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Liverpool 21st century rankings GFXGOAL

ジェラード、サラー…21世紀のリヴァプール最高の選手ベスト25ランキング

20世紀末の厳しい苦闘の後、リヴァプールは今世紀の25年間で2度のチャンピオンズリーグ制覇と1度のUEFAカップ優勝を成し遂げ、サッカー界最高のクラブのひとつという評判を再構築した。

その間、ジェラール・ウリエとラファエル・ベニテスの両監督が重大な役割を果たし、ヨーロッパの大会で成功を収めている。しかしながら、その後再びスランプに陥り、レッズが本当にエリート・クラブの地位を取り戻したのはユルゲン・クロップが監督に就任してからであった。このドイツ出身監督のもと、リヴァプールは30年ぶりにイングランドでのタイトルを獲得したのみならず、6回目のチャンピオンズリーグ制覇を果たした。もちろん、こうした快挙はトップクラスの選手たちなしには達成できなかったものであり、アンフィールドは過去25年にわたって、恐ろしいほど多くのそうした選手たちを目撃してきたのである。では、その中で最高の選手は誰だろうか。

以下にGOALは今世紀のリヴァプールを彩った25人の素晴らしいサッカー選手たちをランキングする。誰をどの順位に入れるかは、その選手の才能や獲得したトロフィーの数、インパクト、在籍の長さなどを含む、さまざまな要因に基づいている(少なくとも3シーズンはクラブに在籍した選手のみを選考の対象とした)。

  • Klopp MatipGetty

    25ジョエル・マティプ

    ジョエル・マティプのリヴァプールでの活躍を見れば、この低い順位になってしまったのは残念でもある。カメルーン代表のマティプは、2023年12月に前十字靭帯を損傷し、アンフィールドでの最後のシーズンの後半を棒に振ってしまった。このDFを高く評価していたユルゲン・クロップが監督であり続けていたら、新たな契約をかわしていたかもしれない。マティプは2016年にフリーでシャルケから移籍し、センターバックとしてフィルジル・ファン・ダイクと見事なコンビネーションを披露。2019年のチャンピオンズリーグ優勝に貢献した。その後はケガのせいで活躍できなかったが、DFとしての才能と同じくその人柄によって、KOPと呼ばれるリヴァプール・ファンに崇拝されるヒーローであり続けた。クロップが言っていたとおり、マドリーでのスパース戦でのアシストは「リヴァプール・ファミリーの感情を大爆発させた。なんという瞬間、なんという選手!」だ。

  • 広告
  • Daniel Sturridge Liverpool Burnley Premier League 04032015Getty Images

    24ダニエル・スタリッジ

    絶好調の時のダニエル・スタリッジがどれほど素晴らしい選手か、しばしば忘れられてしまうことがある。それは主に、彼の好調が決して長く続かなかったからだ。元イングランド代表のスタリッジは、アンフィールド時代ずっとケガに悩まされていた。各シーズン、リーグ戦に29試合以上出場できなかったのである。だが、コンディションさえ良ければ彼のプレーはセンセーショナルだった。スタリッジはイングランドのFWの典型からは外れており、天性のテクニシャンで、スペクタクルなプレーをする才能に恵まれていた。ルイス・スアレスとのコンピは見事で、2013-14シーズンにはリヴァプールを優勝にあと一歩のところまで押し上げ、大いに人気を博した。ケガのためアンフィールドの真のスターにはなり切れなかったが、そんな中でも彼が記録した67得点のうちのいくつかは、本当に崇高なものだった。

