバインシュタイガーは、13年にわたってバイエルン・ミュンヘンの象徴だった。最初はウイングとして名を成し、その敏捷性とテクニカルな才能で際立っていたが、徐々にオールラウンドなセントラルMFに進化した。彼のポテンシャルがボックス・トゥ・ボックスの役割に合っていることを見抜いた最初の監督はルイ・ファン・ハールだった。

    シュバインシュタイガーはポジションを変更した後、バイエルンを新たなレベルへと導いた。滑らかなパスで試合のテンポを主導し、予測力を駆使して危険な攻撃を次々と阻止した。力強くありながら卓越した優雅さを持ち、凡人とは違った視点で試合を見ていた選手であった。

    バイエルンが2012年のチャンピオンズリーグ決勝でチェルシーに敗北した際にPKをミスし、そのキャリアは別の道を辿る可能性があったが、彼には揺るぎないメンタリティも備わっていた。その挫折から復活し、バイエルンの三冠獲得を先導したシュバインシュタイガーは、2015年にマンチェスター・ユナイテッドへ移籍するまでにファンから『フースバル・ゴット』(サッカーの神)の称号を授けられた。彼にとってこれ以上に的確なニックネームはないだろう。

  • Philipp Lahm Bayern MunichGetty

    5フィリップ・ラーム

    フィリップ・ラームは、ピッチに立った最高の右サイドバックとして記憶されるべき存在であり、彼の身体にはバイエルンの血が流れていた。11歳のときにクラブのアカデミーに加入し、22年間をバイエルンで過ごした。その間、8度のブンデスリーガ優勝を含む21もの主要タイトルを獲得した。

    グアルディオラはラームを「今まで指導した中で最も知的な選手」と評した。この元監督はアリアンツにいた間に右サイドバックを再活性化したが、ラームは、その際サイドバックからコンバートされて起用された最初の選手のひとりだった。ラームは中盤に配置されれば常に堂々としていたが、彼が最も危険だったのは右サイドをオーバーラップする時だった。彼の精巧な配球はしばしばバイエルンの前線でのゴールにつながった。

    ラームは小柄だが驚くほどパワフルで、攻撃でも守備でも活躍したが、その回復力もしばしば超人的だった。2011年にマルク・ファン・ボメルが退団してバイエルンのキャプテンとなり、ますます成功への意欲が増したラームのことを、このDFが最終的に2017年に引退した後でショルはこう言っている――「君がプレーしたすべての試合の75%で君は実に素晴らしかった。残りの25%で君はワールドクラスだった」。

  • neuer(C)Getty Images

    4マヌエル・ノイアー

    「スイーパー・キーパー」という言葉を聞いて、真っ先に思い浮かぶのはマヌエル・ノイアーである。彼以前にもペナルティーエリアの外でプレーするゴールキーパーはいたが、シャルケから2011年にバイエルンへ加入したノイアーはそうしたプレーを完璧に行い、ゆるぎない自信をもって危険を嗅ぎ分け、11人目のフィールドプレーヤーとなっていた。

    ノイアーならMFとしてもプレーできたかもしれない。苦もなく40~45mの長距離パスを通し、早急な対処を求められても完璧な落ち着きを見せていた。この長身のドイツ代表GKはゴールを防いだのみならず、バイエルンの得点にも貢献し、長きにわたって、およそどんな相手に対してもチームを優位な立場に導いた。

    ここ数年、ノイアーの力は衰え始めてはいるが、まもなく40歳になる選手としては当然のことだ。全盛期には完璧なオールラウンドGKだった。しばしば理屈では考えられないシュート・ストップを見せ、他のバイエルンのDF陣に自信に満ちた姿を見せていた。チーム全体への影響に関しては、カーンをも上回っている。

  • Franck Ribery Bayern Munich Borussia Dortmund Supercopa Alemana 05082017Martin Rose/Bongarts/Getty Images

