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ロペテギ、モイーズ、ネヴィル…フットボール史に残る悲惨な政権
Getty Images1スティーブ・マクラーレン/イングランド代表
“傘を持ったバカ”。イングランド代表のマクラーレン政権は、数ある代表監督の中でも最悪と評された期間だった。この元イングランド代表監督がピッチ脇で傘を持ったまま、呆然とチームが敗北するさまを眺めていた写真は有名だ。
マクラーレンはスヴェン・ゴラン・エリクソンの後任として選ばれた。彼の助監督としての経験、ミドルズブラでの功績により、マクラーレンはスリーライオンズ(イングランド代表の愛称)の監督に昇格した。しかし、EURO2008予選での好調なスタートとは裏腹に、代表監督の立場はいささか荷が重かったようだ。
予選最終戦のクロアチア戦。クロアチア代表はすでに突破を決めており、イングランド代表は勝つか引き分けるかで本選に出場できる状況だった。しかし、土砂降りのウェンブリー・スタジアムで行われた一戦は2-3の敗北で終わり、1994年W杯から数えて初めて国際トーナメントの出場権を失う失態に終わった。クロアチア戦の敗北は当然、マクラーレン政権の終わりを告げた。わずか1年と少しの期間であった。
Getty Images2チーロ・フェラーラ/ユヴェントス
近年のユヴェントスのセリエAでの絶対王政により、少し前までは今とは全く違った状況だったのが霞んでくるだろう。だがチーロ・フェラーラ政権はイタリアの貴婦人(ユヴェントスの愛称)の歴史上、汚点ともいえる時代だった。
選手としては、デッレ・アルピ(かつてのユーヴェのスタジアム)でファンのお気に入りだった。そして監督として、ファビオ・カンナヴァーロ、ディエゴ、フェリペ・メロなどのスター選手とともに打倒インテルを掲げた。しかし、ピッチ上では無残なパフォーマンスに終始し、リーグで順位を落としていった。
さらに、CLグループステージではバイエルン・ミュンヘンに屈辱的な1-4の大敗を喫した。しかも、3位で回ったヨーロッパリーグでもフラムにベスト16で敗れ、もはやフェラーラの立場は無くなった。そして、続く1月のコッパ・イタリアのインテル戦での敗北で指揮官として終わりを迎えた。最終的に、ユーべはこのシーズン7位で終え、モウリーニョのネラッズーリ(インテルの愛称)はかの有名なトレブルを達成した。

3ジョン・バーンズ/セルティック
名選手は名監督にあらず。この文言を一体何人が体現してきたことか。バーンズも現役時代は素晴らしい選手だったが、監督としては力不足だった。
当時のフットボール・ディレクター、ケニー・ダルグリッシュと共に1999年から監督としてベンチに座り、“ドリームチーム”と謳われたスコティッシュ・プレミアリーグの強豪セルティックを率いることになった。しかし、その夢は悪夢に変わった。
元リヴァプールとイングランド代表のスター選手はわずか8か月で解任され、セルティックも宿敵レンジャーズに勝ち点10差をつけられ優勝を逃した。
さらに、政権の終わりには、スコティッシュ・カップで2部のインヴァネス・カレドニアン・シッスルFCに敗北を喫した。
Getty4アンドレ・ヴィラス=ボラス/チェルシー
2011年6月、チェルシーはヴィラス=ボラスをポルトから引き抜くのに約1300万ポンド(現在のレートで約19億円)を費やしたと報じられた。このポルトガル人は、同郷出身である前任者ジョゼ・モウリーニョのように、クラブに栄光をもたらすと期待されていた。しかし、同じことは二度繰り返されることはなかった。
敗北に次ぐ敗北、奇妙な選手起用、CLベスト16ナポリ戦での1-3の敗北。リーグでは振るわずCLでは敗退の危機、当時33歳の青年監督にはチェルシーの監督の座は荷が重かったのかもしれない。最終的に2011年3月に一年と持たず解任され、後任にロベルト・ディ・マッテオが就任した。この監督の下チェルシーは息を吹き返し、リーグでは5位に終わったものの欧州CLではナポリ戦で奇跡の逆転劇から快進撃を続け、CL初優勝を飾った。
Getty Images5フリスト・ストイチコフ/ブルガリア代表