  • Javier Mascherano LiverpoolGetty

    23ハビエル・マスチェラーノ

    ハビエル・マスチェラーノはバルセロナへの移籍のやり方においてリヴァプール・ファンを怒らせ、自身もそのことをわかっていた。さらに2011年のチャンピオンズリーグ決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦でのブラウグラナの勝利を、マージーサイドにいた時に熱狂的に応援してくれたレッズに捧げもした。マスチェラーノは興奮しやすい性格で、それまでのリヴァプールにはまったくいなかった、公園の真ん中で大声をあげるようなタイプだった。攻撃的な性格と過小評価されているが優れたテクニックの持ち主で、2007年のチャンピオンズリーグで決勝進出を果たした際には中心的な役割を果たした。「彼はモンスターだ」と、ラファエル・ベニテスが評価したことは有名である。

  • Diogo Jota Liverpool West Ham Carabao Cup 2024-25Getty

    22ディオゴ・ジョタ

    2020年9月、4100万ポンドを払ってディオゴ・ジョタを獲得するとクラブが決めた時、一部は当惑したかもしれない。だが、スカウト陣は自分たちが何をしているか正確にわかっていた。ジョタはハードワークをいとわず、テクニックに優れ、前線のどこででもプレーできる選手で、当時のクロップ監督にとって理想的な契約だったのだ。実際、ジェイミー・キャラガーは、ジョタをプレミアリーグ時代のリヴァプールで最高の点取り屋だと何度も主張していた。

    若くしてこの世を去った2025年7月3日、涙したのはリヴァプールファンだけではないだろう。サッカー選手としてだけでなく、一人の男として多くの人に愛された。

  • Pepe Reina Liverpool Real Madrid Champions League 2009Getty

    21ペペ・レイナ

    リヴァプールが2005年にチャンピオンズリーグ制覇を果たしたのは、GKイェジー・ドゥデクの大活躍に負うところが大きいが、当時のラファエル・ベニテス監督はアップグレードが必要だと感じていた。ペペ・レイナはまさにそれをやってのけた。足でのボールパスのうまさで有名なジジ・ブッフォンからも称賛を受けたことのある素晴らしいGKであるレイナは、2006年から2008年にかけて3年連続でゴールデン・グローブ賞を受賞した。「彼をトップクラスのGKにしているのは、あの安定性にある」と、ベニテスは指摘した。元スペイン代表のレイナはPKを止めるスペシャリストでもあり、FAカップの決勝でウェストハムに勝った時や、チャンピオンズリーグの準決勝でチェルシーに敗れた時もそうだった。

  • Dirk Kuyt Liverpool 2011Getty

    20ディルク・カイト

    元オランダ代表FWディルク・カイトはフェイエノールトでリーグ戦101試合に出場し、71得点を挙げてアンフィールドにやってきたため、イングランドでも同じように得点を量産するだろうと期待されていた。しかしながら、プレミアリーグではエールディヴィジと同じペースで得点をあげることはまったくできなかった。それでもカイトはKOPに崇拝されるヒーローとなった。並外れた運動力で「大舞台に強い選手」と愛され、ファンに会うと挨拶し感謝する選手であった。カイトはミランに負けた2007年のチャンピオンズリーグや、2012年にバーミンガムに勝ったリーグカップでも得点したが、最も記憶に残っているのは、おそらく、その間にマンチェスター・ユナイテッド戦で決めたハットトリックだろう。彼自身は自分を「バトラー」と称しているが、多才で利他的な姿が印象的で、かつてヨハン・クライフが言ったとおり、「カイトのような人物は同じ重さの金に匹敵する」。

  • James Milner Liverpool 2023Getty

    19ジェイムズ・ミルナー

    プレミアリーグの殿堂入りは間違いないのに、ジェイムズ・ミルナーはイングランドのサッカーファンの大部分から犯罪的と言っていいほど過小評価され続けており、プレミアリーグを彩った歴代最高選手についての議論にその名が挙がることはほとんどない。それでも、アンフィールドではこれ以上ない尊敬を集めていた。ミルナーは2015年にマンチェスター・シティからフリーで加入し、マージーサイドで8年を過ごす中で、勝ち取る価値のあるものはすべて勝ち取った。最後の最後まで大いなる影響力を発揮し、プロ意識や体調管理のレベルに関して他のすべての選手の判断基準となる選手だった。ピッチのほとんどすべてのポジションでプレーすることができ、完璧なサッカー選手であることも証明してみせた。2023年にチームを去るミルナーに、クロップはこう言った――「最後の7年半に起こったすべての素晴らしいことは、ジェイムズ・ミルナーなしでは決して起こらなかっただろう」。

