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Bayerm-21st-century-player-rankings-jpg.Getty/GOAL

ミュラー、レヴァンドフスキ…21世紀のバイエルン最高の選手ベスト25ランキング

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世紀の変わり目からバイエルン・ミュンヘンはブンデスリーガ優勝18回、DFBポカール制覇10回を含む、42個ものトロフィーを獲得してきた。ドイツで圧倒的かつ驚異的な基準を打ち立ててきたのである。チャンピオンズリーグも3度制覇し、サッカー界最大のクラブのひとつという地位に上りつめた。

20世紀のバイエルンには、フランツ・ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラー、カール=ハインツ・ルンメニゲ、パウル・ブライトナー、ローター・マテウスといったワールドクラスの選手が揃っていた。いずれも、その後も続く王朝を打ち立てるのに不可欠な役割を果たしてきた選手たちである。彼らが設定したバーはとてつもなく高かったが、ここ25年間にも新たなヒーローが現れ、バイエルンがその目もくらむような高さを維持し続けることに貢献してきた。

そうした選手たちは、クラブの「ミア・ザン・ミア」(俺たちは俺たちだ)というモットーを全身全霊で体現してきた。才能があれば扉をくぐることはできるが、鉄のような強い意志と飽くなき飢えをもった選手たちだけがアリアンツ・アレーナに永く続く痕跡を残してきたのだった。

そこでGOALは、そうした定義に当てはまる21世紀これまでのバイエルンの選手25名をランキングする。そこにはバイエルンで今まさにレガシーとなろうとしている選手も含まれている。

  • Scholl-BayernGetty

    25メーメット・ショル

    メーメット・ショルは、バイエルンで15個ものトロフィーを獲得し、カリスマとしての地位を築いたが、彼の最高のパフォーマンスの多くはそのキャリア後半に生まれている。エレガントな司令塔で、どんなDFもドリブルで突破でき、ゴールを前にして冷静沈着なショルは、ピッチ上でのあらゆることを簡単にやってみせた。

    この元ドイツ代表はフリーキックの魔術師でもあり、ヨーロッパのほぼすべてのトップクラブから興味を示されても常にバイエルンに対して強い忠誠心を示していた。ショルがいなければ、おそらくバイエルンは21世紀の最初の6度のブンデスリーガ優勝のうちの4つは達成できなかっただろう。2000-01シーズンのチャンピオンズリーグ制覇の際には、7得点を挙げてチームに貢献した。

  • 広告
  • Effenberg-BayernGetty

    24シュテファン・エッフェンベルク

    シュテファン・エッフェンベルクは、今世紀では最初の2年間だけバイエルンに在籍していたが、それでもこのリストに載る資格がある。それだけ彼は、比較的短い期間に多大な影響をこのクラブに残したのだ。ピッチ外では論争を巻き起こし、そのキャリアにいくばくかの影を落としているが、それでも彼は激しい闘士であり生まれついてのリーダーであった。タックルの強いMFで、過小評価されがちなパスレンジも広かった。派手なプレーをしがちで、しばしば完璧なシュート技術を見せつけた。

    バイエルンは最も大事な瞬間で常にエッフェンベルクを頼ることができ、2001年のチャンピオンズリーグ決勝のバレンシア戦もそうだった。エッフェンベルクは冷静に同点となるPKを決め、最終的にチームを優勝に導いた。バイエルンの元監督オットマー・ヒッツフェルトは、かつてこう言った――「誰もが隠れ場所を探している時、エッフェンベルクは前を向いて走りだしている」。

  • Harry Kane Bayern Munich 2024-25Getty

    23ハリー・ケイン

    2023年8月、ハリー・ケインは居心地のよいトッテナムを去ってバイエルンに向かうという大きな勇気を見せた。イングランド代表のキャプテンはプレミアリーグの歴代最多得点記録を破れるかもしれないという可能性を捨てて栄冠を勝ち取るチャンスの方を選び、そのためにまったく新しい文化やライフスタイルを受け入れたのである。

