フットボールのことを考えなくていいときでさえ、ユリアン・ナーゲルスマンはフットボールについて考えている。
彼は朝シャワーを浴びるとき、「これだ!」という思いつきを逃さないために紙とペンをもってバスルームに入るという。そして、その日のトレーニングではすぐに思いついたアイディアを試してみるのだ。
また、ナーゲルスマンは選手たちにも、常にフットボールのことを考えることを求めている。
練習が始まる前、選手たちにどんな練習にしたいかを書き出させ、成長する方法を“自分たちで”見つけさせようとするのだ。
「私はしばしば、時間をかけて私の考えを選手たちに理解させる」
2016年、ホッフェンハイムの監督に就任し、ブンデスリーガ史上最年少の監督になったとき、『FAZ』でこのように語っている。
「1日に10個のことを選手たちに伝えて、そのうちの4つを理解してもらえればいい。1日に5つのことを目一杯教えこむことに固執して、2つのことしか覚えてもらえないよりはずっといいんだ」
■ホッフェンハイムを劇的に改善させた方法
Imago Imagesナーゲルスマンにとって重要なのは、選手たちといい関係を構築することだ。それは彼が初めて監督に就任したとき、ロッカールームにいる選手の多くが自分より年上だったことも関係している。
彼はわずか28歳で、億万長者から資金提供を受けたホッフェンハイムの指揮官になった。メディアはこの監督就任はただの話題作りだと書き立て、ナーゲルスマンに「ブビ監督」というあだ名をつけた。「力不足の少年監督」という意味だ。
だが、それから5年が経ち、バイエルン・ミュンヘンが記録破りの2500万ユーロ(約33億円)を支払って新監督に迎えた今では、このジョークはとっくに過去のものとなっている。
ナーゲルスマンがホッフェンハイムの指揮官に就任した当時、チームはブンデスリーガで下から2番目に沈んでいた。だが、若き指揮官は選手たちに新しい教えを授け、劇的にチームの状況を改善させたのだ。
その方法とは、選手に不要なタックルをさせず、プレスと相手のパスコースを塞いでボールを奪うということ。下手なタックルをしてもファウルになるだけであり、たとえボールを奪えても、選手たちが孤立していては素早く効果的なカウンターにつながらないと考えていたのである。
ナーゲルスマンはこのことを練習で教えこみ、選手たちには柔軟性を求めた。それはナーゲルスマン自身がオートマティズムを重視していなかったからだ。
「オートマティズムというのは常に同じ状況であることが前提となっていて、想定外の状況では機能しない。22人の選手がピッチにいるという現実に合わないんだ。相手がたった50センチ左に動いただけで、突然選手は何をしていいかわからなくなってしまう」
「だから、私は個別の状況に合わせた様々な方法論を使ってプレーするほうがよいと思う。そのほとんどが比較的単純だ。トレーニングごと、試合ごとに、いつも考えている。相手がどうとか、ピッチ上の選手の配置の仕方とかには、まったく関係ない。たとえばカウンターアタックのやり方とかね」
■ホッフェンハイムでの技術革新
Getty Images結果はすぐに出た。就任時に14試合残っていたリーグ戦で7勝し、ブンデスリーガ残留を決めたのだ。当時、ホッフェンハイムでスカウトを担当していたルッツ・ファンネンシュティールは『DAZN』でこのように語る。
「ユリアンが就任してから最初の試合の後、(ストライカーの)ケヴィン・フォラントが目を輝かせながらやってきたことが忘れられない。フォラントは『僕たちはきっと残留できる!』と言ったんだ」
「ユリアンはごくわずかな時間で選手たちを支え、チームを前進させるためのインパクトを生み出した。転がる雪の玉が大きくなるのを見るかのようだった。1人目がユリアンのことを理解すると、たちまち2人目も理解し、最後の1人が理解するまで、数時間しかかからなかった。ユリアンは人たらしなんだ」
翌シーズン、つまり2016-17シーズンも同じやり方だった。ホッフェンハイムは予想を上回る快進撃で、史上初めてチャンピオンズリーグ出場圏内の4位に入った。その成功をもたらしたのはナーゲルスマンのリーダーシップだったが、彼の戦術もまた大きくクローズアップされた。
そもそもホッフェンハイムは彼にとってうってつけのチームだった。オーナーのディートマー・ホップはデジタル化に出資し、チームを救うためにはもっとテクノロジーが必要だというナーゲルスマンの希望を受け入れる準備ができていたのだから。