  • GEORGINIO WIJNALDUM LIVERPOOL CHAMPIONS LEAGUE 07052019Getty Images

    18ジョルジニオ・ワイナルドゥム

    2021年の夏、ジニ・ワイナルドゥムがフリーでパリ・サンジェルマンに移籍したことは、リヴァプールに打撃を与えた。ニューカッスルから加入したマルチな才能を持つMFワイナルドゥムは、レッズのチャンピオンズリーグ制覇やプレミアリーグ優勝においてきわめて重要な役割を果たしたが、アンフィールドでの最も記憶に残る瞬間は、間違いなく、バルセロナに歴史的逆転を果たした試合だったろう。あの試合、ワイナルドゥムは途中出場から2得点したのである。「彼が去って寂しくなるなんてもんじゃない」と、ワイナルドゥムの退団時にクロップは言った。

    「彼は、私が監督する特権に恵まれた選手の中で最も賢い選手のひとりだった。彼の貢献は桁外れで、監督として夢のようだった。彼ひとりいなくなっただけで、大きな穴が開いたようだ。彼以上に寛大な人には二度と出会えないだろう…さようなら、ジニ。君は来て、見て、大いに勝った。君は今もこれからもリヴァプールのレジェンドだ」

  • HyypiaGetty

    17サミ・ヒーピア

    1999年、あるひとりのカメラマンからの助言で、リヴァプールはヴィレムIIからわずか260万ポンドでサミ・ヒーピアを獲得し、長年にわたるセンターバック問題を解決した。比較的無名だったフィンランド代表は、たちまちアンフィールドでファンの根強いお気に入りとなり、2000-01シーズンに副キャプテンとしてリヴァプールのリーグカップ、FAカップ、UEFAカップ制覇に貢献した。翌シーズンに正式にキャプテンマークを授けられながら、ほどなくしてスティーヴン・ジェラードに奪われはしたものの、レッズのラインナップにおいて重要な選手であり続けた。センターバックでのジェイミー・キャラガーとのコンビは、2005年の衝撃的なチャンピオンズリーグ制覇の根本となるものであった。これ以降キャラガーは、ヒーピアを、「移籍金の額、まったくケガをしなかったこと、10年間のプレーぶり、獲得に貢献したトロフィーの数」からして、クラブ史上最高の「パウンド・フォー・パウンド」な契約であると言い続けている。

  • Jordan Henderson Liverpool 2022-23Getty Images

    16ジョーダン・ヘンダーソン

    2012年8月に当時のブレンダン・ロジャーズ監督がクリント・デンプシーと契約するためにジョーダン・ヘンダーソンをフラムに売ろうとしたことは悪名高き話である。リヴァプールにとって幸運だったことに、厳しく中傷されたMFはクレイヴン・コテージへの移籍を拒否し、結局のところ2年後にはタイトル獲得まで狂おしいほどあともう少しのところまで迫ったチームの主力となったのであった。ロジャーズの後任のクロップにとってヘンダーソンの重要性は増す一方で、ついには2020年のプレミアリーグ制覇までたどり着いたのだった。彼の執拗なプレッシングと過小評価されがちなパスが、リヴァプールを30年ぶりのリーグ優勝に導いたのである。ヘンダーソンはレッズでプレーした歴代の選手たちの中で最高の才能を持つ選手のひとりに挙げられるだろうか。絶対にそんなことはない。だが、クラブ史上最も成功した時期のひとつにおいて、彼が大きな役割を果たしたことは間違いない。

