2020年になり、移籍市場の噂も絶えない。
そんな中、『Goal』では過去10年間で最高のフリー移籍(ゼロ円移籍)を果たした15人の選手を選定。最も“コスパ”の良い移籍は誰だったのだろうか。
Getty/Goal2020年になり、移籍市場の噂も絶えない。
そんな中、『Goal』では過去10年間で最高のフリー移籍(ゼロ円移籍)を果たした15人の選手を選定。最も“コスパ”の良い移籍は誰だったのだろうか。
Getty Imagesパリ・サンジェルマンで成功を収めた王、イブラヒモヴィッチ。リーグ・アン優勝を含む12のトロフィーを掲げたが、2016年にマンチェスター・ユナイテッドへの移籍を決断した。
イングランドでは全コンペティションで計28ゴールを挙げ、チームをリーグカップとヨーロッパリーグ(EL)優勝に導いた。シーズン後半を負傷で離脱したにも関わらず、大車輪の活躍であった。
翌シーズンに復帰し、レッドデビルズで5試合に出場したが、2018年3月にはMLSのロサンゼルス・ギャラクシーに移籍した。
Getty Imagesバイエルン・ミュンヘンで困難な2010-11シーズンを送った後、移籍金ゼロでラツィオへの移籍を許可された。
当時すでに33歳であったが、イタリア・フットボール界に旋風を巻き起こした。ラツィオで171試合に出場し、63ゴールを決めたのだった。
クローゼは最後の優勝カップをラツィオで掲げることに成功した。ラツィオは2013年にコッパ・イタリア優勝を果たした。
Getty2017-18シーズン終了後、デンマークのクラブ、ブレンビーとの契約を延長せず。するとカナリーズ(ノリッジ・シティの愛称)はこのフィンランド人ストライカーを獲得し、2018-19シーズンのチャンピオンシップ(イングランド2部リーグ)優勝を狙った。
プッキは29ゴールを挙げてその期待に応え、3年を2部で過ごしたノリッジのプレミアリーグ昇格に貢献した。
29歳のプッキは、自身初となるプレミアリーグでの今シーズン、これまで20試合9ゴールを挙げ鮮烈なインパクトを残した。シーズン序盤5試合で6ゴールを挙げた見事なパフォーマンスも印象的だ。
Getty Images前アーセナル監督のアーセン・ヴェンゲルが、マテュー・フラミニを2度もゼロ円移籍で獲得しているという事実は驚くべきことだ。2004年と2013年のことである。
最初の契約は2008年に終了し、その際にはセリエAのACミランに移籍金ゼロで移籍した。
しかし、ヴェンゲルは5年後にイタリアから彼を呼び戻すことを決意。その後のフラミニはガナーズで93試合に出場し、2度のFAカップ優勝をチームにもたらした。その後2016年にクリスタル・パレスに移籍している。
Getty Images2015年、レアル・マドリーでの序列が下がって退団を決意。ユヴェントスへと新天地を求めた。
彼がチームにもたらした影響は近年薄れてしまっているが、このドイツ代表選手はビアンコネリが最近獲得した4度のスクデットのうち3度において重要な役割を担ってきた。
ケディラはトリノで得点力を開花させ、2017-18シーズンには9ゴールを挙げた。これはマドリーに在籍した4年間で獲得したゴールと同数だ。
ケガの影響で最近の試合出場数は減少しているが、出場するたびに年俸に見合う価値を示し続けている。
Tomás Quifes | Goal2017年にセビージャへ戻ってきたが、この移籍は、キャリアを締めくくるために古巣に戻ってきたベテラン選手に典型的な挙動のように見受けられた。しかし、マンチェスター・シティではウィンガーだったナバスは、古巣で再生を遂げたのだった。
エティハドではペップ・グアルディオラに時々右サイドバックとして起用されていたこともあり、このゼロ円移籍によってセビージャでの彼の立ち位置を確立。チームで好調を維持することでキャプテンマークを巻くだけに留まらず、さらに3月には6年の空白期間を経てスペイン代表に再招集されるまでのカムバックを遂げた。
ロヒブランコス(セビージャの愛称)は、なんとメインスタンドの名前をナバスにちなんで改名することに決めた。
Getty Imagesアーセナルで2度のFAカップ優勝に貢献したが、絶頂期にあった2015年に膝のケガによって離脱を強いられてしまった。
復帰は2015-16シーズン開始に間に合ったが、スペイン代表でプレーしていたときに痛めた古傷の足首を再び負傷してしまい、低調な結果に終わってしまった。
傷口に感染症を起こし回復が困難を極めたため、足首に複数回の手術を行った。これが足にメスを入れる必要があるタイミングだったのだと語ったカソルラは、感染症を起こしたアキレス腱を手術により8センチ失った。
33歳になったカソルラは18か月間もの期間をプレーできずに過ごした。アーセナルはこのスペイン人との契約を更新せず、次に契約したのが彼の前所属クラブ、ビジャレアルだった。
現在は35歳となったが、ラ・リーガで好調を取り戻している。これまで5ゴール4アシストを記録し、6月にはスペイン代表にも復帰した。
Bongarts16個のトロフィー獲得に貢献した栄光のレアル・マドリー時代を終え、次に選んだのがブンデスリーガだった。2010年にシャルケに移籍したのだ。
2年間という短い期間の間に、このスペイン人は自身の持つゴールゲッターの嗅覚をすべて見せつけた。98試合出場で40ものゴールを叩き出す。この活躍でチームに2つのトロフィーをもたらした。