    バイエルンはようやくロベルト・レヴァンドフスキの代わりとなる選手を獲得し、ケインは最初のシーズンで1億ユーロという金額に見合う以上の活躍をした。全公式戦45試合に出場して44得点を記録し、ヨーロッパ・ゴールデンシュー賞を受賞したのである。だがあいにく、ケインの輝きをもってしても、バイエルンが12年ぶりのタイトルなしというシーズンに陥るのを防ぐことはできなかった。

    だが、ケインは結果を出し続けた。2024-25シーズン、公式戦51試合で驚異の41ゴールを記録。悲願のトロフィーを掲げたのだ。世界最高峰のストライカーであることを誇示し続ける男はさらに、2025-26シーズンも1試合1得点のペースでネットを揺らし続けている。

  • Xabi Alonso - BayernGetty

    22シャビ・アロンソ

    シャビ・アロンソについて最も有名なのは、リヴァプールとレアル・マドリーでチャンピオンズリーグを制覇し、エリートMFとしての地位を確立したことである。しかし、この元スペイン代表は、ペップ・グアルディオラに乞われて、現役最後の3年間をバイエルン・ミュンヘンで過ごし、ドイツの巨人のために司令塔としての実力を発揮した。

    グアルディオラがバルセロナで大成功を収めた「ティキ・タカ」哲学をバイエルンで同じように貫けたのは、すべてアロンソのおかげだった。2014年9月14日、ケルンに2対0で勝った試合で、アロンソはブンデスリーガの単独の試合としては最多のボールタッチ数(204)を記録し、グアルディオラのもとでバイエルンが3年連続優勝できたのはアロンソが陰で支えたおかげだった。

    「ミュンヘンで彼と一緒だったのはラッキーだった」と、2017年にアロンソが引退を発表すると、グアルディオラは言った。「私の人生で出会った中で最高のMFのひとりだった」。バイエルンにいた時のアロンソは絶頂期ではなかったが、彼の影響力を如実に表していた。

  • Roy Makaay of FC Bayern Munchen celebratAFP

    21ロイ・マカーイ

    2002-23シーズンのチャンピオンズリーグで、デポルティーボ・ラ・コルーニャ所属のロイ・マカーイがオリンピアシュタディオンでハットトリックを達成した後、バイエルンは全力を尽くして、このオランダ代表選手と契約を交わした。そのシーズン、マカーイはヨーロッパ・ゴールデンシュー賞を獲得し、このことで引っ張りだことなったが、バイエルンは当時のクラブ記録となった1,900万ユーロを捻出して、マンチェスター・ユナイテッドやチェルシーとの獲得競争に勝利したのだった。

    これが価値ある投資であったことは証明され、マカーイはバイエルンで178試合に出場して102得点を記録して国内四冠を達成した。元オランダ代表FWは両足で決定的な仕事ができ、ボックスの中や周辺で本能的な動きは右に出る者がいなかった。空中戦でもマカーイを凌ぐことのできるDFは稀で、彼の得点力のおかげで、しばしばバイエルンは結果を出せたのだった。

  • Bayern v Real MadridGetty Images Sport

    20ジオバネ・エウベル

    ジオバネ・エウベルはシュトゥットガルトで3年間ゴールを量産した後、1997年にバイエルンへ移籍し、ブンデスリーガで実力を証明してきた。世界最大のクラブのひとつに加入しても動じることなく、サッカーシューズの中に魔法を忍ばせた、立派な人格者だった。

    エウベル在籍中のバイエルンは7つのタイトルを獲得したが、そのうちの5つは新世紀になってからである。バイエルンが2001年のチャンピオンズリーグ準決勝でレアル・マドリーに勝ったときの英雄であり、両足で得点を決めている。バイエルンでの最後のシーズンとなった2002-03シーズンでもカリスマとしての地位を確固たるものとし、クラブを再び国内二冠へと導いた。21得点を挙げてブンデスリーガの得点王となっている。

    エウベルは足元でボールをキープする技術に長けており、俊足で冷静なストライカーだった。バイエルンのウリ・ヘーネス名誉会長は、エウベルがクラブに与えた衝撃を完璧に評している。

