現在、無所属のMFイスコ・アラルコンが、そうなった経緯について説明している。
昨夏にレアル・マドリーとの契約が満了になったイスコは、それから紆余曲折を経て無所属でこの夏を迎えている。
イスコはマドリー退団直後、恩師のジュレン・ロペテギ監督が率いていたセビージャに加入。しかしながら同指揮官が解任となった後、冬の移籍市場でモンチSD(スポーツディレクター、今夏でセビージャを退団してアストン・ヴィラに加入)との確執が噂されながら同クラブとの契約を解消した。そしてその冬にはウニオン・ベルリンと契約間近となったが、ベルリンに渡りながらも最終的にサインを交わすことはなかった。
スペインを代表するファンタジスタは『マルカ』とのインタビューに応じ、その紆余曲折の具体的な出来事について語った。まずセビージャ退団について、モンチSDからの暴力行為があったという衝撃的なエピソードを激白している。
「ロペテギがクラブから去って冬の市場が近づいてきたとき、クラブ内でおかしなことが起きていると感じた。まず代理人がクラブ退団の道を探るために僕に連絡してきたんだ。事前に何も話していなかったから、モンチと直接話をしたよ。『何が起きているのか分からない。自分が必要なのか、そうじゃないのか……。僕は誠実に向かい合いたいし、しっかりと解決しようじゃないか』ってね」
「セビージャが財政危機に陥っていたのかは分からない。でも、そのやり取りの後にすべてがねじれていった。僕自身はクラブの考えを知りたかっただけなのに、自分が何かを見つければ出て行ってほしいと言われた。その会話の後、モンチは僕が退団を望んでいると言い張っていたが、それは事実じゃない。それから彼は毎日、僕と僕の弁護士に電話をしてきて契約解除にサインをするよう急き立てた。だから僕は彼と再び話し合って、こう言ったんだ。『いいかいモンチ、あなたは僕や話をしている人たちに対して誠実じゃない。僕は残りたいんだ。それなのに君は僕が去りたいと言っている』とね。そこからついに、揉め事に発展してしまった」
「今から話すことは本当に強烈な内容だ。僕は彼(モンチ)に対して、フットボールの世界で出会った中でも一番嘘つきな人間だと言い、そして彼から攻撃された。彼は僕に近寄ってきて、首をつかんできたんだよ。僕たちは引き離された。そうしたことが起こって、僕はもうセビージャでプレーし続けることを望まなくなってしまった。チームメートやファンと素晴らしい関係を築けていたから、悲しいことではあったけどね。僕はスポーツディレクターに襲われたにもかかわらず、誰も何も言わず、謝罪もないクラブにそれ以上いられなかった。あの暴力にも外部に漏らしていた嘘についても謝罪なんてなかったんだ。だから僕は契約を手放し、出て行くことにしたわけだ」
「(首をつかまれたという場面では)最初、僕が彼を引き離そうとして、それから警備員か僕たちを離れさせた。モンチもクラブもデリケートな時期を過ごしていたんだろうけど、それでも暴力のラインを越えてはいけない。僕はセビージャで満足していた。チームは困難な状態だったけど、僕はずっと出場できていたし、前へと進んでいけると思っていたんだ。だからセビージャのメディアを中心として、様々な場所で言われていたようなことは事実じゃなかった。自分が船を降りることを望んでいたなんて、僕のメンタリティーと一致しない。レアル・マドリーに長年いたけど、あきらめたことなんて決してなかったし、いつだってポジションを獲得するために闘っていたんだ。船を降りたことなんて、人生で一度もなかった」
「僕がセビージャに加わったのはロペテギから連絡を受けたからだ。彼は僕がほしいと、ここには素晴らしいチームがあると言っていた。だから僕は喜んで行ったんだよ。年俸がマドリーで受け取っていた額の4分の1になったとしてもね。だけど、いざ到着してみると、クラブの人からモンチが自分の獲得に納得していないと言われた。僕は自分を信頼してくれる監督や人々のためにプレーしてるけど、そんなことが起きたとしたら……。僕はセビージャに4カ月住んだ。3人の子供と一緒に引っ越してきたんだ……。それなのにいきなりどこに行くのか分からなくなれば、学校など色々な困難が生まれることになる。それでも強くなければけないし、前を向く必要があったんだ」
そしてイスコは、ウニオン・ベルリンと最終的に契約を結ばず、無所属となった理由について語った。
「自分に責任があったこともいっぱいある。チャンスをものにできなかったり、打ちのめされた気分になって練習であきらめていたりとね。だけどベルリンで起こったことは……おそろしかった。移籍市場最終日の夕方4時に(代理人のジョルジュ・メンデス氏から)電話がかかってきて、プレーできるチームがあると言われたんだ」
「そのチームはドイツのウニオン・ベルリンで、今季終了までと1年の延長オプション付きという1+1の良いオファーだと言われたよ。だから5分後にこちらから連絡すると言い、少し情報を調べた。ブンデスリーガで良い調子で、ヨーロッパリーグに参加していて、契約内容もプロジェクトも良い感じだった……。だから加入を了承したんだ」
「契約書が送られてきて、それを弁護士に転送した。すべてが順調だった。小さい子供も2人いる家族と、4時間以内に引越しなんてできるわけがないから、スーツケースを準備して一人ベルリンに向かったよ。到着してみると、クラブの人間が僕を迎えてくれた。写真を撮って、カメラを前に挨拶をしてと、慣例通りのことが行われて、翌日にメディカルチェックを受ける約束をした」
「次の日の朝、病院に向かう車で彼らにこう言われた。『最終的に、君を欧州大会で登録できなかった』って。僕は『今、それを言うのかい?』と返したよ。その返答は、最後までチャレンジしたけれど無理だったというもので、まあという感じだった……。それからメディカルチェックをクリアして、いざ契約を結ぼうというときに再び報告を受けることになった。『最終的にこの(年俸)額ではなくなった……もっと少ない』とね。僕はドイツに飛ぶ前の事前合意にはなかった、その度重なる変更をもう一度受け入れた。でも、それからもう10分が経過すると、来季受け取る額も契約書とは異なり、見直しが必要だと言われたんだ。そこで、もう放り投げたよ」
「僕はヨーロッパリーグでプレーするチームへの加入に大きな期待を持っていた。だけど、たった15分間で契約内容の半分が変えられてしまったんだ。僕は最初の契約を受け入れていた。自分たちも彼らもチェックをした最初の契約をね。あれはリスペクトを欠いていた。僕は18歳じゃないし、初めて結ぶ契約でもなかった。だからサインは書かないと言ったんだ。ドイツでの12時間でそれだけのことが起きたら、1年間で何が起きるのかなんて考えたくもない……。彼らには申し訳ないけど、スペインに戻らせてもらうと言ったよ」
イスコはセビージャ及びベルリンでの出来事に大きく心を乱し、精神科医の助けも必要としたようだが、現在は新たな気持ちで新たな挑戦に臨む心構えがあるようだ。
「今はとても良い調子だ。早く新たなプロジェクトに取り組み、新たな経験をしたいと思っている。フットボールをプレーして、楽しみたくてたまらない。自分がまだ素晴らしいシーズンを過ごせると証明したいんだ。ここまでの悪い経験を忘れたいし、これから訪れる出来事に目を向けたいね」




