【クラシコ特別企画】ジダン、ロべカル、モドリッチ、ロナウド…現地記者が選ぶレアル・マドリー最強ベストイレブンは…

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28日に開催される全世界注目のクラシコ。『Goal』では、この一戦を前に現地記者に各クラブの21世紀(2001年以降)ベストイレブンを選出してもらった。レアル・マドリー版は、スペイン有力紙『アス』で番記者を務めるカルロス・フォルハネスが選出。彼が高く評価する11人とは…。(翻訳・構成=江間慎一郎)

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    ■GK:イケル・カシージャス

    今世紀におけるレアル・マドリー最高のGK、それは15年にもわたってゴールを守り続けた守護聖人イケル・カシージャス以外に考えられない。攻め続けるがゆえに後方が疎かとなってしまうチームの中で、カシージャスは致死的な危機を何度も救ってきた。全盛期の彼が苦手としていたのは空中戦だけで、セビージャ本拠地サンチェス・ピスフアンで披露した超スピードの横っ飛びなど、決して忘れることのできないセーブをいくつも生み出している。ジョゼ・モウリーニョとの確執を発端として、悲しい形でクラブを去ることにはなかったが、それでもその功績が失われることはない。マドリー史においては、聖人よりも多くの奇跡を起こした人物として刻まれている。
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    ■右サイドバック:ダニエル・カルバハル

    候補として頭に浮かんだのは、カルバハルとミチェル・サルガド。どちらもスタミナ豊富で何度もアップダウンを繰り返せるが、ルイス・フィーゴのサポート役が主な役割だった後者ではなく、ファルソ・エストレモ(偽ウイング)として直接的に相手に打撃を加えられる前者を選ばせてもらった。カルバハルはマドリーの右サイドをこれから先も占有することになり、セルヒオ・ラモスが去ったときにはキャプテンマークを巻くことにもなるだろう。今季のUEFAスーパーカップ、セビージャ戦のゴラッソは鮮烈そのものだった。唯一の問題は、ミラノ、キエフでのチャンピオンズリーグ決勝を欠場するなど、大事な局面で負傷に悩まされることか。いずれにしても、彼がスパイクを脱ぐときにマドリー史上最高の“2番”として扱われている可能性は、相当に高い。
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    ■センターバック:セルヒオ・ラモス

    セビージャ出身のセルヒオ・ラモスだが、フラメンコというより、その全身の彫られたタトゥーが示すように良くも悪くもロックンロールな人物だ。マドリーの歴史において最も退場数が多く、それと同時にチームを直接的に栄光へ導く存在こそが、S・ラモス。2014年のチャンピオンズリーグ決勝アトレティコ・マドリー戦で92分48秒に決めた起死回生の一発は、クラブ史に深く刻まれている。類い稀なるリーダーシップの源泉でもあるその底なしの自信が、あのような終了間際の奇跡的なゴールを生み出す。まさにマドリディスモの、不撓不屈の精神の体現者である。
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    ■センターバック:フェルナンド・イエロ

    通算102得点。MFを務めていた時代もあったことで、セルヒオ・ラモスらがいる中でマドリー史上最多得点DFの称号を得ているのがフェルナンド・イエロ。彼の蹴るフリーキックは正確そのもので、ロナルド・クーマン以外には匹敵する選手が存在しなかった。マドリー激動の時代に、一本芯の通った性格、強靭なメンタリティーでチームを支えた。(重圧をかけることも意図した)審判との積極的な話し合いや、クラシコにおけるストイチコフとの睨み合いなど、その度胸の据わり方は常識を逸している。だからこそロシア・ワールドカップの2日前にスペイン代表を率いる決断すら下せるのだろう。彼は2002−03シーズンのリーガ優勝直後、ビセンテ・デル・ボスケとともに裏口からクラブを出て行くことを余儀なくされた。それはレアル・マドリーでしか起き得ないことだろう。
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    ■左サイドバック:ロベルト・カルロス

    現代フットボールにおいて、最たる革命を起こした左サイドバック。マルセロを選ぶべきと異論を唱える方々もいるかもしれないが、あの丸っこい超絶技巧のブラジル人DFは、筋肉隆々の同胞が“超攻撃的サイドバック”の存在価値を示さなければ、マドリーに居場所を見出すことなどできなかった。