    「彼は途方もない選手で、いい意味で狡猾なすごい男だった。周りにいる誰もが彼を好きになった」。

  • Bayern Munich's Claudio Pizzarro jubilatAFP

    19クラウディオ・ピサーロ

    クラウディオ・ピサーロは、最初にバイエルンに所属した2001年から2007年までの間、歴代の英雄ミュラーになぞらえて、バイエルンで「アンデスの爆撃機」と呼ばれていたが、まさにその名のとおりだった。元ペルー代表のシュートの天才は、この間の6シーズンで101得点を記録し、外国籍選手としてブンデスリーガ史上最多得点選手となった。

    まさに「ボックスの中のキツネ」であると同時につなぎ役としても優秀だったピサーロは、堂々たる体格の完璧なセンターフォワードで、敵のDFを悪夢に陥れた。ロッカールームでも人気者で、2012年、アリアンツ・アレーナに再び彼を迎え入れるチャンスを得たバイエルンは、それに飛びついた。

    当初ピサーロは1年だけの契約だったが、すぐに延長され、チャンピオンズリーグのグルーブステージでのリール戦では、33分でハットトリックを達成して有名になった。2012-13シーズン、バイエルンは最終的に三冠を達成したが、この間、ピサーロは21得点に貢献し、ますますファンのお気に入りとなった。

    「彼は、私が会った中で最も才能ある選手のひとりだった」と、バイエルン・ミュンヘンの元キャプテン、フィリップ・ラームはピサーロがクラブに与えた衝撃について語っている。「光り輝く見事なサッカー選手だった。彼と一緒にプレーできて、楽しかった」。

  • FBL-GER-CUP-BREMEN-BAYERN MUNICHAFP

    18ハビ・マルティネス

    ハビ・マルティネスがバイエルンへ移籍した2012年の夏は、クラブ史上最も成功した期間の始まりだった。元スペイン代表MFはバイエルンにいた9シーズンすべてをドイツ王者として終え、チャンピオンズリーグも2度制覇した。2020年のUEFAスーパーカップ決勝では決勝ゴールを決めている。

    ケガで運命を狂わされることがなかったならば、マルティネスはおそらくこのリストのもっと上位に来ていたことだろう。ピッチの隅々までカバーし、しつこくタックルをする選手で、長身にもかかわらずボールに対して驚くほど敏捷だった。ポゼッションも悠々とこなし、グアルディオラは監督だった3年間の間にマルティネスをセンターバックへコンバートしている。A・ビルバオでもスターだったマルティネスは、そのコンバートも楽々こなした。

    だが、マルティネスを最もうまく起用していた監督はユップ・ハインケスで、彼はマルティネスのことを「状況が困難になると、彼は立ちあがる」と評価していた。バイエルンのサポーターはマルティネスのことを、どんなに不利な状況が積み重ねっても、常にチームのためにすべてを捧げた、真のファイターとして記憶することだろう。

  • Jamal Musiala Bayern Munich 2024-25Getty

    17ジャマル・ムシアラ

    バイエルンは2019年にジャマル・ムシアラがチェルシーを去ってミュンヘンにいる家族と合流した時、宝石を手に入れたことをわかっていたが、どれほど早くムシアラがその才能を発揮するかまでは、ほとんどわかっていなかった。ムシアラは2020年6月、わずか17歳と115日でブンデスリーガにデビュー。バイエルンでの最年少リーグ出場選手となり、2020-21シーズンの開幕戦ではシャルケ相手にゴールを決め、歴代最年少得点選手となった。

    こうした記録破りの快挙でムシアラは大いにスポットライトを浴びたが、年齢に見合わない成熟さでプレッシャーをはねのけてみせた。ムシアラは2022-23シーズンに大躍進し、公式戦47試合に出場して32得点に貢献。前線のみならずいくつもの異なるポジションでプレーした。

    ドイツ代表でも俊敏なプレーを見せて相手のラインを大いに混乱させ、アタッキングサードで判断を誤ることは滅多になかった。まだ若手にもかかわらず、今や、そのキラーパスや目くるめく走りで相手DFを切り裂く、チェルシーでも将来有望な若手だったがバイエルンで頼りにされる選手となったムシアラは、このまま成長を続ければ本物のバロンドール候補になれるかもしれない。

