モドリッチ、シャビ、ピルロにあの伝説的レジェンドも…史上最も偉大なセントラルMF20人

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『Goal50』で2018年度最優秀選手に選ばれたルカ・モドリッチ。だがレアル・マドリーとクロアチア代表の心臓は、フットボール史の中ではどれほどの位置づけなのだろうか?

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    ※選出方法

    クラブと代表でのクオリティ、勝ち取ったトロフィー、そしてビッグゲームでのパフォーマンスとその一貫性を元にリストアップ。とりわけ、ボランチとして活躍した選手を選出している。したがって、ミシェル・プラティニ、ジネディーヌ・ジダンやジーコのような、主にトップ下として活躍した選手は選出対象外。
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    20位:グレアム・スーネス

    美しくとも残忍とも言える、得点とアシストを量産する完璧なMFだった。そして、歴史上最もタフで、強靭な選手でもあった。かつて、ディナモ・ブカレストに所属していたモヴィラという選手は、勇敢にもこのスコットランド人プレイヤーに立ち向かった結果、顎を破壊されるという結末を迎えた。

    スーネスはピッチ上では、友好的でないことで知られていた。リヴァプールの選手間でも慕われるタイプではなかったが、多くの尊敬を集めていた。生まれつきの勝者であり、レッズ(リヴァプールの愛称)の元キャプテンはアンフィールドでの6年間で、5回のリーグ優勝と3回のUEFAチャンピオンズカップ(現欧州CL)を勝ち取った。

    元チームメイトのアラン・ハンセンはこう語る。「MFは星の数ほどいるが、彼が最強の“王”だ」
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    19位:ジャン・ティガナ

    ショッキングなPKで準決勝敗退した1982年W杯。だがその2年後のEURO1984を制したフランス黄金世代のダイナモだ。スペイン代表が誇った“クアトロ・フゴーネス(四人の創造者たち:シャビ、ダビド・シルバ、セスク・ファブレガス、アンドレス・イニエスタ)”の出現まで、アラン・ジレス、ジャン・フェルナンデス、ミシェル・プラティニと共にヨーロッパ史上最高と謳われた中盤を形成した。

    無尽蔵のスタミナで敵を追い回し、ボールを刈り取ることを得意とした。そして、ポジショニングも秀逸で、3-2で劇的勝利したEURO1984の決勝・ポルトガル戦では、絶妙なボールカットからプラティニへのパスでロスタイムでの決勝点をアシストと、大きな貢献をした。

    さらに、1980年代フランスサッカー界を席巻したボルドーでも中心選手として活躍した。1985年UEFAチャンピオンズカップでも、最終的にはその年の王者となったユヴェントスに敗れたが、準決勝進出の原動力として活躍した。
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    18位:ロイ・キーン

    その気難しい性格から、実力はありながらもその言動にばかり注目されていた。キャリアを通して敵味方関係なく衝突し、貪欲に勝利を求めるその姿勢はまさに諸刃の剣であった。前マンチェスター・ユナイテッド監督のアレックス・ファーガソンのように、自分も含む全員に100%以上を要求する姿はまさにピッチ上の指揮官だった。最終的に、ファーガソンとの確執が原因でユナイテッドを去ったが、在籍期間で7回のリーグ優勝と1回の欧州CL優勝に大きく貢献した。

    このアイルランド・コーク出身の選手は出場停止でCL決勝は出場できなかったが、ファーガソン曰く、1999年に成し得たトレブル(三冠)はキーン抜きでは不可能だったという。特に、準決勝セカンドレグ・ユベントス戦で見せたパフォーマンスは圧巻の一言だった。

    後にファーガソンは、「トレブルを達成した年は、紛れもなく私のフットボール人生のハイライトの一つだ。キーンのような選手と仕事できたことをとても誇りに思う。」とコメントしている。
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    17位:ジジ

    1958年W杯最優秀選手に選ばれた“ジジ”ことヴァルディール・ペレイラは、ブラジル代表が誇ったFKの魔術師だった。そして“The Beautiful Game”という用語の生みの親でもある。

