2003年にプロ生活をスタートさせ、40歳になった2020年もトップレベルで活躍する元日本代表MF中村憲剛。プロ18年目、川崎フロンターレ一筋を貫いたレジェンドがキャリアに終止符を打つ決断を下した。
■一線級のまま引退する“覚悟”
(C)J.LEAGUEまさに青天の霹靂だった。
10月31日に開催された明治安田生命J1リーグ第25節FC東京戦。攻撃の中心としてタクトを振るい、自らの誕生日を自身の決勝弾で祝う千両役者ぶりを発揮したMF中村憲剛が、日付変わって11月1日に今シーズン限りでの現役引退を発表した。
昨日のプレー、パフォーマンスを見た人なら誰もが思ったはずだ。何故このタイミングで、と。
それでも中村の意志は固かった。35歳を過ぎた時に決めた引退のリミットとなる40歳。その間にどれほどの活躍を見せようが、前日に得点を奪おうが、引退への想いが揺らぐことはなかった。
「本当に戦える、自分がやれるんじゃないかというところを最終的に決めたのが40歳でした。そこは本当にいろいろな人の人生があると思う。僕はそれを選択しただけで、そこには強い覚悟が正直あった。それこそ30歳を過ぎてから考えてきた10年モノ。みんなには今でも撤回しろと言われていますけど、3日、4日で決めたことでもない。それだけ自分の中で重い選択でした」
■「毎年タイトルを獲れるようなクラブに」
(C)J.LEAGUE苦節18年。中村とフロンターレには様々な出来事があった。1番つらい瞬間として挙げたタイトルのチャンスがありながら全てを逃した2009年。逆に1番の思い出と語る2017年の初優勝。決して順風満帆とは言い難いが、ここまでのキャリアを積めたのは、練習生の時に拾ってくれたクラブの存在なくしてあり得ない。
「クラブには感謝しかないです。練習生として参加したときに拾ってもらって、そこから18年、良いときも悪いときも一緒にやってきたクラブでもあります。スタッフも長く付き合いのある人が多い中で、そういう長くお世話になった人たちの前でという思いもありました。
本当にフロンターレが勝つために、フロンターレが大きくなるために、すべてを捧げてきた18年。そういう意味では、当時入った頃と比べれば大きなクラブになったので、そこは自分の役割がある程度果たせたかなと思っています」
チームのため、ファンのため、そして自分自身のために歩みを進めてきた18年。「とにかくサッカーがうまくなりたい一心でやり続けてきたらここまで走ってこられた。サッカーが大好きですし、今でもそれは変わっていない。その気持ちが一番」と語る男は、これまでを振り返りつつラストランに向けた思いを口にしている。
「タイトルを取り続けられなかったことが、今の自分がある大きな要因だと思っています。早い段階でタイトルが獲れていれば、もっと早く引退を決断したかもしれません。ただ、落とし続けた十年というのは、もう執念に近い形ですけど、それだけ自分はこのクラブにタイトルをという気持ちをずっと持ち続けてきた。悔しさを次の年のパワーに変えるじゃないですけど、その作業を積み重ねたことが今の自分のベースになってきているのは間違いない。
ただ、ここ数年は勝ち続けることで見えてきたもの、勝者の力強さ、タフさというものは、改めてベースの上に上書きされている状態なので、本当にどちらも経験できた、すごく濃かった18年だったと思っています。なので、今シーズンもやっぱりタイトルを獲って終わりたい。毎年タイトルを獲れるようなクラブにしたいと思っていたので、それを今年獲り、毎年フロンターレがタイトルを獲れるように後輩たちに頑張って欲しいなと思っています」
ピッチ内では観るものを魅了し、ピッチ外では様々な人を楽しませてくれた中村。残り2ヶ月、Jリーグのピッチで戦い続ける中村の勇姿を目に焼き付けたい。
取材・文=林遼平
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