  • Eintracht Frankfurt v FC Bayern München - BundesligaGetty Images Sport

    16セルジュ・ニャブリ

    2017年、バイエルンが800万ユーロでセルジュ・ニャブリを獲得したことは、ただ単に安い買い物をしたというだけではなく、大快挙だった。アーセナルのアカデミー出身であるニャブリは、初めはホッフェンハイムにレンタルで出されたが、最終的にこのクラブのブンデスリーガ3位という成績に主力として貢献。2018-19シーズンには、バイエルンはニャブリを信頼してドウグラス・コスタの代わりに右ウイングに起用することとなった。

    ニャブリはコスタよりも優れていることを証明し、2018-19シーズンにはバイエルンで2番目に得点数の多い選手となった。翌シーズンにはハンジ・フリックのもとで23得点14アシストを記録し、三冠達成の立役者となった。

    ニャブリほど速く走れる選手は稀で、常に素早いコンビネーションで前進し、ゴール前でも冷静である。バイエルンは何年にもわたってニャブリのマルチな才能を大いに活用しており、どちらのウイングとしても偽の背番号9としても活躍できるうえに、時にはウイングバックを務めることすらある。

  • Michael Ballack of FC Bayern Munich celebrates scoring the second goalGetty Images Sport

    15ミヒャエル・バラック

    ドイツ代表として2002年ワールドカップで大活躍したミヒャエル・バラックは、ヨーロッパで最も引く手あまたな選手となり、獲得を目指すクラブの中にはレアル・マドリーもいたが、この何でもできるMFは最終的にレヴァークーゼンからバイエルンへ移籍することを選択した。この決心は報われ、バラックはアリアンツ・アレーナで3度、リーグ優勝とカップ戦制覇の二冠を達成した。2005-06シーズンが彼のピークであった。

    サポーターから親しみをこめて「リトル・カイザー(小さな皇帝)」と呼ばれたバラックは、全盛期にはベッケンバウアーに匹敵する多くの才能を有し、生まれついてのカリスマ性とストイックな雰囲気を持っていた。たぐいまれなパスレンジを有し、容赦なくボールを奪える選手で、右足のシュートはロケットのようだった。バイエルンでは長距離から数多くのシュートを決めていた。

    バラックはバイエルン在籍中にドイツの年間最優秀選手賞を2度受賞したが、彼の影響力を考えると当然のことだった。チャンピオンズリーグでの成功には縁がなかったが、バラックは4年にわたってバイエルンで最も安定感のある選手であり続け、永く残る功績を残した。

  • Toni Kroos Bayern Munich 2014Getty

    14トニ・クロース

    トニ・クロースは6度のチャンピオンズリーグ制覇のうち5度をサンティアゴ・ベルナベウで果たしているため、主にレアル・マドリーのレジェンドとして記憶されることになるだろうが、バイエルンでも活躍した。17歳で、途中出場からの2アシストでブンデスリーガでのデビューを記録するなど、バイエルンで表舞台に躍り出たクロースは、最初のシーズンを公式戦20試合出場で締めくくった。

    だが、その後もクロースはレギュラーにはなれず、2009-10シーズン、バイエルンは彼をハインケス率いるレヴァークーゼンへレンタル移籍させた。そこでクロースは才能を完全開花することとなる。ハインケスとクロースは2011年にバイエルンで再会し、たちまちクロースはチームの司令塔という輝かしい役割を任されることになった。

    信じがたいことに、バイエルンは2011-12シーズンにブンデスリーガ、DFBポカール、チャンピオンズリーグですべて2位で終わったが、翌シーズンには3つの大会すべてを制覇。クロースの輝きがその成功を支えていた。

