チャビはバルサを去る。クレ(バルセロナサポーター)にとって、その悲しみはあまりに、あまりにも深い。チャビの失敗は、私たち全員にとっての失敗だった。
多臓器不全のように、問題はありとあらゆるところに存在していた。感情的にも、フットボール的にも、論証的にも……。すべてに共通しているのは、そこには“期待”があったということ。そう、チャビは希望だった。私たちは彼のクラブを愛する気持ち、選手たちを説き伏せる言葉、そして何よりも良質なポゼッションフットボールを復活させるという断固たる意思に期待していたのだ。
ヨハン・クライフを師と仰ぐジョゼップ・グアルディオラを師と仰ぐチャビは、これまでの強烈な成功体験にも後押しされて、バルセロナのプレー哲学において最も過激な人物とみなされてきた。しかしながら選手時代、その哲学を誰よりも体現して成功をつかんできた男は、監督としてはその熱をピッチに反映できるだけの力量を持たなかったのだ。
かてて加えて、メディアの前に現れるチャビの振る舞いは、あまりにも感情的で丸裸過ぎた。彼が会見などで口にする不平不満、愚痴、言い訳の内容は、勝者のメンタリティーの持ち主という範疇を逸脱しているばかりか、選手としてあらゆるものを勝ち取った人物にはまるでふさわしくないものだ。その言動は間違いなく、サポーター間で反感が芽生えていくプロセスを早めている。
私たちがチャビに求めていたのは台本の作者としての役割だったが、結局は殴り書きのような4ページしか目にしていない。私たちが求めていたのは長期のプロジェクトだったが、切迫した状況での一瞬の歓喜しか味わっていない。私たちが求めていたのはチャビがプレーしていた頃のようなバルセロナだったが、彼が先頭に立って旗を握るバルセロナ(私たち)は、ひどい負け方をするチームの代表格となってしまった。
チャビがプレースタイルにこだわらないわけがない。が、彼のチームはスタイルから結果を得るより、結果だけを求める方が快適なようにも思えた。昨季のリーガを思い出せば、彼らは試合終盤に苦しみながらも、堅守を頼りに1-0で勝ち続けて優勝を手繰り寄せたのだから。あのリーグ制覇にケチをつける必要はなく、そればかりか大きな価値を見出すこともできる。バルセロナは(極度の財政難に端を発する)サラリーキャップに関するリーガとの厳しい交渉、そして審判買収疑惑“ネグレイラ事件”によってクラブイメージが地に落ちていた。チャビのチームはそうした大きな騒動と動揺の中で、1シーズンを通して安定した結果を出し続け、国内リーグを制したのである。
だが“パランカ(レバー)”と称されたクラブの資産の切り売りによって、本来ならばあり得ない早さで陣容を強化していった彼らの状況は、わずか1年でパランカが引かれる前に戻ってしまった。そこから、チャビは語るべき言葉を失っている。
「チームはまだ構築中だ」
彼は自分たちがつまずく度に、何度も、何度もそう繰り返した。しかし昨夏の補強で昨季よりも戦力が充実し、それなのに結果が出なくなったとすれば、それは派手に失敗したことを意味している。チャンピオンズリーグ(CL)についても、ヨーロッパリーグに回らずベスト16に進出したことは喜ぶべきだとしても、グループステージでシャフタール・ドネツク、アントワープ相手に失態を演じたことで、これだけ収入が必要な状況にもかかわらずクラブ・ワールドカップ(W杯)参加が極めて難しくなってしまった(大会の意義はともかくとして、新フォーマットで行われるクラブW杯は参加すれば5000万ユーロ、優勝で1億ユーロを手にできる。バルセロナが参加するためには今季CLで優勝するレベルの成績が必要だ)。私たちは相変わらず、欧州全土の笑い者である。
大きな波に何度も襲われ、沈没寸前となっているバルセロナで、船のマストを支えているのはラ・マシア(バルセロナ下部組織)の選手たちだけだ。チャビはクラブの未来そのものと言える彼らをしっかりと助けていかなければならない。アレハンドロ・バルデ、ラミン・ヤマル、フェルミン・ロペス、マルク・ギウ、エクトル・フォント、パウ・クバルシはチャビが抜擢した選手たちであり、間違いなく彼の印が刻まれている。ガビにクーマンの印が刻まれているように……。ガビについて話せば、彼は現役時代のチャビに似ても似つかない“バルサの6番”だが、しかし指揮官となったチャビにとっては、いなくなって一番恋しく思っている選手だ。