■黄金期からの転落
ACミランが、8シーズンぶりにUEFAチャンピオンズリーグ(CL)の舞台に戻ってきた。日本時間で16日朝4時キックオフとなる初戦の相手は、優勝候補の一角を占める強豪リヴァプール、しかも敵地アンフィールドでの戦いである。
ミランというクラブにとって、CLは長年「常にそこに立っているべき舞台」だった。1987年に会長の座に就いたメディア王シルヴィオ・ベルルスコーニが、桁外れの資金を投下してチームを強化、当時として革命的な4-4-2ゾーン&プレッシング戦術を引っさげた名将アリーゴ・サッキに率いられて連覇を果たして以来、90年代にはファビオ・カペッロ、2000年代にはカルロ・アンチェロッティの下で計5回のタイトルを獲得するなど、20年以上にわたってCLの主役を演じ続けた。
ちょうどこの時期、ミランとリヴァプールは2005年、07年と二度にわたって決勝でぶつかり合っている。前半でミランが3-0とリードしながら、後半に入ってリヴァプールがわずか6分間で3点を挙げて同点に追いつき、最後にPK戦で勝利を掴んだ2005年の決勝は「イスタンブールの奇跡(悲劇)」としてCLの歴史に刻まれる名勝負だった。
しかし2010年代に入って、欧州サッカー界にロシア、中東、アメリカなどEU外の巨大資本が流入して「資本と市場のグローバル化」が進むと同時にビジネス規模が急拡大、それに伴ってチーム強化に必要な移籍金と年俸の水準が急上昇するなどエリートクラブ間の競争が激化すると、ミランは徐々に時代の流れから取り残され、競争力を失って衰退への道を歩み始める。
最後にCLの舞台に立ったのは2013-14シーズン。10-11シーズンに最後のスクデットをもたらすなど、斜陽の時期を何とか支え続けていたマッシミリアーノ・アッレーグリ(現ユヴェントス)が途中解任され、まったく監督未経験だったクラレンス・セードルフが後任に就くなど、ベルルスコーニ時代末期の混迷を象徴するような1年だった。
そこからの5年あまり、ミランは近年のクラブ史上最大の低迷期を過ごすことになる。1年と経たずに監督交代が繰り返され、順位も12-13シーズンの3位を最後に8位、10位、7位、6位、6位、5位、6位と、19-20まで7年にわたってCL圏外。ちょうどこの時期には日本の本田圭佑が足かけ4シーズン(13-14から16-17まで)在籍したが、やや分不相応な背番号10を背負ったこともあり、サポーターの記憶の中では低迷期のシンボルという有難くない役回りを担うことになった。
■現オーナーの明確なプラン
Gettyクラブの経営権も、2017年に得体の知れない中国人投資家ヨンホン・リーに買収されたかと思えば、わずか1年後にはその買収資金を返済できなかったリーの手から貸主であるアメリカの投資ファンド「エリオット」が「借金のカタ」という形で取り上げてオーナーの座に収まるなど、思わぬ紆余曲折を経ることになる。
エリオットは、巨額の資金を世界中から集めて運用する投資ファンドが純粋な投資目的でサッカークラブを買収するという、近年のヨーロッパで増え始めた動きを代表する存在。元々の本業は、経営不振の会社を取得して投資を行うとともに経営に介入、企業価値を高めて売却することで利ざやを得ようとする「プライベート・エクイティ・ファンド(PEファンド)」と呼ばれる投資事業である。近年進んだ「資本と市場のグローバル化」によって成長性が高まった欧州サッカーが、新たな投資の対象になり得るかを判断・評価するひとつのテストケースとして、半ば成り行きのような形で転がり込んできたミランの経営に自ら取り組んでいる格好だ。
2018年夏に経営権を取得したエリオットは、クラブの運営を委ねる「雇われ経営者」として、アーセナルで10年に渡ってCEOを務めたイヴァン・ガジディスを招へい。プレミアリーグで行われているようなビジネス重視型の経営をミランでも積極的に進めている。
ガジディスは、ベルルスコーニ時代からクラブに染みついてきた赤字経営体質(UEFAからFFP違反で19-20シーズンのヨーロッパリーグ出場権剥奪処分を受ける原因となった)を解消し、健全かつ成長性のある経営を定着させるべく、支出の抑制(とりわけ若手主体のチーム編成による人件費の圧縮と移籍収支の正常化)、財務体質の健全化(借入金の返済と自己資本比率の向上)、そして収入増(世界各地でのスポンサー開拓)に取り組んできた。