    純粋なサッカー脳と技術の質で言えば、あの舞台でのクロースは比類なき選手だ。ハインケスが去った後クロースと仕事をすることとなったグアルディオラも、そう言っている。

  • FBL-EUR-C1-PSG-BAYERN MUNICHAFP

    13キングスレイ・コマン

    2015年、バイエルンは19歳のキングスレイ・コマンをユヴェントスから、最初は2年間のレンタル移籍で獲得した。コマンは、その爆発的なスピードの変化とキラー・バスで、たちまちグアルディオラに不可欠な選手となった。

    「彼のドリブル技術は、そう簡単に見ることのできない稀有なものだ」と、グアルディオラは言った。「私がともに仕事をした選手の中で、あの若さであれをやってのける選手はひとりだけだ」。

    コマンはリオネル・メッシのレベルに近づくことはできなかったが、それは少ながらず体調の問題が関係していた。グアルディオラが退任した後に調子を落とし始めたが、それでも、2017年に完全移籍を果たしたバイエルンで302試合に出場し、131得点に貢献している。しばしば大きな試合で大事な役目をはたしており、2019-20シーズンのチャンピオンズリーグ決勝でも決定的な仕事をした。

    リスボンでのこの試合、コマンの素晴らしいヘディングシュートがパリ・サンジェルマンを沈める決勝点となり、たちまちバイエルンの伝説となった。

  • Kahn - BayernGetty

    12オリバー・カーン

    オリバー・カーンのバイエルンでの最後の8年間は、ドイツで最高のGKとしてのみならず、世界最高のGKとしての地位を確たるものにした。2000年から2008年の間に6度のブンデスリーガ優勝とチャンピオンズリーグ制覇を果たし、その間、バロンドールの投票で2度も3位に選ばれ、「キング・カーン」と呼ばれるようになった。

    カーンが全盛期の時のバイエルンは誰も寄せ付けないように見えた。唯一無二のGKだったカーンはボックス内を将軍のように支配し、ゴール前で見せる勇気と情熱とで、チームメイトに対して傑出した手本となっていた。

    素晴らしいシュート・ストップのみならず、1対1の状況でも卓越していて、電光石火の反射神経で数えきれないほど何度もバイエルンを救った。38歳で引退する日までバイエルンの不動の背番号1であり、クラブの不屈の精神を体現していた。

  • Jerome Boateng BayernGetty

    11ジェローム・ボアテング

    2011年にマンチェスター・シティから加入したジェローム・ボアテングは、バイエルンに10年在籍し、362試合に出場。、その闘争心と卓越した試合を読む力により、幅広い称賛を受けた。過小評価されがちなテクニシャンでもあり、ブンデスリーガで放った2,447本のロングパスの成功率は62%である。

    グアルディオラは、全盛期のボアテングを「世界三大センターバックのひとり」と評したが、それの評価は正しかった。ドイツ代表の元エースは、チャレンジして負けたことがほとんどなく、空中戦での強さはバイエルンの守備において無敵のオーラを放っていた。特に三冠を達成した2019-20シーズンでは凄かった。

    コマン同様、ボアテングもしばしばケガに悩まされたが、そのとてつもない精神力で、どんなケガからも復帰し、最終的に22個ものトロフィーを獲得してクラブを去った。

  • FBL-EUR-C1-CHELSEA-BAYERNAFP

    10チアゴ・アルカンタラ

    2013年、バイエルンの指揮を執ることとなったグアルディオラの監督としての最初の注文は、チアゴ・アルカンタラを説得して、自分とともにバルセロナからドイツへ来る気にさせる欲しいということだった。バイエルンはこの元スペイン代表を2,500万ユーロで獲得した。そして、これはバルサのカリスマ・コンビであるチャビとアンドレス・イニエスタの陰から抜け出して、サッカー界最高のMFのひとりであることをみずから証明したのだ。それはアルカンタラにとって大きな転換点となった。

    チアゴはグアルディオラ率いるバイエルンの心臓となり、熟達したボールさばきにより、自身のパスで試合のペースを操った。相手を崩すようなプレーが得意で、どんなプレスにも耐え、敵を恐怖に陥れた。バイエルンは彼の才能のおかげで試合開始から終了までずっとポゼッションを支配することができた。