  • Coutinho Liverpool Premier LeagueGetty Images

    15フィリペ・コウチーニョ

    フィリペ・コウチーニョさえアンフィールドにいてくれたなら! このブラジル代表は洞察力に優れ、脚が速く、爆発的な攻撃力をもつ、ファンタスティックで唯一無二の攻撃的MFであり、その輝かしい最高のプレーを見るのは喜びであった。もちろん、コウチーニョを手放したことで2つの革新的な移籍(フィルジル・ファン・ダイクとアリソン・ベッカー)が可能になったわけだが、それでも、特に本人にとって、サディオ・マネ、ロベルト・フィルミーノ、モハメド・サラーとともにプレーした時間があんなにも短かったことは、残念きわまりないことである。あの「ファブ・フォー」と呼ばれた4人のプレーは本当にスリリングだった。だが、最終的にはコウチーニョ自身が決断したことであり、それが裏目に出て、バルセロナに移籍した後の彼のキャリアは真っ逆さまに落ちていった。だが、KOPには、かつてクロップがアレッサンドロ・デル・ピエロと比較するほどの選手だったコウチーニョとの数多くの素晴らしい思い出が残っている。

  • Fernando Torres LiverpoolGetty

    14フェルナンド・トーレス

    2011年1月の移籍市場でチェルシーに移籍したフェルナンド・トーレスほどレッズに打撃を与えた移籍は少ない。あのスペイン代表はアンフィールドで絶対的に愛されていた。大評判でマージーサイドにやってきたトーレスは(しかも「You'll Never Walk Alone」のタトゥーを入れていた)、驚くほどのスピードの変化と決定的なフィニッシュによりホームデビュー戦でゴールを決め、たちまちKOPに愛されるようになった。素晴らしい得点率(クラブ史上最速でリーグ50得点を達成)とスティーヴン・ジェラードとの見事なコンビを見せたにもかかわらず、リヴァプール在籍中に獲得したトロフィーはひとつだけで、それが主な理由で、チェルシーへの移籍を決意することになったのだった。トーレスにとって不運なことに、スタンフォード・ブリッジでは複数のタイトルを獲得する一方で、二度とかつてのような電撃的なストライカーにはなれなかった。

  • Michael Owen LiverpoolGetty Images

    13マイケル・オーウェン

    マイケル・オーウェンはリヴァプールのレジェンドになるべき選手だった。驚くべき才能を与えられたアカデミー出身選手で、10代で表舞台に大躍進した。ジェット機のようなスピードを持つストライカーであり、22歳になる前にバロンドールを受賞し、2001年にはリヴァプールのカップ三冠に貢献した。ところが、レッズの関係者の多くは、その3年後にオーウェンがレアル・マドリーに移籍したことを決して忘れない。それでも、オーウェンが、アンフィールドで活躍した最もエキサイティングな若手のひとりであり続けていることは否定できない。相手DFを猛烈なスピードと生意気な微笑みで切り裂く決定的なストライカーであった。その爆発的なスピードが原因となったハムストリングのケガがなければ、歴代最高の選手となれただろう。リヴァプールでの若き頃、彼は本当に素晴らしかった。

  • Jamie Carragher Liverpool 2005 Champions League finalGett

    12ジェイミー・キャラガー

    幼いころはエヴァートンのファンで、リヴァプールのレジェンドとなったジェイミー・キャラガーは、今でもサッカー界を二分する選手である。だが、アンフィールドで歴代最高の選手であることは間違いない。結局のところ、17年間レッズのトップチームにいたということは、特別な選手、特別なキャラクターだったのだ。キャラガーは若きスターとして印象的な多才ぶりを見せ、最終的にラファエル・ベニテスの下でセンターバックのレギュラーとなった。プレミアリーグ優勝は果たせなかったが、チャンピオンズリーグ、UEFAカップ、FAカップ(2回)、リーグカップ(3回)は獲得した。キャラガーは、フランチェスコ・トッティやパオロ・マルディーニのように、生涯をひとつのクラブに捧げた、滅多にいない選手のひとりである。2013年にキャラガーが引退を発表すると、すぐにマイケル・オーウェンは、「たぐいまれな選手だった。サッカー界の真の男のひとりとともにプレーし、同室になり、親友になれたことは特権だった」と語った。

