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全国高校サッカー選手権開幕戦は「必然のドラマチック」。帝京の“伝統”、国立から再び始まる

監督として立った国立

「試合がドラマチックになるよ。選手権だし、国立だから」

 帝京高校を今年から率いる藤倉寛監督は、第103回全国高校サッカー選手権大会の開幕戦を前に、そんな話を選手たちにしていた。

 選手権で過去6度の優勝を誇る高校サッカーを代表する名門校である。

 ただ、最後に選手権で勝利を挙げたのは2007年度大会までさかのぼらねばならず、4強以上となると1998年度大会までさかのぼる必要がある。

 他ならぬ在校している選手の口から「古豪」とか「強かったことは知っています」なんてワードが飛び出るようになって久しく、良くも悪くも“昔の帝京”のイメージは薄まってきた。

 今大会が15年ぶりの出場となる帝京に、「選手権を知っている」選手は当然いない。

 ただ、「選手権を知っている」監督はいた。

 最後に帝京が選手権の決勝に立った1998年度大会、そして同じく中田浩二氏らを擁して準優勝だった1997年度大会の双方でプレーしていたのが、藤倉監督である。

「選手権だし、国立だから、ドラマチックになる」

 誰よりも選手権の“ドラマ”を体感してきた指導者が、あらためて監督として国立に、選手権に帰ってきた試合でもあった。

国立、重圧、緊張、ドラマ

 名門の重圧というものについては長い低迷期を経て「選手は重く感じていないように見える」と藤倉監督は言う。実際、栄光の時代を直接体感している選手はいないわけで、選手たちに聞いてもそうした重荷を感じている様子は余りなかった

 もっとも、今年から監督の椅子に座った藤倉監督自身には大きなプレッシャーがあったことは想像に難くなく、試合後の記者会見で重圧についての質問が飛ぶと、選手権独特の重みについては「選手より監督が感じている」と笑いつつ、「ここで何十勝もしている監督とか、何回も優勝されている方は計り知れないものがある」と、あらためて痛感した様子だった。

 そして試合はまさに選手権らしい「ドラマチック」なものだった。

 選手権、国立の試合が“そうなってしまう”最大の要因は精神面にある。

 帝京DF田所莉王が「ハーフタイムで(ロッカールームへ)帰ったら、藤倉監督から『笑っちゃうくらい硬くなっているよ』と言われました」と笑ったように、特に前半は両校ともに考えられないようなミスもあり、普段のサッカーとは明らかに違う様子を見せていた。

 国立のような巨大なスタジアム、1万8千人入った観衆の声、そして“負けたらチーム解散”という高校最後の大会ならではのプレッシャー。そのすべてがプレーを難しくすると同時に、試合を劇的に変えていく。

 前半5分にセットプレーから帝京が先行し、後半33分に京都橘が同じくセットプレーから追い付く流れとなった試合の勝敗を決したのはこの直後の時間帯だった。

 失点後の円陣で砂押大翔主将から「笑おう!」と促されたイレブンは直後のキックオフから猛ラッシュ。いったんは京都橘に防がれたものの、こぼれ球を自慢の球際勝負から回収した砂押のフィードを起点とした攻めから、最後は交代出場の「ゴールしか興味がない」生粋の点取り屋・宮本が流し込んで勝負を決めた。

 追い付くための前傾姿勢から実際に追い付き、一瞬だけ戦術的な規律も乱れていた京都橘。キックオフから慎重に入るのではなく、強気に(笑顔で!)前へと出ていった帝京の姿勢が、その隙を突き崩す形となった。

 試合後、藤倉監督は「残りの5分、残りの1分でもひっくり返してきた大先輩たち」を再現するようなプレーを現代の選手たちが見せたことを率直に喜びつつ、こう語った。

「追い付かれてトーンダウンすることが今年は多くありました。逆転されるゲームも何度も見てきました。こういう(選手権という)舞台でやることによってすごく成長したなと感じました。歴代のチームも大会を通して逞しくなっていったと思うので、そういった伝統に乗っかりたいし、乗っかれる形を作れたのかなと思います」

 東京のカナリア軍団、帝京が17年ぶりに挙げた選手権での1勝。過去6度の優勝を誇る名門の“伝統”は、長い時を経てなお健在だった。

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