    グアルディオラは最終的にマンチェスター・シティへ行ったが、チアゴは残った。このバルセロナの元スターは、カルロ・アンチェロッティとニコ・コヴァチのもとでも活躍し、コヴァチはチアゴのことを「監督の夢」だと称した。フリックが指揮を執っていたときのバイエルンの三冠達成にも彼は欠かせなかった。そのシーズン終了時、おそらくバイエルンはチアゴをリヴァプールからもっと遠ざけておくべきだった――あれ以来バイエルンはチャンピオンズリーグ決勝に進出できないでいる。

  • Joshua Kimmich Bayern 2024Getty Images

    9ヨズア・キミッヒ

    ヨズア・キミッヒはサッカー界のカメレオンである。守備と攻撃のほぼすべての役割を果たすことができ、その完璧な仕事ぶりのため、しばしば他者の目をかいくぐることができる。バイエルンは、彼がトップチームに昇格して以来、このドイツ出身選手の比類なき才能を育ててきたが、年を追うごとにより大きな責任を彼に与えるようになった。彼は決してそこから逃げなかった。

    2021年、フリックはキミッヒのことを「世界最高の選手」になれるとまで言い、その言葉がまだ真実になっていないとしても、バイエルンのセットアップにおいて彼ほど重要な選手はいないと言っても過言ではない。キミッヒは決して止まることのないエンジンを持ち、そのパス配給技術は非常に貴重である。

    バイエルンは今、キミッヒを失う危機に瀕している。来年の夏で契約が満了するのだが、彼の代わりを見つけることは不可能な仕事となるだろう。そう頻繁にトップニュースで扱われることはないかもしれないが、キミッヒは過去10年間、ドイツのサッカー界を支配してきたバイエルンの基礎を築いた選手である。

  • SS Lazio v Bayern Muenchen  - UEFA Champions League Round Of 16 Leg OneGetty Images Sport

    8ダヴィド・アラバ

    「ダヴィド・アラバは我々の神だ」と、2014-15シーズン初め、グアルディオラはバイエルンのために複数の異なるポジションでプレーするオーストリア代表のことを評した。アラバはバイエルンのために左サイドバック、左ウイング、セントラルMFとして、完全にトップクラスのプレーをすることができたが、彼が本当に素晴らしいのはセンターバックとしてである。

    バイエルンは、アラバの前へのパスやドリブルでラインを突破する力に頼ることができ、彼の賢いポジション取りは、常に、どんなカウンターアタックも嗅ぎだすことができた。身長177cmのアラバはDFとして最高の高さを誇るわけでは決してないが、そのことはバイエルンにとって弱点にはなりえない。なぜなら彼には、それを補って余りある、とびぬけた跳躍力と卓越したポジショニングのセンスがあるのだ。

    アリアンツ・アレーナ在籍中の11年間で、10度のブンデスリーガ優勝と2度のチャンピオンズリーグ制覇を誇った。それだけに、レアル・マドリー移籍での挑戦という彼の望みを、クラブの誰も止めることはできなかった。

  • Robben-BayernGetty

    7アリエン・ロッベン

    アリエン・ロッベンは2009年、それ以前で所属していたレアル・マドリーやチェルシーでは散発的にしか輝いていなかったものの、プリマドンナのような評判とともにバイエルンに加入した。ところが、バイエルンはロッベンを精神的に支えるホームとなり、デビューシーズンは23得点を挙げて、ついにロッベンはそれまで彼に欠けていた安定性を手に入れたのだった。

    このまばゆきオランダ代表は、バイエルンでさらに121得点を記録し、2013年、ウェンブリーでボルシア・ドルトムントに勝利した試合では絶好のチャンスに見事な得点をあげた。これはまさに、ロッベンが中央のエリアからゴールを決めた滅多にないチャンスのひとつであり、ロッベンお得意の右サイドから切りこんで左足を一閃し、ガープをかけたシュートをファーのコーナーに叩きこんだのであった。