  • Xavi Alonso Liverpool Chelsea Getty

    11シャビ・アロンソ

    ラファエル・ベニテスは、シャビ・アロンソのリヴァプール退団をめぐる状況を理解できないと繰り返し述べ、最終的にレアル・マドリーへ移籍する前にアーセナルに加入するとの合意をしていたとさえ主張していた。しかしながら、ベニテスは、アロンソを消耗品とみなしていたという事実だけでも反省に値する。アロンソはクラブ史上最高のMFのひとりであり、2005年のチャンピオンズリーグ制覇において主力選手のひとりだった。血気盛んだがシックな司令塔だったアロンソは、勝ち方とボールの扱い方を心得ていた。サッカーに関する知能は桁違いで、ペップ・グアルディオラは以前からアロンソは偉大な監督になる運命であることをわかっていた。アロンソの台本にはあらゆる策が書かれており、驚くべきビジョンを最大限活用していた。「私がともにプレーした中で最高のMFだ」と、スティーヴン・ジェラードは言っている。

  • 10ファビーニョ

    アンフィールドでの最初の数カ月は、ファビーニョに見るべきものはほとんどなく、リヴァプールは役立たずと契約したのではないかという不安が巻き起こっていた。だが、真実はまったく違っていた。この守備的MFはユルゲン・クロップ時代に契約した最も重要な選手のひとりになったのである。最も難しい役割を務めた後、ファビーニョはクラブレベルでほとんどすべての主要タイトルを獲得し、サッカー界で最高の背番号6のひとりとの評判を確立した。クロップは、散らかったものを片付けポゼッションを吸い上げるファビーニョのことを「ダイソン」と呼び、アシスタント・コーチのペップ・リンダースは「リヴァプールの灯台」と名付けた。プレーしない時でもファビーニョなしでは路頭に迷うというのである。マージーサイドでの最後のシーズンは苦労したかもしれないが、チームが今でも代わりになる選手を探し続けているという事実は、彼の才能について知るべきことのすべてを物語っている。

  • Roberto Firmino Liverpool 2022-23Getty Images

    9ロベルト・フィルミーノ

    ブレンダン・ロジャーズはロベルト・フィルミーノをどうしてよいか、まったくわからなかった。解任直前には、天賦の才能に恵まれたこのブラジル代表FWを右サイドバックとして起用したことすらあった。だがユルゲン・クロップは、フィルミーノがブンデスリーガにいた頃から彼の数多くの才能のすべてをわかっていて、2015年10月にボルシア・ドルトムントからリヴァプールの監督に就任した後、すぐに型破りな背番号9の能力を最大限引き出すことに着手した。クロップはフィルミーノを攻撃の中心に据えたのは、フィルミーノが、サディオ・マネやモハメド・サラーにとって完璧なセンターフォワードになることをよくわかっていたからである。疲れ知らずでチームメイトのためにスペースやチャンスを創り続けるこのストライカーとともに、リヴァプールはヨーロッパやイングランド、そして世界を制覇していった。フィルミーノはマネやサラーほど多くの得点を記録してはいないが、マネやサラーとて、フィルミーノの賢い動きや楽しい放任主義がなければ、決してあれほどの得点は決められなかっただろう。