もちろん、まだ取り組みは道半ば。積極的な資金投下によって財務体質の健全化は進んできている。しかし、コロナ禍によるマッチデーと放映権料の大幅な収入減は、スポンサー開拓によるコマーシャル収入増ではカバーできないレベルに達しており、またチームの競争力向上という相矛盾する課題もあって、19-20シーズンには売上高/人件費比率が98%にも上るなど、コスト削減も思ったほどは進んでいない。
とはいえ今シーズンはCL出場により、UEFAからの分配金だけで少なくとも5000万ユーロ(約65億円)の収入増が見込まれるため、収支および財務状況はさらに好転することが見込まれている。
■2つのカギ
Gettyこうした経営体質の改善は、クラブとしての成長に非常に重要だ。しかしもちろん、それ以上に重要なのはピッチ上のパフォーマンスであり、結果である。その観点から見た時、ミランにとって最も重要な節目となった出来事は2つある。
ひとつは、コロナ禍直前の2020年1月、冬の移籍マーケットでズラタン・イブラヒモヴィッチとシモン・ケアーを獲得したこと。もうひとつは、コロナ禍による中断を経て再開した19-20シーズン終了後(2020年8月)、監督兼スポーツディレクターという強化の全権を握るポストに就ける予定だったラルフ・ラングニックの招へいを白紙に戻し、ステーファノ・ピオリ監督の続投を決断したことだ。
前者は、マルコ・ジャンパオロ監督の早期解任、後任のピオリ体制下でも二桁順位への低迷という困難に陥っていた19-20シーズンの流れを決定的に変え、現在にまで続くチームの骨格、そして戦術的アイデンティティを確立する基盤となった。
とりわけ、コロナ禍による3カ月の中断から再開したシーズン終盤の12試合を9勝3分と無敗で駆け抜けた圧倒的な戦いぶりは、あらゆる意味で現在のミランにとっての原点。絶対的なリーダーシップと求心力でチームをまとめ上げ引っ張ったイブラヒモヴィッチ、そして目立たぬながらも守備陣に自信と落ち着きを与える人格者ケアーが、その立役者であるのは疑いのないところだ。
そして後者は、19-20シーズン序盤の低迷を受け、パオロ・マルディーニTDを責任者とする強化体制を強制終了してゼロからプロジェクトを立ち上げようと一度は本気で考えたエリオットとガジディスCEOが、その目論みを断念してピオリ&イブラ体制の継続を選んだという点で、目先だけでなく少なくとも向こう5年にわたる戦略と方向性を決定づける、歴史的な決断だった。
ピオリの続投が決まり、そのピオリ直々の説得を受けたイブラヒモヴィッチも退団の決意を翻した20-21シーズンは、前半戦を通して首位を走り、後半戦に失速したものの最終的には首位インテルに次ぐ2位となって8年ぶりにCL出場権を取り戻すという、近年最もポジティブな1年となった。
コンパクトな陣形からのアグレッシブなミドルプレスによる中盤でのボール奪取、縦パスで起点を作った上で前線に多くの人数を送り込む二次攻撃という戦術的な枠組みが保たれたことで、チームの戦術的完成度が向上。同時に、テオ・ヘルナンデス、イスマエル・ベナセル、フランク・ケシエ、アレクシス・サレマーケルス、ラファエル・レオンら、エリオット体制下で獲得した20代前半の若手が大きく成長して戦力を底上げした。
イブラヒモヴィッチは開幕8試合で10得点という凄まじい出足を見せたものの、筋肉系の故障を繰り返して残り30試合中13試合に出場しただけに留まった。前シーズンには戦術、メンタルの両面で「イブラ依存度」があれほど高いように見えたチームが、離脱後も大きくパフォーマンスを落とすことなくシーズンを戦い抜いたという事実は、ピオリ体制の継続性の中で、個としても組織としても成長と成熟を遂げたことの表れだろう。
■補強戦略
Gettyだが、8年ぶりのCL参戦を前にした今夏のチーム強化は、決して簡単なものではなかった。長期的な視点に立った経営健全化には人件費抑制が絶対不可欠というエリオットの明確な方針ゆえに、生え抜きのジャンルイジ・ドンナルンマ、背番号10を背負って攻撃の最終局面を演出したハカン・チャルハノールとの契約延長交渉が年俸面で折り合わずに破談。主力2人がともに契約満了で1ユーロの移籍金も残さずに退団するという、苦い結末を受け入れることになった。