    今から22年前、R・カルロスは“360万ユーロ”ぽっちでマドリーで加入。クラブ史上においても、最も安上がりな選手の一人だった。彼の左足は、まさに悪魔的。それは球威の凄まじさはもちろん、アウトサイドで蹴ることによって、歪な曲線を描くからでもある。スタッド・ド・フランスで放ったあの誘導ミサイルは、フットボール史の中でも“最強最悪の武器”の一つに数えられている。いや、100メートル走の選手のようなスプリントを疲れ知らずで繰り返し、ストライカーよりも恐れられたあの選手自体が、“禁断の兵器”そのものだったのかもしれない。

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    ■セントラルMF:ルカ・モドリッチ

    トニ・クロースかモドリッチか悩んだが、アスリートの才能の宝庫として知られるダルマチアが生んだ天才MFを選ばせてもらった。チャンピオンズリーグ(CL)三連覇を果たした現チームで、彼以上にチーム全体のパフォーマンスに影響を与えている選手はいない。現代のマドリディスタスにとってはおそらく、フェルナンド・レドンドと並ぶマドリー最高の“5番”タイプの選手だ。

    モドリッチはギャップの塊である。虚弱にも見えるフィジカルながらも献身的な守備を見せ、中盤の空いたスペースで相手にボールを持たれるときには、全速力で潰しにいく。また内気な佇まいながら、リーダーとして言うべきことははっきりと口にする。「僕たちは学ばなければならないと言うが、一度だって学んだことなどない」。彼はマドリーが危機に陥ったときには、決まってこう声を張り上げて、チームメートの奮起を促してきた(最後にそう発言したのはラファ・ベニスが率いていた時代。もう一度その言葉を繰り返すタイミングは、まさに今か)。

    ギャップなく、そのままであるのは、クライフに似た顔つき通りに創造性あふれるプレーを見せること。あの華麗なアウトサイドのパスを繰り出すときを顕著として、自身の身体の向きや態勢がどうであろうが、チームメートが望む(相手選手が意表を突かれる)タイミングで、理想的なボールを出すことができる。幼少時、ユーゴスラビア紛争の中で祖父を殺され、難民生活を強いられた戦の子は、今年のバロンドール受賞本命だ。先述のクライフとの比較は、実際にはもう意味も価値も持ち得ず、彼はルカ・モドリッチとして、フットボールの歴史に深く名を刻んでいる。

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    ■右ウイング:ルイス・フィーゴ

    2000年夏に当時史上最高の移籍金6200万ユーロでバルセロナからレアル・マドリーへの“禁断の移籍”を果たして、両クラブ間の関係をさらにこじらせたフィーゴ。フロレンティーノ・ペレスが築き上げたガラクティコス(銀河系軍団)の第一号でもある。

    彼が白いユニフォームを纏って、初めてカンプ・ノウに戻ってきたときには、豚の頭やウイスキーの空瓶がピッチ上に投げ込まれ、大音量の指笛がスタジアムに響きわたっている。このひしゃげた豚の顔つきそっくりの憎悪は、愛情から転化したもの。フィーゴはそれだけの愛を集められるほどに優れた選手で、ここ20年間で最も優れたウインガーだった。相対するサイドバックとの絶妙な間合いの取り方、深い切り返し、加速力、精度の高いキック……。彼はウインガーに求められるすべてを持ち合わせ、だからこそ金も、愛も、憎しみだって手にしたのである。

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    ■トップ下:ジネディーヌ・ジダン

    グラスゴーでのCL決勝で見せた、あのボレーシュート……。ビートたけし主演の映画『女が眠るとき』の原作者であり、熱狂的マドリディスタとしても有名なスペインの著名作家ハビエル・マリアスは、その瞬間を次のように描写していた。

    「ロベルト・カルロスがペナルティエリア内に送ったボールは、まるで風船のようにぐんぐん高度を上げていった。その時点において、ボールが枠内に収まることなど、ジネディーヌ・ジダン本人でさえも想像していなかった。ならば、ゴールとするアイデアはいつ生まれたのか? ボールが最高度に達し、落ちることをためらっていた刹那である。ジダンはそこで、それが自身の位置する場所に落ちることを確信し、決心した。そのボールが超自然的な、天からの贈り物であることを認めて、運に、即興にその身を委ねたのだった。ジダン自身もあのボールと同じく、天から降り立った人物のようだ。だからこそ、同じところから届いた贈り物に身体を動かせたのだろう」