  • Sadio Mane Liverpool Champions LeagueGetty

    8サディオ・マネ

    2022年にリヴァプールを去ったサディオ・マネのその後を見るのは哀しいことであった。セネガル代表のマネはバイエルン・ミュンヘンでとんでもない騒ぎを起こした後、サウジ・プロリーグへ移籍した。しかしながら、アンフィールドでのマネの活躍は、その後の苦悩とは関係ない。マネは2016年にサウサンプトンから加入した瞬間から傑出しており、左ウイングでの素晴らしいプレーは、時に、反対サイドのモハメド・サラーの素晴らしい得点力の前に影が薄くなることもあったが、2022年のバロンドール投票で2位になったことを忘れてはならない。勤勉で賢く、鋭利なストライカーであるマネは、大きな試合で大事なゴールを決める力も持っていた。「大事な、大事な選手だ」と、かつてユルゲン・クロップは言った。「テクニックと熱意とフィジカルを持ち合わせている――彼はまったくのマシーンだ!」

  • Trent Alexander Arnold Liverpool 2024Getty Images

    7トレント・アレクサンダー=アーノルド

    トレント・アレクサンダー=アーノルド自身の言葉を借りれば、彼は「夢をかなえたリヴァプール出身の普通の少年にすぎない」。彼の物語は本当にシンプルで、素晴らしい。6歳から生まれ故郷のクラブに所属し、わずか25歳で、カリスマ的な存在になった。それは少なからず、サッカー史上最も有名な素早いコーナーキックによるものである。もアレクサンダー=アーノルドとて常に批判にさらされているが、サッカー界で彼以上にパスのうまい選手はあまりいない。元マンチェスター・ユナイテッドのDFギャリー・ネヴィルが指摘したとおり、リヴァプールは右サイドバックにケヴィン・デ・ブライネかデビッド・ベッカムがいるかのようだった。2025-26シーズンに加入したレアル・マドリーでは真価を発揮できていないが、今後シャビ・アロンソのチームにどれだけの化学反応を起こせるのか。

  • Manchester United FC v Liverpool FC - Premier LeagueGetty Images Sport

    6アンディ・ロバートソン

    リヴァプール史上最も賢い契約だったのではないか。2017年7月にハル・シティから800万ポンドでアンフィールドにやってきた時のアンディ・ロバートソンは、ほとんど期待されていなかった。しかしデビュー戦でクリスタル・パレス相手に大活躍し、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれると、左サイドバックの第一人者だったアルベルト・モレノのケガを最大限に利用して先発ラインナップにレギュラーとして腰を据えることとなった。それ以降のロバートソンは決して後ろを振り返らなかった。トレント・アレクサンダー=アーノルドほどの才能はないかもしれないが、粘り強さでは勝っており、相手に同じくらい脅威を与える選手である。事実、この2人のコンビは何年にもわたって破壊的な効果をもたらしており、荒々しい突進と質の高いクロスで相手のサイドバックを苦しめている。ロバートソンはクロップ時代の容赦ないレッズの本質的な権化だった。かつてジョゼ・モウリーニョは、この不屈のスコットランド代表のことをこうも言っていた――「ロバートソンは見ているだけで疲れる!」。

  • Alisson Liverpool 2024Getty Images

    5アリソン・ベッカー

    リヴァプールは、2018年のチャンピオンズリーグ決勝でレアル・マドリー相手にGKロリス・カリウスのミスで敗れ、主要大会で勝つにはワールドクラスのGKが必要だと痛いほど思い知った。そこでサッカー史上最も高額なGKとしてアリソンを獲得したのだった。ローマからの獲得のためにかかった6,700万ポンドは非常に有効に使われたことが証明された。すぐにアリソンは信じられないほどリラックスしたセーブのみならず、驚異的なパス・レンジでアンフィールドに歓喜を巻き起こしたのである。空中戦でも非常に有効であることを証明してみせ、2021年にはウェスト・ブロム戦で試合の最終盤にドラマチックな得点をあげて、リヴァプールの4位フィニッシュ確定に貢献した。何年にもわたるキャリアにおいてはおかしなミスもあったが、しばしば理屈では説明できない驚愕のセーブで何度もレッズを救っている。これ以上の影響力をもつGKは二度とリヴァプールに現れないと言っていいだろう。

