Man Utd selling woesGetty/GOAL

エランガは100億円超移籍? 遡ればマクトミネイ、ピケ…マンチェスター・Uの売るにしても安値すぎた選手6選

昨季の51年ぶりとなるワーストシーズンを経て、この夏に新たなゴールゲッターとしてマテウス・クーニャを獲得したものの、現時点で明るい兆しが乏しいマンチェスター・U。ルベン・アモリム監督は来たる新シーズンの挽回を期して新たにチーム作りを進めようとしているが、新たに狙うブライアン・エンベウモの交渉が進まないなど、ここまでの市場で苦戦が続く。

そんなマンチェスター・Uは今夏も現有戦力から数選手に売却話があるが、過去に放出した選手が行き先で活躍し、結果的に安く売りすぎた例も多々。今夏にはノッティンガム・フォレストで活躍するアンソニー・エランガが固定の5200万ポンド(約103億8000万円)+ボーナスでニューカッスル行きとの報道が浮かび、ベンフィカに手放したアルバロ・カレラスにもレアル・マドリー行きが取り沙汰される。

マンチェスター・Uはこの夏の売却が噂されるマーカス・ラッシュフォード、アレハンドロ・ガルナチョ、タイレル・マラシア、ジェイドン・サンチョ、そしてアントニーを適正価格で売れるのだろうか。『GOAL』は過去にマンチェスター・Uが安値で放出した選手を振り返っていく。

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    アンソニー・エランガ

    2021年11月、オーレ・グンナー・スールシャール体制に見切りをつけたマンチェスター・U。その後にメイソン・グリーンウッドがプライベートでの不祥事でキャリア停止に追いやられたなか、新たに期待されたのがエランガだ。だが、まだまだ未完成だった当時は若いにもかからわず、過度のプレッシャーにも苛まれ、翌シーズンにアントニーが加入。2023年夏に移籍金1500万ポンドでフォレスト行きを決断した。

    だが、フォレストでは2シーズンで公式戦11得点21アシストをマーク。そして、この夏にはマンチェスター・Uがアントニーやラッシュフォードの買い手探しに奔走するなか、フォレスト加入時の移籍金から3倍以上にもなる額でニューカッスルへと向かっている。

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  •  McTominay ScudettoGetty Images

    スコット・マクトミネイ

    スコット・マクトミネイにおいてはスールシャールがかつて「私にはどうして売却するのか理解できないね」と売却に首をかしげ、当時の指揮官だったエリック・テン・ハーグも手放したくない思いだった。だが、チームとしてPSRを遵守するために他の選択肢がなく、テン・ハーグ政権下でサブ的な立ち位置だったのも売却に至った理由だ。

    それによって、前の夏にウェストハムが提示した額よりも500万ポンド少ない2500万ポンドで昨夏にナポリへと売却されたマクトミネイだが、移籍先で瞬く間に人気を博す選手に。しかも、チームとしてスクデット奪還を果たし、個人としてもセリエAのMVPに輝いた。マンチェスター・Uからすれば、選手の価値を見極められなかった証といえるだろう。

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    アルバロ・カレラス

    マンチェスター・U時代にプレストンへのレンタル移籍も経験しながら順調に成長していっているように感じたが、ルーク・ショーとマラシアの負傷離脱があったにもかかわらず、起用されず。結局、チームは2023年9月にトッテナムからセルヒオ・レギロンをレンタルで獲得した。

    その後のグラナダへのレンタル移籍こそあまりうまくいかなかったが、ベンフィカ行きがヒット。マンチェスター・Uが左サイドバックの頼りどころを欠くなか、ポルトガルの地で躍動し、ベンフィカはまとまった額でレアル・マドリーに放出すると報じられる。ポテンシャルを見抜けなかったのはマンチェスター・Uだが、買い戻しオプションを行使しなかったことを悔やむはずだ。

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    ジェラール・ピケ

    ジェラール・ピケを17歳でバルセロナから獲得したマンチェスター・Uだが、結局は才能を見抜けず、ほぼ無償で手放す羽目に。当時はリオ・ファーディナンドとネマニャ・ヴィディッチという鉄壁のコンビがいたとあって、ほとんど出番を得られずだったが、指揮官だったサー・アレックス・ファーガソンは将来性を感じ取れず、わずか500万ポンドでバルセロナに送り返してしまった。

    その後、ピケはバルセロナで、そしてスペイン代表としても指折りのセンターバックに。当時のファーガソンはジョニー・エヴァンスがいれば安泰と考えたのかもしれないが、最大の失策の1つと言えそうだ。

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    アンヘル・ディ・マリア

    マンチェスター・Uを除けば、並外れたキャリアを築いたアンヘル・ディ・マリア。マンチェスター・Uは6000万ポンドを出して獲得したが、当時の指揮官だったルイス・ファン・ハールは輝かせ切れず、残念な結末に終わった。家族がマンチェスターでの生活に苦労した背景などもあるが、マンチェスター・Uでのキャリアはわずか1年だった。

    その後、移籍金4400万ポンドでパリ・サンジェルマンへと旅立ち、7シーズンにわたって活躍し、アルゼンチン代表としても2022年にワールドカップ優勝を経験。マンチェスター・Uを去ってからの活躍ぶりを見れば、移籍金額でもっと粘るべきだったか。

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    ディエゴ・フォルラン

    2002年1月にアルゼンチンのインデペンディエンテから700万ポンドでマンチェスター・Uに加入。タイトル獲得に大きなゴールを決めたりもしたが、マンチェスター・Uでは思い描いたようにいかず、2004年夏にたったの200万ポンドでビジャレアルに移籍した。

    だが、スペインの地で活躍し、2007年夏に1400万ポンドでアトレティコ・マドリーに移籍後も長らく中心選手としてプレー。さらに代表では2010年ワールドカップで得点王&MVPに輝き、2011年のコパ・アメリカ優勝にも導いた。

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