まずホップは「Footbonaut」というトレーニングマシーンの開発に投資した。特別に設計された機械式のケージで、中央にいる選手に向けてボールが放たれる。選手はボールを受けると、72枚の光るパネルのどれかに向けてパスを返さなければならない。
さらにナーゲルスマンは、練習グラウンドの脇にビデオウォールを設置。選手たちはハイライトやビデオクリップを見て、監督の意図を理解し、自分の長所や短所を認識できるのである。
20歳で現役引退を余儀なくされたナーゲルスマンは、スポーツ科学の学位を取得し、アウクスブルクで監督をしていたトーマス・トゥヘルのもとでスカウトとして働いた。
その後、10代の頃ディフェンダーとしてプレーしていた1860ミュンヘンのユース監督を務め、2010年にホッフェンハイムへ移ったのである。
ホッフェンハイムのユースチームの監督として、U-19でカップ戦を優勝するなどの成功を収めると、バイエルンからコーチングスタッフに入らないかという誘いを受けた。
しかし、現在のクラブのほうがよりチャンスがあると考えたナーゲルスマンは、少年時代にファンだったチームの誘いを断った。この賭けはほどなく成功し、トップチームの監督に昇進したのである。
■ライプツィヒでさらなる高みへ
Getty Imagesホッフェンハイムでの昇進の速さは、当然ながら他のチームの目を引くこととなった。そして2019年夏、満を持してRBライプツィヒの監督に就任する。
就任した当時のライプツィヒは国内のトップ4のひとつだったが、ナーゲルスマンはチームをさらなる高みに押し上げたのであった。
ホッフェンハイムでそうだったように、選手たちは若き戦術家の下でパフォーマンスを向上させた。ロベルト・レヴァンドフスキと得点王を争ったティモ・ヴェルナーがチェルシーに移籍したとき、チームはヴェルナーに投資した額の4倍の資金を手にしている。
ファンネンシュティールは「ユリアンが特別なのは、選手たちを向上させてやれることだ。若く才能ある選手を成長させられる監督は大勢いる。だが、ベテラン選手を向上させられる監督は滅多に、滅多にいない」と話す。
ケヴィン・カンプルもナーゲルスマンの下で大きく成長したベテランの一人だ。カンプルは指揮官をこのように評する。
「あの年齢で、あんなにフットボールに没頭して、あんなにたくさんのノウハウをもっている監督は見たことがない。信じられないし、現在のフットボール界で独自の存在だと思う」
「彼はフットボール界に20年いる。試合に向けて完璧にチームを仕上げる方法を知っているんだ。常に素晴らしいプランもある。彼には監督としての素晴らしいキャリアが待っている」
■「ユリアンは特別な監督」
Gettyまだ33歳のナーゲルスマンは、バイエルンで次のステップに進む。バイエルンはナーゲルスマンがペップ・グアルディオラの再来になれると信じて、5年契約を交わしたのだ。
ナーゲルスマン自身は「私は、自分でもよい監督だと思う」と自信を語りつつ、指揮官として評価されるために必要なことを明かす。
「私にとって、監督になることはただサッカーを教えることだけにとどまらない。監督には心が必要だ。それがあれば、選手全員と話ができて、メディアとうまくやることができる。そういうことすべてができなければならない。この点において、私は自分がうまくやれていないとは思わないが、優れた監督はタイトルも獲っている」
「私にはまだ誇るべきタイトルがない!」
そうしたタイトルはバイエルンで獲るだろう。ファンネンシュティールは、戦術面においてナーゲルスマンはすでにグアルディオラより優れているとすら思っている。
「ユリアンは、相手のプレースタイルを見極め、それに合わせて試合中に戦術を変えることができる点でペップ・グアルディオラより優れている。ペップは多くのことを分析してから、やることを決めるタイプだ。ユリアンは観察と分析を同時に行う。ごく短い時間帯について話をすることがあるが、それこそが重要なこともありうる」
「ついでに言えば、これは努力で得られる才能ではなく、天賦のものだ。私は大勢の監督に会ってきたが、ユリアンは特にこの才能に秀でている。特別な監督だ」
グアルディオラはバイエルンで3度のリーグ優勝と2度のDFBポカール制覇を果たしたが、結局のところチャンピオンズリーグではベスト4が最高成績だった。
ナーゲルスマンはグアルディオラ以上のことを成し遂げると期待されている。今、未来図を書き始めた青年監督のスタートが切られた――。
