moriyasu(C)JFA

森保監督が進む「迷いの森」…日本代表が陥った「過ち」をスペイン紙分析担当が紐解く

日本時間8日未明に行われたW杯最終予選で、日本代表はサウジアラビア代表に0-1と敗れた。

1勝1敗で迎えた日本にとって、勝たなくてはいけない試合であったことは間違いない。しかし敵地での一戦は、終始リズムをつかめず、良い形をほとんど見せられないまま、71分に自陣でのパスを奪われて失点。最終予選2敗目を喫することになった。

ここ数年間、日本代表の試合を追い続けているスペイン大手紙『as』の試合分析担当ハビ・シジェス氏は、この試合の日本代表を「一チームが示し得る最低最悪のパフォーマンスを極限まで示し切っている」と一刀両断。森保一監督の「過失」を指摘している。

文=ハビ・シジェス/スペイン紙『as』試合分析担当
翻訳=江間慎一郎

■迷いの森

日本は深刻な問題を抱えてしまった。

それはワールドカップ予選の順位だけではない。彼らのパフォーマンス自体に病魔が巣食っているのだから、なおさらタチが悪い。

日本のプレーは本来の軌道から逸脱していっている。公式戦をこなす度に競い方が分からなくっているような印象を強くしている。森保一監督は、迷いの森の中を進んでいる。伝統のスタイルをより実用的にオーバーホールするのはいい。が、それをする舞台が違うのではないか。確かに、自分たちよりも明らかに優れた相手との試合で、守備的なゲームプランを組み立てることは必要だ。しかし、それはアジア大陸ですべきことではない。サウジアラビアを相手にすべきことではないのだ。

はっきり言ってしまえば、日本のパフォーマンスはどうしようもなかった。確かに、前半はサウジアラビアよりも勝者の立場に近づいたように見えたが、しかしフットボールは知覚(見たイメージ)で成り立っているわけではない。結局、感覚というものは感覚でしかないわけだ。

森保監督のプランはあまりに慎重過ぎたし、相手の明確な弱点を意識していなかった。日本はフットボールの一チームが示し得る最低最悪のパフォーマンスを極限まで見せてしまった。プレッシングは劣悪で、攻撃は流動性が少なく、トランジションで相手を脅かせず、守備はいつものように脆弱。つまり勝利を狙うというのは、困難なミッションでしかなかった。

■人選と戦術への疑問

japan shibasaki(C)Getty Images

日本がサウジアラビアに危機感を覚えさせることはほとんどなかった。

監督はこの試合でも、ボール保持時には1-4-2-3-1を使用。柴崎岳に攻撃の舵を握らせたものの、現在の彼は代表チームのレギュラーとしては物足りなく、ほかの中盤の攻撃的な選手たちも生産性に乏しかった。堂安律、久保建英、伊東純也が不在のため、これまでとはまた違うダイナミズムを見いだすことが必要な状況ではあったが、どの選手も良くなく、戦術的意図も垣間見えないというのは……。

サウジアラビアは両サイドバックのアルガンナムとアルシャハラニの後方が常に穴となっていたが、その弱点を突こうと思った選手はいなかったのだろうか?

浅野拓磨は時おり冨安健洋か吉田麻也のロングボールから右サイドの亀裂に入り込もうとしていたが、左サイドの南野拓実は彼が本当にプレーしていたかどうかさえ定かではなかった。鎌田大地については、柴崎と遠藤航のサポートをしないばかりか、大迫勇也との補完関係も構築できず。一人がライン突破を狙い、もう一人がライン間で動き回れば、戦術的欠陥を持つサウジアラビアの両CBに迷いを生じさせられたのに……。大迫だけが攻撃に風を送り込んでいたものの、彼のフィニッシュフェーズのプレーは効果が上がらなかった。

日本が試合を通して創造性を欠き続けたことには、驚きを禁じ得ない。原口元気、本来スタメンでプレーすべき古橋亨梧、その後に守田英正、オナイウ阿道……と、途中出場の選手たちも流れを変えられず。失うものが何もない最終盤を除けば、日本がサウジアラビアと彼らの奇抜なGKアル=オワイスを苦しめることはなかった。

そのパス回しは見え透いていて、両SBのオーバーラップも数えるほど(前半に酒井宏樹が上がったときには危険な場面を生み出していたにもかかわらず)。柴崎はパスのタイミングが遅れに遅れ、遠藤は無闇にボールを持ち運ぼうとして、ファーストタッチで連係する意思をうかがえなかった。そのため守備時に1-4-4-2となるサウジアラビアを後方から崩していくチャンスを逃していた。柴崎と遠藤は相手の2トップの間、もしくは自チームの両CB横から容易にビルドアップをスタートできたはずだ。が、なぜかそこからチャンスの糸口を見つけようとはしなかった。

■過ち

saudi arabia japan(C)Getty Images

こうした状況においては、チームにハイプレスをやらせたほうが都合よかったが、森保監督はそれも実行しなかった――理由が、まったく分からない。

日本の守備はアグレッシブではない1-4-1-4-1をミドルゾーンで展開することからスタートした。それはサウジアラビアの内に絞ってくる両ウイングがパスを受けないようにするためだと想像できる(アルムワラド&ガリーブは中央にポジションを絞って、サイドのスペースをアルガンナム&アルシャハラニの両サイドバックのために空けていた)。だが森保監督はあまりにも及び腰で、そのプランの有効性は認められなかった。

サウジアラビアはアルガンナムが南野の戻りが遅い右サイドを何度も突破していたし、中央についてもアルマルキが両CBの間にポジションを取り、カンノとアルファラジが異なる高さでボールの受け手になっていた。ボールをポゼッションしていたのは、完全に攻撃的だったとは言えないながらも、サウジアラビアのほうだった。

森保監督は前半途中にリアクションを見せて1-4-4-2の配置により球際の争いで釣り合いを取ったが、ハイプレスや強度の高いプレスはついに実践しなかった。これは明らかな過ちである。ミドルゾーンでプレスを仕掛けずボールを奪えなければ、カウンターは決して実現できない。ボールを保持したときのプレー、ポジショナルな攻撃で精彩を欠いているなら、なおさらだ。

■本質の放棄

japan-moriyasu-saudi arabia(C)Getty Images

サウジアラビアはそこまで望んでいたようにも見えなかったが、守備があまりに脆弱な日本を苦境に立たせていた。セットプレーでは毎回のようにマドゥとアルアムリがゴールチャンスを手にし、とりわけアルガンナムを中心としたクロス攻撃にも日本は苦慮し続ける。そして日本の危うい印象は、柴崎の「無償のパスミス」によってついに具体性を獲得したのだった。アルブリカンは感謝してもし足りないだろう。サウジアラビアは、勝利に向けた明確な意思を見せずして勝利をつかんだ。ただただ、チャンスが訪れるのを待っていたことで。

サウジアラビアにとってこの試合は簡単だった。それは日本が簡単にしたからにほかならない。日本は、オマーン戦のように自国のサポーターをまた失望させたのである。

森保監督は「日本フットボールの自然な振る舞い」というものを見失っている。自分たちよりも明らかに優れた相手との対戦では日本らしくなくなることも必要だが、W杯予選で自分たちの本質を放棄するなどあってはならない。それが日本の生きる道であるはずなのに、その道を歩む気がないように見えた。日本の新たな敗戦の根拠は、その「過ち」「罰」にある。

広告