Willian ChelseaGetty Images

VARはフットボールにとって正しいもの?魂を殺すのか不正を防ぐか…

今シーズンのフットボールを語るうえで最大のポイントのひとつがVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)だ。

VARは昨年夏に開催されたコンフェデレーションズカップで導入され、またU20ワールドカップといったいくつかの国際大会でも使用が始まった。そして今シーズンからヨーロッパでもイタリアのセリエA、ドイツのブンデスリーガ、そしてイングランドのFAカップでも導入されている。

だがこの新システムをめぐり多くの議論が沸き起こった。FAカップ3回戦、チェルシーがイングランド2部のノリッジをPK戦の末に破った17日の試合での出来事が発端だ。この試合の延長戦、チェルシーのブラジル代表MFウィリアンがVAR判定の末PKを取り消され、逆にシミュレーションとして警告を受けた。これに対してチェルシーの指揮官アントニオ・コンテは試合後痛烈に批判。VARを導入した3か国を巻き込む騒動となっている。

結局のところ、VARはフットボールにとって良いものなのだろうか、それとも悪しき存在なのか?

今回『Goal』では、賛成と反対の立場でVARを考えることにした。英語版の編集長サム・ブラウンとインターナショナル版の編集長カルロ・ガルガネーゼがこの問題について二つの立場から意見を述べた。


賛成:VAR導入でアンリの「神の手」のような過ちが終わる


Hand of HenryGetty

サム・ブラウン

Twitterを見ていると、ファンはビデオ技術云々以前に「より良いレフェリー」の存在を望んでいるようだ。この点から、彼らは現状のレフェリングに満足していないといえるだろう。マーク・クラッテンバーグ、フェリックス・ブリヒをはじめとするレフェリーは今日のゲームのスピードに対して例外的ともいえるレベルで対応している。試合においてヒューマンエラーを取り除くことは不可能といえるだろう。

より良いマッチオフィシャルを望む一方で、我々は競技の中に真のイノベーションを取り入れることを快く思っていない。真のイノベーションとは伝統への信仰から離れて、現状とは根本的に異なるものであるからだ。

かのヘンリー・フォードが言ったか言わないか、こんな言葉がある。「人々に何を求めるか尋ねたら、彼らはもっと速い馬が欲しいと答えた」。

VARは試合を改善させる可能性を持っている。そのうえで、我々は新ルールが規定されれば現状考えられるすべての問題が解決するなどという幻想を捨てる必要があるだろう。

VARはレッドカード、PK、ゴールの有無を検証する際のみに用いられる。非常に重要な場面だけに適用できるというこの解釈は広く周知されている。こうした場面にセーフティネットを加えられるのに、運営組織がそうしない理由などあるのだろうか。

批判的な者たちは「試合を台無しにする!」と主張する。だが2016年のコパ・アメリカでハンドが見逃されたブラジル代表にも同じことがいえるだろうか。

4人の審判により2分間議論が交わされたうえでの決定だったが、結局それは間違ったものだった。また2009年ワールドカッププレーオフのアイルランドを思い出す。フランスとの試合で、彼らはあと数分で歓喜の瞬間を迎えるはずだった。だがティエリ・アンリの「神の手」から失点を喫し、ワールドカップ本大会進出を逃したのだ。

VAR実装は完ぺきとは言えない。すぐに完全な形で機能するわけではないのだ。だが、だからといってすぐさま実施を取りやめ、“ゴールデンゴール”が入っている実験失敗のフォルダに突っ込めということでもない。もしすすることが歴史から見て正しい姿勢なのだというのなら、勝利時の勝ち点は2のままのはずだし、バックパスルールは空想そのものだろう。

ブンデスリーガとセリエAは、どちらもVARについて速度の向上や判断決定までのプロセスの改善が必要であることを示している。だがそうしたこと以上に、運営組織はこのシステムを用いる際の透明性をファンに示す必要がある。

VARをワールドカップに導入するのは時期尚早かもしれない。だがもし自身の応援するチームがモスクワの決勝に立ち、試合終了まであと数分のところで明らかなPKを否定されたなら、そこにVARというセーフティネットが存在せず、誤りを正す手立てがないことにあなたは怒りを爆発させることだろう。


反対:VARはフットボールの感動を殺す


Messi 2009 finalGetty

カルロ・ガルガネーゼ

フットボールがなぜ世界でもっとも人気がありエキサイティングなスポーツか、そこには理由がある。その単純さだ。なのになぜ我々は美しい試合を台無しにすることばかり考えてしまうのか。

真のフットボールジャンキーならば、今季からヨーロッパ各地でVARが導入されたことは、特に美意識の点からいってもちょっとした“災害”といっていいだろう。

VARでは問題のシーンを見直すために長い中断が行われる。そのせいで試合の自然な流れや熱狂というものは台無しにされてしまう。その中断はときに5分を超え、その間は選手もファンも指をまわして待っていなければならない。その結果セリエAではアディショナルタイムが10分になった試合もある。こんなものはフットボールとは呼べない。

ラツィオを率いるシモーネ・インザーギ監督はこう不満を漏らした。

「フットボールの熱狂がなくなってしまうよ。ゴールを決めても選手たちはハグをすることなくすぐ審判のほうを見るんだ。ちゃんと得点と認められたのかってね。アドレナリンやサッカーの楽しみが失われてしまうよ」

「フットボールとは情熱なんだ」こう語るのはユヴェントスMFサミ・ケディラ。

「いま選手たちはゴールを祝っていいのかそうじゃないのかわからなくなってしまった。情熱が失われてしまったんだ。これはフットボールの死だよ」

ワールドカップの決勝を想像してみてほしい。リオネル・メッシが自陣から素晴らしいドリブルでピッチを切り裂き得点。シュートまでに6人抜きをやってのけた。だがゴールが有効か無効か、永遠とも思える長さで確認作業が行わる。メッシ、チームメイトそして数百万のファンがゴールを祝うまで5分間も待たされ、また解説者たちは最大級の賛辞を口にできずにただ待たされる。こうして史上もっとも偉大なゴールがもたらすはずだった感動が台無しにされてしまうわけだ。

こうして感動を台無しにするだけではない。VARは多くのケースで正しい判断を下せないことが明らかになっている。フットボールにおいてはっきりと白黒をつけられるものはごくわずかなものに過ぎない。たとえばボールがラインを割ったかどうか。この点でゴールラインテクノロジーは画期的なものといえよう。判断も迅速ですぐに結果が明らかになる。だがレフェリーが管轄するほとんどの出来事は人間が判断を下すべきものだ。

ドイツでは今シーズン多くの誤審があった。その中のひとつにドルトムントFWピエール・エメリク・オーバメヤンのケースがある。シャルケとのルールダービーでオーバメヤンがハンド気味に押し込んだゴールがあったが、このシーンでVARによる干渉は行われなかった。

この件はVARの別の大きな問題を提起している。双方にとって真に公平であるためには、審判は疑わしいと思われるシーンすべてを見直なければならなくなるし、さもなければオーバメヤンのゴールが認められ、ウィリアンにペナルティが認められなかったように大きなミスが見逃されるリスクもある。だが全てのシーンを見直していたらフットボールの魂はますます失われてしまうだろう。

VARが成功するという考えは、それを使うことで恩恵を得られる一部の人々が抱く幻想だ。事実、『キッカー』紙が219人のブンデスリーガの選手に対して行った調査では、過半数が試合を台無しにすると考えていることが明らかになっている。そして実際に台無しになった試合もあるのだ。

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