その夜、バイエルンはいわゆる“お約束”を全く守らなかった。非常に意欲的なプレーを見せ、ミュラー(3得点)、カール=ハインツ・ルンメニゲ(3得点)、ブライトナー(2得点)と躍動。クライフの最後の試合を見に集まった68,000人の観客の前で、8-0の圧勝を収めている。
クライフは後に、キャリアでこれほどの大差で敗れたことはないと語っている。そしてもちろん、バイエルンの姿勢は批判の対象に。当時アヤックスに所属していたルード・カイザーは、「私たちは、ヨハンが観客に自分の実力を示すことができるよう、常に彼にボールを渡すことを決めていた。しかしバイエルンは、まるでヨーロッパカップ戦の決勝戦を戦うかのように、戦士のようにピッチに現れた。それは恥ずべき、無礼な行為だった」と後年語っている。
一方、この試合で期待の若手選手としてプレーしたクルト・ニーダーマイヤーは、『11 Freunde』でこの「奇妙な一夜」について回想。なぜバイエルンがあれほど意欲的に試合に挑んだか、その理由を明かしている。
「試合前の奇妙な状況は明らかだった。空港には迎えが来ておらず、ホテルもはっきり言って二流だ。 私たちが来なかったとしても、誰も気にかけなかっただろう。ポール・ブライトナーは、ウォームアップ中に観客から『ナチスの豚ども』と罵られたと言っていた。ピッチからロッカールームに向かう途中で、唾を吐かれたとさえ言ったよ。いずれにせよ、ある時点で我慢の限界に達したんだ」
そしてブライトナー、マイヤー、ミュラー、ブランコ・オブラクといったベテラン選手たちは、若手選手を呼び寄せて「オランダ人に本物の試合を見せてやれ」と強く言い聞かせたという。「おそらくリーダーたちは、1973年にこの地で行われたヨーロッパカップ戦で0-4と大敗したことが頭の片隅にあったんだろう」とニーダーマイヤーは振り返っている。