    フルミネンセ、ボタフォゴ、レアル・マドリーで活躍したブラジル人スターは、“枯れ葉”と呼ばれる急激に落ちる予測不能なFKを得意とした。代表では通算20点あげているが、その内の12点はFKから生まれている。さらに、素晴らしいパスセンスと戦術眼で2回のW杯優勝に貢献し、1950年に開場したリオデジャネイロのエスタジオ・ド・マラカナンでの記念すべき初ゴールを飾った
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    16位:ポール・スコールズ

    かつてマンチェスター・ユナイテッドで活躍したオーレ・グンナー・スールシャールは、「ポール・スコールズは足も遅いし、運動量もない。競り合いにも勝てないけど、彼がチームの中で最高の選手さ!」と冗談交じりに元チームメイトを讃えた。

    同意しかねる人たちもいるだろう。だが、かつての同僚であるデイビッド・ベッカム、ギャリー・ネビル、リオ・ファーディナンド、そしてライアン・ギグスもこの小柄な選手こそ共にプレイしたなかで最高の選手と分かっていた。パスレンジの広さとその精度、トレーニングの時でさえも失うことのないボールキープ。勝者のメンタリティを兼ね備えた本物のプレイヤーだった。

    スコールズは11回のリーグ優勝に大きく貢献したほか、2回のヨーロッパタイトルを獲得した。彼自身寡黙なタイプであったが、その功績が彼がどれほどの選手だったかを雄弁に語っている。
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    15位:マリオ・コルナ

    ベンフィカの伝説的選手で、1960年代のポルトガル代表黄金世代の中心だったモザンピーク出身のスーパースター。50年経った今でも世に名前を知られる“黒豹”エウゼビオほど有名ではないが、チームに与えた影響は計り知れなかった。MFとして素晴らしい資質を持ったキャプテンであり、“聖なる怪物”と呼ばれ畏怖される存在だった。フィールドを支配し、ベンフィカでの16シーズンで通算127ゴールを挙げた。

    最大の栄光は、1961年と1962年の2期連続で、UEFAチャンピオンズカップでバルセロナとレアル・マドリーを決勝で破る値千金のゴールを挙げたことだ。そして、エウゼビオの後を追うように、2014年に惜しまれつつもこの世を去った。
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    14位:マルコ・タルデッリ

    1982年W杯決勝西ドイツ戦で挙げたイタリアの2点目、その後の狂喜乱舞ともいえるゴールパフォーマンスは“タルデッリの雄叫び”と呼ばれ、脚光を浴びた。「奥底に秘められた叫びと共に生まれた。あれは、然るべくして出たものだ」と後に語っている。

    チームのポゼッションのためならばどんなことも厭わない意志を持った選手だった。だが、ボール奪取だけが彼の持ち味ではない。テクニック、戦術理解度にも優れ、イタリア代表の世界制覇とジョバンニ・トラパットーニ監督時代のユヴェントスでのヨーロッパ制覇の原動力となった。
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    13位:ジェルソン

    1970年のブラジル代表は、W杯の歴史の中でも最強と評されている。ペレ、ジャイルジーニョ、トスタン、カルロス・アルベルトなど各ポジションにスーパースター揃えていたからだ。

    そんな彼らが築いた栄光に隠れがちなのが、ジェルソンだ。だが専門家たちの間では、この時のW杯優勝の最大の立役者は彼だと賛辞を惜しまない。チームの頭脳であり、メキシコ大会ではすべての試合で中盤を支配した。決勝のイタリア戦ではマン・オブ・ザ・マッチに選ばれる活躍をみせた。1-1の膠着状態から、左足から繰り出される魅惑のパスで試合をひっくり返し、セレソン(ブラジル代表の愛称)に3度目のW杯トロフィー戴冠をもたらした。
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    12位:ヨハン・ニースケンス

    ヨハン・クライフが提唱した“トータル・フットボール”の体現者であり、1970年代にフットボールの常識を覆した当時のアヤックスとオランダ代表の一人。伝説的選手だったクライフの哲学を熟知しており、二人はUEFAチャンピオンズカップ3連覇を達成し、1974年W杯でもオランダ代表の一員として準優勝を果たした。

    貪欲にゴールを狙う運動量豊富な選手だった。さらに、元々右サイドバックだったことから守備にも優れ、その狂暴なタックルで“闘牛”とカンプ・ノウの観客から呼ばれ、讃えられた。彼の功績は、クライフの功績と比べてしまうと一段見劣りしてしまうかもしれないが、ニースケンスは笑顔で「世界で二番目の選手でも僕は構わないよ!」と言い放っている。
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    11位:ヴォルフガング・オヴェラート

