武田英寿は2018年、青森山田高校2年生時に司令塔として全国高等学校サッカー選手権大会制覇に大きく貢献、2020年より浦和レッズでプロ入りを果たした。2021年夏からFC琉球に育成型期限付き移籍し、多くの経験を積みながら8月の4試合で2得点を記録するなど輝きを放っている。DAZNとサッカーメディアで構成する「DAZN Jリーグ推進委員会」の月間表彰で、Goalは8月の「ベストヤングプレーヤー」にFC琉球の武田英寿を選出した。(インタビュー日:9月7日/聞き手:上村迪助)
■琉球デビュー弾のFKは自らキッカー志願
(C)Getty images――名門・青森山田高校で10番を着用し、浦和レッズでプロ入り。今年7月末から育成型期限付き移籍でFC琉球に活躍の場を移しました。まずはこれまでの歩みを振り返っていただいてもよろしいでしょうか。
青森山田高校時代は2年目から試合に出させてもらい、全国高等学校サッカー選手権大会で先輩方に優勝させてもらって、高校3年生の時に10番でキャプテンという形でプレーさせてもらいました。本当にサッカーに打ち込める環境で、素晴らしい監督・スタッフの下、素晴らしいチームメイトと一緒にプレーすることができました。チームとしてもそうですし、個人としても結果がついてきたからプロになれたと思います。自分の力も少なくともあると思いますが、それ以上に周りの方々のサポートが大きかったのではないかと思います。
――2020年に浦和に入団しましたが、加入を決めた際の心境を教えてください。また、高卒でプロ入りして初年度の昨季は明治安田生命J1リーグ3試合の出場となり、厳しさも味わったのではないでしょうか。
浦和レッズからオファーをもらった時には、悩む理由はないなと思い、すぐに決めました。1年目を振り返ると、チームも難しい状況でしたし、個人としてもシーズン中盤しか試合に出られずに終わってしまいました。その中でもプロの厳しさを知ることができましたし、大槻毅前監督の下で、一番はフィジカルの部分であったり、守備の強度であったり、そういうものはその1年間で成長できた部分なのかなと思います。
――今季は浦和でリーグ戦8試合に出場するなどプレー時間を増やしていましたが、4月上旬に負傷。そこから3か月後に琉球への育成型期限付き移籍を決断することになりました。
2年目、リカルド(ロドリゲス)監督になって、とても多くの戦術を取り入れました。ボールを支配し、支配される相手にはもっと上手く守備をはめていくという、すごく面白いサッカーでした。試合に出られる時期もありましたし、やっていてすごく楽しかったです。ケガを言い訳にはしたくないですが、そこで出られなくなってしまい、復帰してからのチャンスをつかむことができずに1カ月間ほどメンバー外でした。そこで新しい環境で勝負したい、また環境を変えて成長したい、という思いで移籍を考えたときに、琉球からオファーをいただきました。それで試合の映像を何試合も見て決めました。
――琉球も非常に連係のとれたサッカーを展開しています。新たに加入して適応していくという面では、チームの戦い方がシンプルではないだけに時間も要しそうですが、8月9日の第24節ギラヴァンツ北九州戦に後半から途中出場してデビュー。良い位置でのFKでキッカーを任され、直接得点を決めましたが、そのシーンを振り返ってください。
負けている状況でハーフタイムに入れてもらいました。まだ加入して1週間少々と、周りと合わせることが難しかったので、自分に与えられたことをしっかりやろうと思って入りました。チャンスがあったので「打たせてください」と言い、打ちました。GKとの駆け引きでは勝ったと思いますが、キックの質としては良くなかったです。相手の壁の間を抜けたので、ラッキーだったなという。ですが、シュートを狙って良かったなと思います。
――今後、琉球で磨いていきたい部分や目標とするプレーを教えていただけますでしょうか。
浦和の時に、試合に出てもなかなか得点やアシストという目に見える結果を残せていませんでした。そういう部分だったり、積極性だったり、ゴール前で関わっていくというところを、しっかりと表現できるようにしたいと思っています。自分の強みはキックの部分、特にシュートなので、もっともっと積極的に前を向いて自分でゴールまで行くシーンを作ってもいいのかなと思っています。
■「世界的に有名な選手になりたい」
ScreenShot――トレーニングパートナーとして、東京五輪に臨んだU-24日本代表と約2週間活動をともにしました。日本の選手や、大会を通じて海外の選手のプレーから感じたことはありますか。
ほとんどの選手が海外でプレーしていたり、A代表を経験していたりする選手たちだったので、特にここがというよりもすべてにおいての基準のレベルが違う、高かったなと感じました。感じただけではダメなので、自分もパリ五輪がありますし、もっと上を目指せるようにしていかないといけないと思います。
――参考にしている海外の選手や、憧れている選手がいたら教えてください。
(メスト・)エジル選手が好きです。同じ左利きの選手は好きになってしまうというか見てしまうので。あんな感じでできたらすごく楽しいと思いますが、真似はできないです。
――エジル選手のようなアーティストタイプは特別ですが、現代ではアタッカーであっても何でもできる選手が増えています。このヤングプレーヤー賞に輝く選手たちは時代の最先端を走る世代となりますが、今後のアタッカー像などについて考えていることはありますか。
一番は得点が取れる選手になりたいです。その中で、今は組織としての守備であったり、一対一で負けないことだったり、攻撃の部分だけではないところを求められます。僕は頭で考えてプレーするということが好きなので、そこはチームメイトと上手くできればと思います。そういうところがサッカーの中で一番面白いなと。アタッカーとしては得点が一番で、次にアシストですね。そこができる選手になりたいなとすごく思います。
――2024年のパリ五輪もありますが、その先にはフル代表があります。そこを目指していくうえでは、どのような要素が必要になると考えていますか。
いつチャンスが来るかは分からないので、自分の所属しているチームで全力で結果を残していくということが一番のアピールになるのではないかと思いますし。プレーのところでは、リーグの中では目立つ選手にならないと、という感じです。
――今後のキャリアの中で、大きな目標として定めていることはありますでしょうか。
大きな目標として、一番は世界の強豪、ヨーロッパなどで活躍する選手になりたいと思っています。そうすれば、日本代表への道も切り開けるというか、ついてくると思うので。世界的に活躍し、有名な選手になりたいなと思います。
■MF 37 武田英寿 Hidetoshi TAKEDA
2001年9月15日生まれ。178cm/68kg。宮城県出身。利き脚:左。青森山田中学-青森山田高校-浦和レッズ-FC琉球。名前の由来は元日本代表の中田英寿氏から。スピードとテクニックを兼ね備えたチャンスメーク能力に加え、得点への貪欲な姿勢が魅力のアタッカー。J1通算11試合出場/J2通算6試合2得点(9月16日時点)。