何より絶大だったのは彼がもたらしたインパクトだ。シャルケはラウールに敬意を評して背番号7を欠番としている。

バルセロナは2016年夏、ダニ・アウヴェスのゼロ円移籍を認めた。1年の契約期間が残っていたにも関わらずである。これはクラブの愚行であるように思われ、まさにそのとおりであった。
33歳にしてこのブラジル人は世界最高の右サイドバックで、バルサは彼の代役を見つけ出すことができなかった。いまだに彼に値する後継者を探しているほどだ。アウヴェスはたった1シーズンの在籍でユーヴェの国内2冠に貢献し、また彼のトロフィー獲得数を増やすに至った
特筆すべきは、ユーヴェがバルサの失敗から何一つ学んでいなかったことだ。ユヴェントスはアウヴェスと2年契約を結んでいたにも関わらず、12か月で手放してしまったのだ。以前ブラウ・グラーナを率いたペップ・グアルディオラとマンチェスター・シティで再会したい、という彼の意思を聞き入れて譲歩する格好であった。
しかし、アウヴェスは見事に態度を一変させ、なんとパリ・サンジェルマンに加入。そこでさらに獲得トロフィーを増やしていった。その後は故郷のブラジルに戻りサンパウロと契約。36歳にして力強く第一線で活躍している。

2015年、ヨーロッパの複数クラブからのオファーを断ってメキシコに移籍し、関係者の多くを驚かせた。
しかし、このショック療法はフランス人フォワードにとって大成功だった。ティグレスUANLに加入してから得点を量産し続けている。
実際、ジニャックはクラブでの歴代最多得点記録を樹立し、これまでにリーガMXで4つのタイトルを手にした。
Getty Imagesディエゴ・シメオネを監督に迎えたアトレティコ・マドリーがヨーロッパでも最もタフなチームになることができたのは、ミランダの加入が一つの大きな要因となった。
2011年にサンパウロからフリートランスファーで加入。ディエゴ・ゴディンとともに、疑いようもなくクラブフットボール界で最も強固なディフェンス陣を形成した。これが2014年、ロヒ・ブランコスのリーガ制覇の礎になったのだ。
もちろん、同郷のライバルであるレアル・マドリーにCL決勝のアディショナルタイムで失点したことは、当時の栄光の裏側で永遠について回る悪夢だ。だがこの1年前、アトレティコは決勝での勝利を経験している。コパ・デル・レイの決勝、まさにサンティアゴ・ベルナベウでミランダが決めた決勝ゴールは永遠に色褪せない。
Getty Imagesマンチェスター・ユナイテッドで壁に突き当たり、2012年にユヴェントスへ。議論を呼ぶ移籍であったため、レッドデビルズは怒りに顔を赤くした。
次の4シーズンで、このフランス人はセリエAの新星となった。毎年国内タイトルをユヴェントスにもたらし、ポグバ自身も2013年にゴールデンボーイ賞(ヨーロッパの最優秀若手選手に贈られる賞)を受賞したのだ。
失敗を正すことに躍起になったユナイテッドは2016年、1億500万ユーロ(約127億円)もの移籍金を支払い、ポグバをオールド・トラッフォードに呼び戻した。
Getty Images「アンドレアが僕らのチームに加入すると話してくれたとき、僕が最初に思ったのは、"神は存在するのだ"ということだった。彼に移籍金がつかないことは言うまでもないが、あのレベルの能力を持った選手なのだから、世紀の契約になるだろうと思ったよ!」
ジャンルイジ・ブッフォンは2011年のピルロ加入をこのように総括した。
ミランで10シーズンを過ごしたのち、当時32歳であったピルロはユーヴェへの移籍を許可された。そしてユヴェントスは喜んでこのベテランMFのもたらす恩恵を享受した。
選手として高齢ではあったが、ピルロは自身のクオリティが永遠のものであることを証明した。チームをセリエA4連覇に導いたのだ。
Getty贔屓のクラブのスター選手をライバルに引き抜かれる以上の悪夢はあるだろうか? それもゼロ円移籍で失うとしたら。
これはまさに、2013年にボルシア・ドルトムントに起こったことであった。ロベルト・レヴァンドフスキがバイエルン・ミュンヘンと合意に至ったのだった。
ドルトムントですでに得点を量産していたレヴァンドフスキであったが、このポーランド人のゴールへの嗅覚はバイエルン移籍でさらに鋭くなった。その結果、クラブを5回のブンデスリーガ優勝に導き、自身は4回の得点王に輝いている。
近年国内タイトルを総なめにするバイエルンのカギは、レヴァンドフスキのゴールと、最大のライバルから彼を無料で引き抜けたことに尽きる。
Gettyマンチェスター・シティからフリートランスファーで獲得したことは、近年のリヴァプールにとって目立つ移籍ではなかったかもしれないが、最高の移籍の一つであったことは間違いない。
万能タイプのベテラン選手であるミルナーは、レッズに安定をもたらす存在であることが証明された。ユルゲン・クロップが必要とすればどのポジションにも入ることができる上、さらに数々のアシストを供給した。
ミルナーには、サディオ・マネやモハメド・サラーのような驚異的なスピードや卓越した技術はないかもしれないが、ここ5年間のチームへの貢献度は計り知れないものだ。特にこのような選手をタダで獲得することができ、しかも優秀なPKキッカーだということも分かってしまったのだから。