    ロッベンの意図は丸わかりとはいえ、あの得意技をロッベンがどれほど頻繁に繰り出し、そのおかげでバイエルンがどれほど多くの試合で優位に立てたかは注目に値する。彼はただの一発屋ではなく、ほとんど全速力で走りながら敵をからかうようなパスを出すことができたし、クラブのためにセットプレーで100回以上のアシストを決めたエキスパートだった。一言で言って、ロッベンはバイエルンの最高の武器であった。

  • Lewandowski-BayernGetty

    6ロベルト・レヴァンドフスキ

    ボルシア・ドルトムントは2010年代初頭、ロベルト・レヴァンドフスキのゴール前での偉業のおかげで、バイエルンのドイツサッカー界のトップの座を真に脅かす存在として台頭した。そこでバイエルンは、レヴァンドフスキをヴェストファーレンシュタディオンから奪うことにしたのだった。このポーランド代表FWの待望の移籍は2014年7月についに完了し、ドルトムントに埋めることのできない穴を残しながら、バイエルンは8年連続のブンデスリーガ優勝を果たした。

    レヴァンドフスキは公式戦で驚異の55得点を記録し、バイエルンは2019-20シーズンの国内およびヨーロッパの栄冠を総なめにした。新型コロナウイルスの流行がなければ、バロンドールも手に入れていたことだろう。そんな失望も、2020-21シーズンには29試合しかプレーできなかったにもかかわらず、ブンデスリーガの単独のシーズンでの最多得点記録(41)を打ち立てて払拭し、キャリア初のヨーロッパ・ゴールデンシュー賞受賞も成し遂げた。

    最終的に2022年にバルセロナへ移籍することになったが、レヴァンドフスキはバイエルンで375試合に出場し、344得点を挙げている。この驚異的な数字は、リオネル・メッシやクリスティアーノ・ロナウドに準じるものである。オールラウンドな選手であるレヴァンドフスキは、あの2人に匹敵する選手とは言えないが、アリアンツでは究極の点取り屋となったレヴァンドフスキは、おそらくもっと評価されるべき選手であろう。

  • Manuel Neuer FC Bayern 2024Getty

    5マヌエル・ノイアー

    「スイーパー・キーパー」という言葉を聞いて、真っ先に思い浮かぶのはマヌエル・ノイアーである。彼以前にもペナルティーエリアの外でプレーするゴールキーパーはいたが、シャルケから2011年にバイエルンへ加入したノイアーはそうしたプレーを完璧に行い、ゆるぎない自信をもって危険を嗅ぎ分け、11人目のフィールドプレーヤーとなっていた。

    ノイアーならMFとしてもプレーできたかもしれない。苦もなく40~45mの長距離パスを通し、早急な対処を求められてもて完璧な落ち着きを見せていた。長身のドイツ代表GKはゴールを防いだのみならず、バイエルンの得点にも貢献し、長きにわたって、およそどんな相手に対してもチームを優位な立場に導いた。

    ここ数年、ノイアーの力が衰え始めていることが強調されているが、まもなく40歳になる選手としては当然のことだ。全盛期には完璧なオールラウンドGKだった。しばしば理屈では考えられないシュートストップを見せ、他のバイエルンのDF陣に自信に満ちた姿を見せていた。チーム全体への影響に関しては、カーンをも上回っている。

  • Schweinsteiger-BayernGetty

    4バスティアン・シュバインシュタイガー

    在籍期間13年のうちの大半で、バスティアン・シュバインシュタイガーはバイエルン・ミュンヘンの顔だった。当初は、その敏捷性と技術の高さで台頭し、ウイングとして名をあげたが、次第に中盤の中央のあらゆるポジションでプレーするようになった。ボックス・トゥ・ボックスの役割における彼の可能性に気づいた最初の監督はルイ・ファン・ハールである。

    コンバート後のシュバインシュタイガーはバイエルンを新たな境地に導き、そのなめらかなパスでチームのリズムを生みだし、卓越した予測能力を駆使して危険な攻撃を意のままに阻止した。堂々たる体格でパワフルな選手であったが、どんなプレーにも非の打ち所がない優雅さがあり、凡人とは違う視点から試合を見ていた。

