30年
私がビジャレアルのスタジアムに赴き、初めてその試合を目にしたのは11歳の頃だった。「急げ。チケットがなくなるぞ」。そう急かす父と一緒に、私は走ってエル・マドリガル(2017年1月にその名称はラ・セラミカに変わってしまったが)までたどり着いた。しかし忘れもしない1986年、ラ・リーガ3部に所属していたビジャレアルの試合に集まる人数などたかが知れていて、数百人程度がピッチを見つめているだけだった。
告白させてもらうが、私がその試合で目当てにしていたチームはビジャレアルではなかった。あのコパ・デル・レイの夜、彼らはラ・リーガ王者のレアル・ソシエダをエル・マドリガルに迎えた。ビジャレアルは同シーズンのコパでバレンシアを下すという番狂わせを演じ、その褒賞としてスター選手がひしめくラ・レアルと対戦する機会を手にしていたのだ。私が見たかったのは皆が学校の中庭で必死にそのプレーを真似ていた当時のスペイン代表GKルイス・アルコナーダで、ビジャレアルの選手など一人も知らなかった。試合に勝利したのは私の願った通りラ・レアルで、終了のホイッスル直後には自分含めた子供たちがピッチになだれ込んで、ラ・リーガ王者たちと写真を撮った。
膨らむ期待
あれから30年が経ち、様々なことが変化した。私の生活の中心にはビジャレアルがあり、彼らが成功を収める度に、あの夜を思い出している。92年、ビジャレアルはラ・リーガ2部昇格を果たし、この歴史的快挙に町中が歓喜した。しかしながら本当の運命の分かれ目は、それから5年後に訪れる。スペイン屈指の実業家一族の人間で、世界有数のセラミック会社のオーナーを務めるフェルナンド・ロッチがビジャレアルを買収。彼は人口5万人の町のクラブを、フットボールのエリート界に導くことを約束した。
(C)MutsuFOTOGRAFIA予算わずか300万ユーロ(約3億8000万円)と、ラ・リーガ2部でも質素な部類だったビジャレアルだが、ロッチ買収からわずか1シーズンでラ・リーガ1部昇格を達成。あの1998年5月24日、ビジャレアルの町は、まるでこの世の終わりを感じさせる喜びに包まれた。そして、同年にスポーツ記者と働き始めた私は、その昇格を機として思いもよらなかった冒険をすることになる。てっきり片田舎のクラブを追う記者になるはずが、あの頃のラ・レアルのようにスター選手がひしめくチームとともに欧州中を飛び回るのである。
どんなサポーターや記者にとっても自クラブの成功は誇らしいもの。そうだとしても3部にいたクラブがこのような軌跡を描いたとして、果たして共感してもらえるのかどうか私には分からない。黄色いユニフォームをその身に纏う人々は、ビジャレアルが自分たちのクラブであることに本当に誇らしげだ。ロッチなら、もうちょっとしたアイドルである。
ビジャレアルは欧州でも敬意を集めるスペイン最高の一クラブに変貌を遂げた。地域リーグでプレーしていたクラブが、チャンピオンズリーグでオールド・トラフォードでマンチェスター・ユナイテッドと戦ったりインテルを打ち破ったり、マルティン・パレルモ、フアン・ロマン・リケルメ、(日本でもおなじみ)ディエゴ・フォルラン、マルコス・セナ、サンティ・カソルラ、ロベール・ピレスらスターがそのクラブ史を彩った。チャンピオンズリーグ準決勝進出やラ・リーガ準優勝の達成は振り返ればもう10年以上前になるが、今後数シーズンにかけてクラブは同じようなことを成し遂げようと息巻いている。
ここ数年は停滞気味だったビジャレアルは、今季に再び旋風を巻き起こす可能性を秘めている。久保建英もその可能性の一人と言って差し支えないが、しかしこの日本人は、クラブにとってとても大事な時期に加入したものだ。パリ・サンジェルマンやアーセナルでも指揮を執ったウナイ・エメリが招へいされ、フランシス・コクラン、ダニ・パレホ、久保らチームのクオリティーを飛躍させる選手たちが加わった今季、ビジャレアルはヨーロッパリーグやコパの優勝や、チャンピオンズリーグ出場権の獲得が期待されている。
理想郷
(C)MutsuFOTOGRAFIAスペインで若手選手が成長を果たす上で打って付けのチームがあるとすれば、それはビジャレアルにほかならない。彼らは年齢ではなくプレー自体の質を重視して、下部組織の選手を積極的に登用してきた。加えて、このクラブは伝統的にフィジカル(もちろん現代フットボールでは必要不可欠でもある)よりボールを大切に扱うプレーを優先しており、それは久保の長所を伸ばす大きな助力になるだろう。20クラブ以上から久保獲得のオファーを受けたレアル・マドリーが、決して良好と言えない関係のビジャレアルに彼を貸し出すことを決断した背景には、本人の意思のほかこうしたことがあったわけである。
ビジャレアルはような小さな町ではメディア的な注目度はどうしたって下がるし、その閑静さは久保がフットボールだけに集中することを促せる。また、この日本人の獲得をクラブに要請したエメリは、こと攻撃面においてマジョルカ時代のよりも自由にプレーすること(サイドに張るのか、または中央に絞るのか)を許容し、パレホ、サムエル・チュクウェゼ、パウ・トーレス、ジェラール・モレノらは彼の才能と共鳴できるはずだ。
ビジャレアルのファンとして、この町にずっと住み続けている人間として、村上春樹の読者として少しわがままを言わせてもらえば、日本が私たちのことを知ってくれてとてもうれしく、誇らしい。今日では、ラ・レアルがラ・セラミカにやって来ても、この町の子供たちは久保をはじめとしたビジャレアルの選手たちと写真を撮ることを望んでいる(無観客試合が続き、今は適わないが)。もう、30年前とは違うのだ。私たちはほかのクラブの選手に憧れるより、自分たちの選手に熱い眼差しを送っている。かつてはどんな色彩も持たなかったが、今は、真っ黄色に染まっている。
文=ビクトール・フランク(Victor Franch)/スペイン『オンダ・セロ』『マルカ』ビジャレアル番
翻訳=江間慎一郎
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