    彼が偉大過ぎたゆえ、当時世界最高のMFの一人と謳われていたギュンター・ネッツァーでさえ西ドイツ代表で37試合しか出場できなかった。オヴェラートは紛れもない天才で、その左足から繰り出すチャンスメイクは見る者を魅了した。このアーティストは、中盤を幅広く動き回り、エリア外からの正確なパスとミドルシュートで敵を脅かした。

    ケルンにすべてのキャリアを捧げ、1964年にはクラブにリーグ初タイトルをもたらした。代表レベルでは、1970年W杯でのブラジル代表の支配にも関わらず、最優秀選手賞を受賞した。そして、4年後の母国開催となった西ドイツ大会では、中心選手としてチームを引っ張り、優勝を飾った。
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    10位:ルカ・モドリッチ

    今年の『Goal50』最優秀選手であり、10年前トッテナムへと加入して以降素晴らしいパフォーマンスを続け、世界最高の一人と数えられるのがルカ・モドリッチだ。

    彼をさらなる高みへと押し上げたのは、レアル・マドリーに移籍してからだ。歴史上どのチームも成し得なかったCL三連覇は、彼の運動量とプレーの閃きが無ければ達成されなかっただろう。

    さらに、ロシアW杯で史上初めて決勝へと進んだクロアチアをキャプテンとしてけん引。自身もゴールデンボールに輝いた。
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    9位:クラレンス・セードルフ

    類いまれなるフットボールIQを持ち、現役時代からひたすら戦術にこだわっていた。マッシミリアーノ・アッレグリも、このオランダ人MFが「戦術オタク」だと認めるほどだった。彼がいつも口にすることは詳細な戦術、そして議論の嵐だったからだ。

    だが、それも驚くべき話ではない。セードルフはあの有名なアヤックスアカデミー出身で、あらゆるフットボールの側面を教育されてきたからだ。一度ピッチに入れば、それが明らかだった。知性と創造性を兼ね備え、素晴らしいパスセンスと類まれな得点感覚を持った選手であり、アヤックス、ミラン、レアル・マドリーと異なる3つのクラブで欧州CLを制した歴史上唯一の選手だ。
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    8位:ファルカン

    1980年、ローマはジーコを獲得する代わりにファルカンを獲得し、世界中の笑いものとなった。しかし、彼自身が世界で最も完成されたMFと証明し、批判を吹き飛ばした。ピッチ上では将軍のように佇み、戦術的にも技術的にも卓越した能力を持つその様は“ローマの第八皇帝”と呼ばれ、恐れられた。

    1983年にスクデット獲得し、その翌年にはUEFAチャンピオンズカップ準優勝を経験した。代表レベルでは、1984年W杯でブラジル代表として、ソクラテス、エデル、セレーゾ、ジーコ共に活躍した。敗れはしたものの、その大会の覇者になったイタリア戦では得点を挙げた。
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    7位:ジャンニ・リベラ

    イタリアサッカー界の初代“ゴールデン・ボーイ”と呼ばれ、たった15歳で地元のクラブ、アレッサンドリアでセリエAデビューを飾った。これが契機となってミランに引き抜かれ、その後19年間で3回のスクデットと2回のUEFAチャンピオンズカップを獲得した。

    素晴らしい戦術眼と知能を備えた稀代のプレーメーカーであり、1969年チャンピオンズカップ決勝アヤックス戦での4-1の勝利は、彼のキャリアのハイライトの一つに数えられる。そして、その年のバロンドールを受賞した。代表レベルでは、当時インテルに所属していたサンドロ・マッツォーラと並び世間から注目を浴びていたが、母国開催となったEURO1968で優勝に大きく貢献。さらに、2年後の1970年W杯でも準決勝で西ドイツ代表を4-3で破る貴重な得点を挙げた。
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    6位:アンドレス・イニエスタ

    現在サッカー界で最も尊敬されている選手の一人であり、バルセロナとスペイン代表でその類まれな才能を遺憾なく発揮してきた。元チームメイトのイヴァン・ラキティッチはかつて、「イニエスタのことが好きになれないなら、フットボールは好きにはなれないよ」ともコメントしている。