    バイエルンがチェルシーに敗れた2012年チャンピオンズリーグ決勝のPK戦でミスしてからはそれまでと違った選手になってしまう可能性もあったが、シュバインシュタイガーはメンタルも非常に強かった。あの挫折から立ち直ったシュバインシュタイガーは、バイエルンの三冠達成の立役者となり、ファンから「サッカーの神」と呼ばれるようになる。2015年にマンチェスター・ユナイテッドへ移籍したが、あの称号が彼ほどふさわしい選手はいない。

  • Lahm-BayernGetty

    3フィリップ・ラーム

    フィリップ・ラームには、これまでピッチを飾ってきた右サイドバックの中で最高の選手として記憶されるべき強力な実例があり、彼の身体にはバイエルンの血が流れている。まず11歳の時にクラブのアカデミーに入ったラームはバイエルンで22年間を過ごし、21もの主要タイトルを獲得してきた。

    グアルディオラはラームのことを「私が監督した中で最も頭の良い選手」と言った。ラームは、元監督がアリアンツにいた間に右サイドバックを再活性化した際に、サイドバックからコンバートされて起用された最初の選手のひとりだったのだ。ラームは中盤に配置されれば常に堂々としていたが、彼が最も危険だったのは、右サイドをオーバーラップする時だった。彼の精巧な配球はしばしばバイエルンの前線でのゴールにつながった。

    ラームは小柄だがパワフルで、攻撃でも守備でも活躍したが、その回復力もしばしば超人的だった。2011年にマルク・ファン・ボメルが退団してバイエルンのキャプテンとなり、ますます成功への意欲がましたラームのことを、このDFが最終的に2017年に引退した後で、ショルはこう言っている――「君がプレーしたすべての試合の75%で君は実に素晴らしかった。残りの25%で君はワールドクラスだった」。

  • Ribery-BayernGetty

    2フランク・リベリ

    バイエルンのフランク・リベリとロッベンの「ロッベリー」コンビは、正反対の2人だからこそ大いに機能した。ロッベンは独特のルーティンをこなしてバイエルンの大きな財産となったが、リベリは、それよりはるかに予測しがたい選手であり、マルチな才能を発揮した。

    この痺れるような元フランス代表FWは、2007年にマルセイユからバイエルンに加入し、両足づかいの魔術師として、意のままに相手DFを抜き去った。ボールタッチとボールコントロールにおいて失敗したことはほとんどなく、頭を使った走りでDFのポジションをはがし、最後に教科書どおりのシュートを放った。

    バイエルンでの初期にはケガのせいであまり活躍できなかったが、次第に強健な選手となり、クラブで最も危険な男になっていった。彼のたくらみとボールを自在に操ってやりたい放題にやろうとする凶暴な意思に、サポーターたちは畏敬の念を抱いていた。リベリはバイエルンに対して大いなる影響力を持ち、彼をC・ロナウドやメッシと同等に評価する人々も大勢いた。この2人に阻まれて2013年にバロンドールを獲得できなかったことは、非常に不運であった。

  • Thomas Muller FC Bayern 2024Getty Images

    1トーマス・ミュラー

    トーマス・ミュラーはフィジカル的には恵まれておらず、生まれついてのドリブラーでもなければ、1対1の状況に強いわけでもない。だが、ボールのないところでの動きに関しては独特のものがあり、みずから「スペース・インタープリター(スペースを嗅ぎ分ける者)」と称したように、どこにいれば敵に最大限のダメージを与えられるかを本能的に知っている選手である。

    過去16年にわたるバイエルンの前代未聞の成功に、ミュラーほど貢献した選手はいない。得点数は250、アシスト数もそれを上回り、クラブの歴代最多出場者となった。信じられないような記録であるが、アリアンツでのミュラーの影響力は数字で計れることのみではない。

    2024-25シーズン限りでバンクーバー・ホワイトキャップスへ移籍したが、バイエルンというクラブの中でこのドイツのカリスマを倒す方法はない。その屈託のない性格とサッカーに対する情熱の伝わりやすさから、世界中のファンに愛されている男でもある。