他にもかつての世界的名手が、名将にはならなかった例はある。ストイチコフの熱くなりやすい性格はストライカーとしては生きたが、代表監督としてはマイナスに働いてしまった。
元バルセロナのアイドルの下、ブルガリア代表は2006年のW杯とEURO2008の出場を逃し散々な3年間を過ごした。さらに悪いことに、彼の監督としてのキャリアは選手との確執が表面的になっていた。主将を務めた国民的2選手との関係悪化し、代表引退までしてしまった。そのうちの一人は、当時ブルガリア最高の選手と謳われたスティリアン・ペトロフも含まれていた。
そして、EURO2008予選敗退を機に解任。それ以降ブルガリア代表は国際トーナメントへ一度も出場できずにいる。
Getty6アラン・シアラー/ニューカッスル・ユナイテッド
ディエゴ・マラドーナとローター・マテウスが証明したように、“名選手は名監督にあらず”は真実と言えるだろう。
そしてマグパイズ(ニューカッスルの愛称)の英雄もそれを証明してしまった。シアラー政権が誕生したのが2009年4月のこと、そこから1部残留の希望を抱かれニューカッスル監督に就任した。だが、物事はそう思い通りにいかない。
この元イングランド代表FWの下、ニューカッスルは8試合で勝ち点5しか奪えず、チャンピオンシップ(2部)への降格を余儀なくされた。当然、続投のオファーも届かず、その後監督としてピッチに戻ることは二度と無かった。
Goal7ラファエル・ベニテス/レアル・マドリード
不運なロペテギのおかげで、ベニテスはレアルの過去10年間で最も早く更迭された監督とはならなかった。しかし、現ニューカッスル指揮官もベルナベウでの短い期間は散々なものだった。
25試合で17勝、わずか3敗しかしてないにもかかわらず、不愛想なキャラクターでクラブのファンと悪名高いフロレンティーノ・ロペス会長のお気に入りにとはならなかった。
クラシコでの0-4の大敗、コパ・デル・レイで出場資格のない選手を起用し失格処分。かつて、レアルの下部組織に選手としても監督としても所属した男に対する批判は集中した。結局2016年1月に解雇され、ジネディーヌ・ジダンに後を譲った。
Getty Images8ギャリー・ネヴィル/バレンシア
2015年12月にバレンシアの監督に就任したユナイテッドの元右サイドバックはメスタージャ(バレンシアの本拠地)でパッとしないまま終わりを迎えた。トップレベルでの監督経験も無いどころか、スペイン語もロクに話せない。歴史と伝統を備えるクラブにとってはまさにギャンブル人事だった。
ネヴィルのバレンシアでの出来栄えは批判を黙らすことはできずず、0-2で敗れたCLリヨン戦を皮切りにリーガで8試合未勝利が続いた。さらに、2月の0-7でのバルセロナ戦の大敗で解任報道が過熱し、そして3月30日に解任された。メスタージャでたった4カ月しか持たず、バレンシアをリーガ14位にまで落としてしまった。
Getty Images9デイビッド・モイーズ/マンチェスター・ユナイテッド
モイーズの前任者は27年間指揮してきた。しかし、前エヴァートン指揮官はたった11カ月しか持たなかった。サー・アレックス・ファーガソンの正統後継者としてオールド・トラッフォードに迎えられたが、散々なスタートを切った2013-14シーズンは途轍もないプレッシャーがかかっていただろう。
結果は伴わず、リーグでは7位と屈辱的に終わり、CL出場権を逃すという前代未聞のシーズンを過ごした。指揮官更迭の日は4月、前所属のエヴァートンに0-2と完敗し、リーグ4試合を残して解任された。
Getty Images10ジュレン・ロペテギ/レアル・マドリー
ジネディーヌ・ジダンの後を引き継ぐのは容易いことではない。しかし、結果としてロペテギは今夏のW杯前に受け取ったオファーに、丁重に断りを入れるべきだったと後悔しているに違いない。ベルナベウでは好調なスタートを切ったが、それは長く続かずクラシコ直前のリーガ4試合で3敗。順位を大幅に落とし、バルセロナ戦はまさにロペテギ政権の進退を決める一戦だった。だが、カンプノウで奇跡は起きなかった。ルイス・スアレスのハットトリックを含む大量5失点で無残にも敗北し、ロペテギの運命は閉ざされた。
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