  • Virgil van Dijk Liverpool 2024Getty

    4フィルジル・ファン・ダイク

    リヴァプールは、このオランダ代表がチームに是が非でも必要なリーダーであると確信していたため、サウサンプトンからの獲得を絶対にあきらめなかった。最終的に、ひとりのDFに対して世界最高記録となる金額を支払い、サウサンプトンはこのセンターバックを手放すことに同意した。だが、7500万ポンドがファン・ダイクを手に入れるのに安い金額であったことは、実際に証明されている。過去7年間、バックラインの心臓として活躍し、信じられないほど穏やかな性格で、周囲の誰をも落ち着かせてしまう。その結果、この紛れもなく世界最高のDFが、2023年の夏、ジョーダン・ヘンダーソンの後を継いでキャプテンとなるのは誰もが納得の選択だった。今年の初め、リヴァプールがチェルシーを破ったカップ戦の決勝で唯一の得点を決め、キャプテンとして最初のトロフィーを獲得したのも当然のことと言えよう。

  • Luis Suarez LiverpoolGetty Images

    3ルイス・スアレス

    ルイス・スアレスがアンフィールドにいたのはたったの3シーズン半だったが、数多くの得点を決め、多くのドラマを生みだしたため10年もいたかのように感じられる。まったく予測不能なこのウルグアイ代表は、まさに天性の才能の持ち主で、KOPの心を揺さぶる人間台風のようだった。全公式戦わずか133試合で82得点を記録し、その間ヨーロッパ・ゴールデン・シュー賞を受賞。単に偉大なストライカーであるだけでなく、重要な得点を決めて見せた。実際、リヴァプールでの最後の2シーズンは、どれほど多くの敵に囲まれていようと、スアレスならどこからでも得点できることを完全に信じさせていた。最終的にはトロフィーよりも噛みつきの回数のほうが多かったが、クラブ史上、これほど長く続く印象を残している選手はいない。

  • Mohamed Salah Liverpool 2024Getty

    2モハメド・サラー

    エジプトのキングは多くのサッカーファンから過小評価され続けているが、ユルゲン・クロップ時代に彼がいかに重要だったか言うまでもないことを考えれば、まったく馬鹿げた話である。この、恐ろしいほどゴールを量産するウイングは2017年夏にローマからアンフィールドに来た瞬間から、一貫して結果を出し続けており、イングランドに来た最初の年に、プレミアリーグのいちシーズン最多得点記録の更新までした。その後リヴァプールで200得点の壁を打ち破った男は、レッズの30年ぶりのタイトル獲得で中心的な役割を担い、チームを救ってきた。プレミアリーグ史上最高の選手である一人の2025-26シーズンはパフォーマンスの衰えが指摘されているが、このまま終わる男ではないはずだ。

  • Liverpool's English midfielder Steven GeAFP

    1スティーヴン・ジェラード

    リヴァプールの元キャプテンは、まさに「ロイ・オブ・ザ・ローヴァーズ」だった。驚異的な攻撃で知られる多才なMFで、おそらく最も重要なことに、最も大事な瞬間に何度も期待に応えてきた。ごく平均的であったリヴァプールが2005年のチャンピオンズリーグで優勝できたのは、彼がいたからだった。ジェラードは、グルーブステージのオリンピアコス戦で衝撃的なハーフボレーシュートを決めてラファエル・ベニテスのチームが大会を勝ち進むのに貢献し、決勝のミラン戦では本当に英雄的なプレーで奇跡の逆転勝利を引き寄せた。翌シーズンのFAカップ決勝のウェストハム戦でもリヴァプールを鼓舞し、この試合は「ジェラードの決勝戦」と呼ばれるようになった。ジェラードは合計17年間トップチームに在籍し、その間の多くでチームを牽引し、プレミアリーグの年間ベストイレブンを記録となる8回も受賞している。一言で言って、リヴァプール史上最高の選手のひとりである。