    3フランク・リベリ

    バイエルンのフランク・リベリとロッベンの「ロッベリー」コンビは、正反対の2人だからこそ大いに機能した。ロッベンは独特のルーティンをこなしてバイエルンの大きな財産となったが、リベリは、それよりはるかに予測しがたい選手であり、マルチな才能を発揮した。

    この痺れるような元フランス代表FWは、2007年にマルセイユからバイエルンに加入し、両利きの魔術師として、意のままに相手DFを抜き去った。ボールタッチとボールコントロールにおいて失敗したことはほとんどなく、頭を使った走りでDFのポジションをはがし、最後に教科書どおりのシュートを放った。

    バイエルンでの初期にはケガのせいであまり活躍できなかったが、次第に強健な選手となり、クラブで最も危険な男になっていった。彼のたくらみと、ボールを自在に操り、やりたい放題にやろうとする凶暴な意思に、サポーターたちは畏敬の念を抱いた。リベリは国内でもヨーロッパでの大会でもバイエルンにおいて大いなる影響力をもち、彼をクリスティアーノ・ロナウドやメッシと同等に評価する人々も大勢いた。この2人に阻まれて2013年にバロンドールを獲得できなかったことは、非常に不運であった。

  • Muller-BayernGetty

    2トーマス・ミュラー

    トーマス・ミュラーはフィジカル的には恵まれておらず、生まれついてのドリブラーでもなければ、1対1の状況に強いわけでもない。だが、ボールのないところでの動きに関しては独特のものがあり、みずから「スペース・インタープリター(スペースを嗅ぎ分ける者)」と称したように、どこにいれば敵に最大限のダメージを与えられるかを本能的に知っている選手である。

    過去16年にわたるバイエルンの前代未聞の成功やブンデスリーガにおいて、ミュラーほど貢献した選手はいない。得点数は246、アシスト数は245に及び、今や、クラブの歴代最多出場のトップに立っている。信じられないような記録であるが、バイエルンでのミュラーの影響力は数字で計れることのみではない。

    35歳となり引退間近になってはいるものの、ミュラーはまだまだ衰えない。ドイツのカリスマを倒す方法はなく、その屈託のない性格とサッカーに対する情熱の伝わりやすさから、世界中のファンに愛されている。

    バイエルンでの全盛期には誰にも止められなかったミュラーは、今でも常に脅威であり続けている。ミュラーは唯一無二の存在であり、彼がスパイクを脱ぐと決めた時、サッカー界はレジェンドを惜しむ声にあふれることだろう。

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    1ロベルト・レヴァンドフスキ

    ボルシア・ドルトムントは2010年代初頭、ロベルト・レヴァンドフスキのゴール前での偉業のおかげで、バイエルンのドイツサッカー界のトップの座を真に脅かす存在として台頭した。そこでバイエルンは、レヴァンドフスキをヴェストファーレンシュタディオンから奪うことにした。このポーランド代表FWの待望の移籍は2014年7月についに完了し、ドルトムントに埋めることのできない穴を残しながら、バイエルンに8年連続のブンデスリーガ優勝をもたらした。

    レヴァンドフスキは2019-20シーズンの全公式戦で驚異の55得点を記録し、バイエルンは2019-20シーズンの国内およびヨーロッパの栄冠を総なめにした。新型コロナウイルスの流行がなければ、バロンドールも間違いなく手に入れていたことだろう。そんな失望も、2020-21シーズンには29試合しかプレーできなかったにもかかわらず、ブンデスリーガの単独のシーズンでの最多得点記録(41)を打ち立てて払拭し、キャリア初のヨーロッパ・ゴールデンシュー賞受賞も成し遂げた。

    最終的に2022年にバルセロナへ移籍することになったが、レヴァンドフスキはバイエルンで375試合に出場し、344得点を挙げている。この驚異的な数字は、リオネル・メッシやクリスティアーノ・ロナウドに準じるものである。オールラウンドな選手であるレヴァンドフスキは、あの2人に匹敵する選手とは言えないが、アリアンツで究極の点取り屋となったレヴァンドフスキは、おそらくもっと評価されるべき選手であろう。