クラブ生え抜きで、まだ22歳ながらすでに世界指折りのGKに成長したドンナルンマの市場価格は6500万ユーロ(約84億円)。チャルハノールのそれも3500万ユーロ(約45億円)と高額で、しかもあろうことか同じミラノの宿敵インテルへのフリー移籍である。
ほとんどのクラブは、こうした契約延長交渉の中で主力選手が要求する年俸の大幅アップを受け入れ、結果的に人件費が膨らんで経営を圧迫するという悪循環から抜け出せずにいるのが現実だ。しかしミランは、目先の戦力的な事情にもサポーターやマスコミからの圧力にも流されることなく、クラブの経済力を越える選手の要求には応じられないという原則を守り、2人の退団を受容した。
その一方では、チーム全体の人件費を一定水準に抑えつつ2人の穴を埋め、さらに戦力を強化するという、非常に難易度の高いチーム強化に取り組み、相当なところまでそれを実現している。セリエAとCLという二正面作戦を戦うために不可欠な戦力が、「質と量」の両面で調ったと見ていいだろう。
新GKのマイク・メニャンは、フランス代表でウーゴ・ロリスの「次」を争う26歳の実力者。シュートストップに関しては世界トップ3に入るドンナルンマに及ばないが、長短のパスワークによるビルドアップへの貢献など前任者にはなかった強みを持つ。
チャルハノールの穴は、昨シーズン後半に目に見える成長を果たしたマンチェスター・シティ育ちの小柄なスペイン人トップ下、ブラヒム・ディアスのレンタルを、保有権を持つレアル・マドリーと交渉して買い取りオプションつきで2年延長することで埋めた。こちらも即戦力としては前任者に及ばないものの、まだ22歳で大きな伸びしろを残す逸材である。
さらに、昨シーズン半ばの1月にチェルシーからのレンタルで加入するや否や、ケアーの理想的なパートナーとして最終ラインにぴったり収まった23歳のフィカヨ・トモリ、イタリア代表の未来を担うと目される20歳の有望株サンドロ・トナーリの保有権を、合わせて5000万ユーロ近くを投じて買い取り、手薄だった左SBの控えに24歳のフォデ・バロ・トゥーレ、前線には4年前に16歳でセリエAデビューを果たした20歳の大型CFピエトロ・ペッレーグリを獲得するなど、まだ成長途上にある若手への積極的な投資も継続。その上で、右サイドならSBもウイングもこなせる30歳のアレッサンドロ・フロレンツィ、遅咲きかつ無名ながら昨シーズンはセリエA屈指のドリブラーとして際立ったパフォーマンスを見せたトップ下&ウイングのジュニオール・メシアス(やはり30歳)、そして何よりイブラヒモヴィッチとCFの座を分け合い、前線の基準点として機能するフランス代表オリヴィエ・ジルー(34歳)と、各ポジションに即戦力のベテランも補強した。
これらの補強に投じた金額はおよそ7200万ユーロ(約93億円)。これはセリエAではローマ(9700万ユーロ=約126億円)に次いで2番目に多い数字である。
■両輪
Gettyコロナ禍による打撃にもかかわらずこれだけ積極的な投資が可能だったのは、先に見たスポンサー収入の増加、オーナーのエリオットによる資金注入などで、収益力と財務体質の双方が向上してきている上に、CL参戦によるさらなる収入増が確実に見込めるから。チームがもたらすピッチ上の結果とマネジメントレベルでの経営努力という「両輪」がようやく噛み合って、低迷期から脱出して新たな成長期を迎えるための基盤が整備されたというのが、現在のミランの状況と言える。
8月23日に開幕したセリエAでは、サンプドリア、カリアリ、そして難敵ラツィオをいずれも危なげなく下して3連勝。8年の時を経てCLの大舞台に臨む準備は十分に整ったと言えそうだ。アンフィールドでのリヴァプール戦は、ヨーロッパにおけるあらゆる試合の中で最も厳しく、困難なもののひとつ。客観的に見れば勝つよりも負ける可能性の方がずっと高いとしても、その内容と結果のいかんを問わず、ミランにとって歴史的な節目を記す一戦になることだけは確かだ。
取材・文=片野道郎(イタリア在住ジャーナリスト)