    これがジダンという存在である。彼はレアル・マドリーのハレー彗星……、一世代に一回しか拝むことのできない選手だ。時を止めるトラップ(実際にビデオを一時停止やスローにする人もいただろう)、絶妙のタイミングで繰り出されるルーレット……すべてのプレーがエレガントで、そのギャップを突くような、はにかんだような笑顔にも心を奪われる。ジダンはレアル・マドリーの監督として、さらなる偉業を達成したわけだが、ベルナベウのベンチに座ることが決定したときには、多くのマドリディスタが彼の名と背番号5がプリントされたユニフォームを求めた。そうやって行動を起こした人々には、確固とした自覚があるのだろう。そう、この世代に生きる全員が、彼という奇跡の証人なのである。

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    ■左ウイング:クリスティアーノ・ロナウド

    レアル・マドリーの116年の歴史の中で、最も決定的な選手。彼が残した438試合450得点という記録は、これから加わる選手がどれだけ大きな鳴り物でもって迎えられても超えられないものであり、マドリディスタたちであっても同じような得点率など期待しないはずだ。

    クリスティアーノは頭のてっぺんからつま先までプロフェッショナルであり、頭のてっぺんからつま先まで得点の手段である。ベルナベウではサンティジャーナ以降、目にすることのできなかった驚異的な跳躍力から放たれるヘディングシュート、強烈なプレースキックとペナルティーキック、右足、左足、果てにはかかとでゴールを陥れていった……。彼がマドリーで生み出した最後の超大作は、そうした跳躍力と足での決定力と、生来の度胸とを混ぜ合わせたオーバーヘッドキック。奇しくも、彼の現在のホームであるユヴェントス・スタジアムで生まれたものだが、プスカシュ賞に選ばれて然るべき作品だった。マドリディスタたちは彼がいなくなったことを寂しく思うはず、というか、もう寂しい。1−0から試合を始められるというのは、何というアドバンテージだったのだろうか。

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    ■センターフォワード:ラウール・ゴンサレス

    そのまずまずのクオリティーで不足している部分は、驚異的なフットボール・インテリジェンスで補った。741試合で323得点を決め、アルフレド・ディ・ステファノが保持していたクラブ歴代最多得点記録を更新。その記録は彼の次に7番をつけたクリスティアーノに破られている。

    ラウールの家族は全員がアトレティコ・デ・マドリーのファン。そのために彼はアトレティコのカンテラで研鑽を積んでいたが、当時の同クラブ会長ヘスス・ヒルがカンテラ解体に踏み切ったためにマドリーへと移った。マドリーのトップチームデビューを果たしたのは17歳の頃で、デビューから2試合目のアトレティコ戦で初ゴールを記録し、神の加護を受けた選手であることを世に知らしめた。1999年のカンプ・ノウでの一戦でゴールを決め、バルセロナニスタたちをだまらせようと右手の人差し指を口に持っていった姿は、今でもクラシコを熱くする宣伝素材として使用される。バルセロナで言えばカルレス・プジョールのように、永遠のカピタンである。

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    ■センターフォワード:ロナウド

    フットボール近代史における最高の9番。ベルナベウにはひざを壊した後に到着し、さらに体重も増加させていった。それでも毎試合のように、そのゴールを奪う才能を披露。バイソンのように相手DF陣に襲いかかり、GKもかわしてゴールを奪うことに大金を賭ければ、大金持ちになれた。

    ロナウドは芝生の上だけでなく、夜に生きる男でもあった。2003年9月22日に行われた誕生日パーティーでは、グラマーな女性たちを乗せたバスが何台も彼の自宅にやって来て、スペイン中の話題を独占した。超高価なワインが地面に落ちて割れてしまったにもかかわらず、誰も気付かないほど熱烈な宴であったとされる。スペインのポップ・グループ、ラ・コスタ・ブラーバは『エル・クンプレアーニョス・デ・ロナウド(ロナウドの誕生日)』というそのパーティーを題材にした歌を発表。その歌詞ではパーティーで何も収穫を得られず、悲嘆に暮れる女性たちの心情が描かれている。

    「もう泣かないで。あきらめなければ人生は悪いものじゃない。君があの高名なストライカーよりも強いってこと、僕は知っているんだ」

    ロナウドは絞り切れない体重とファビオ・カペッロの存在によって、ほかの大多数の選手たちと同様に裏口からクラブを去ることになった。彼のような選手は、もう二度と現れないだろう。

    文=カルロス・フォルハネス/『アス』レアル・マドリー番
    翻訳・構成=江間慎一郎