    広大な視野、卓越したボールコントロールにドリブル。イニエスタは2009年と2015年にバルサで成し遂げた二度のトレブルの原動力となった。そして、EURO2008、2010W杯、EURO2012と3大会連続国際タイトルを獲得したスペイン代表でも中心選手として大車輪の活躍をみせた。
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    5位:ルイス・スアレス

    1960年代初頭、彼は世界最高のMFだっただけでなく、世界で最も高価で完成された選手だった。4度バロンドール候補に選ばれ、1度栄冠に輝いている。エレニオ・エレーラ率いるインテルで中心選手として活躍し、2季連続のUEFAチャンピオンズカップ優勝に貢献。名実ともに、魅力あふれるチームの頭脳として活躍した。

    “創造者(The Architect)”と名付けられたように、スアレスの視野とパスセンスは、スペイン代表のEURO1964制覇の原動力となった。バルセロナ所属時も2度のリーグタイトル獲得に大きく貢献している。
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    4位:フランク・ライカールト

    1987年にマルコ・ファン・バステンとルート・フリットを獲得したミランは、その年に初めてスクデットを獲得した。そして、続く1988年夏にフランク・ライカールトを獲得すると、UEFAチャンピオンズカップ初優勝を果たした。

    背が高く、エレガントで空中戦に強く、マークを外す動きにも優れ、テクニックもあった。アヤックスでは主にセンターバックを主戦場としていたが、ミランではボランチとして活躍しながら、欲しい時に貴重なゴールを奪うゴールセンスもあった。

    「ドゥンガ、マルセル・デサイー、ロイ・キーン、パトリック・ヴィエラ……素晴らしいボランチは数多くいたが、ライカールトがそのポジションで最高だよ」ロナルド・クーマンはそう確信していた。

    タイトルへの強烈な意欲は、そのキャリアがビッグクラブに彩られたのもある。オランダ代表でも名を上げ、EURO1988では国際大会で初戴冠を飾った。
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    3位:シャビ

    バルセロナとスペイン代表が10年近く輝かしい栄光に満ちていたのは、彼がいなければ成し遂げられなかっただろう。クラブでも代表でもチームにスイッチを入れる存在だった。驚異的と言う他ないプレービジョンとゲームのテンポを支配する能力。彼に通せないパスは無い。他の誰もシャビの真似は出来なかった。

    「もしフットボールが化学なら、シャビは新しい法則を見つけるだろう。足にボールがあれば、彼のように他の選手と緻密にパスでコミュニケーションを取れる選手は存在しない」。元アルゼンチン代表ストライカー、ホルヘ・バルダーノはそう語っている。
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    2位:アンドレア・ピルロ

    ジャンルイジ・ブッフォンは、ユベントスがアンドレア・ピルロと契約したニュースを知ったとき、「神は存在した!」と叫んだという。確かに、彼のトリノ入りは神の啓示に似たようなものを感じた。ミランで2度欧州の頂点に立ち、フリートランスファーでユヴェントスへ移籍。前のシーズンで7位に沈んでいたチームを王者に押し上げる原動力となった。

    恐らく、ピルロにつて一番印象的なことは、選手として偉大でありながら冷静さを失わないスタイルだろう。彼は多くの選手が押しつぶされてきたプレッシャーについて、以下のように語っている。

    「プレッシャーを感じたことはない。気にしたこともない。2006年7月9日、その日はベルリンにいて、午後は寝たりプレイステーションをして時間を潰したよ――そして、夜に外へふらっと出て、W杯を勝ち取った」
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    1位:ローター・マテウス

    ローター・マテウスがどれほど素晴らしかったか?ディエゴ・マラドーナは彼を“最高のライバル”と讃えている。

    長い選手生活の中で輝かしいキャリアを築き、EURO1980を制した19歳からの20年間、ドイツフットボール界の最前線で活躍した。バイエルン・ミュンヘンとインテルでアイコンだった彼は、広い視野とゲームの流れを読む力に長け、スイーパーとして長らく活躍した。だがキャリアの終盤には、ボックス・トゥ・ボックス型のMFとしてプレイし、それでも圧巻のパフォーマンスを披露した。

    事実、1990年の西ドイツ代表のW杯優勝は彼の貢献が計り知れなく、全試合で4ゴールを挙げた。この活躍もあって、結果的にその年のバロンドールに選ばれた。