ヨナス・ボルトは12年に渡ってレヴァークーゼンに在籍。様々な職務をこなしてきたが、2018年冬に突然スポーツディレクターを解任された。そして今シーズンからは、ハンブルガーSV(HSV)でスポーツディレクターを務める。
『Goal』と『SPOX』による本インタビューでボルトは、レヴァークーゼンの職を解かれたことについて詳しく説明してくれた。さらに、シャルケ04からのオファーついて、そしてHSVの要請に応じた理由を明かす。
■なぜレヴァークーゼンを去ることに?
Getty Images――ボルトさん、2007年からレヴァークーゼンで仕事を始めたあなたは、そこで徐々に昇進してこられました。2018年7月1日には契約を更新し、スポーツディレクターの職に就きました。しかし半年後には、突然クラブを去ることになってしまいました。このようなことになるとは夢にも思わなかったのではないですか?
実際僕はめったに夢を見ないけどね(笑)。それはさておき、本当に想像できなかったよ。レヴァークーゼンは僕のキャリアの見通しを立てることに労を惜しまなかった。信頼くれているといつも思っていた。役職は僕にとって一切重要ではなくて、何を実行できるかこそが重要だったんだけどね。さらに我々は、ユリアン・ブラントとヨナタン・ター、ラース・ベンダーと契約を更新した。そうして私だけじゃなくて選手に対して明らかなメッセージを送ることができた。「私は一緒に行くことはできないが、クラブの道は終わっていない」とね。
――12月にはそんな事態にはなっていませんでした。それから何が起こったのでしょうか?
夏に色々なことが起こって、昨季のスタートは非常に悪かった。そしてある時、契約時に話し合った私のプランを遂行できなくなってしまったんだ。そして、2つの可能性が残された。ポストを退いて責任を逃れるか、プランにとらわれずに対処するかのどちらかということになった。
――そしてあなたは後者を選んだのですね。
そうして自分の指針をはっきりさせたんだ。人を責めて自分の責任を回避するような性分じゃないんでね。そのような難しい状況に陥って、全員が自分の役割を全うした。そして、私はルディ・フェラーSD(スポーツディレクター)とヴェルナー・ヴェニング(社長)と会談の場を持った。私たちは全く違うことを考えていたんだ。話し合いの結果、我々は違う方向性に進むべきだということが分かって、私は他の道を進むのが関係者全員にとっていいということになったんだ。
――状況が変わったことにはどのようにして気がついたのですか?
難しい状況に対しては何か対処しなくてはいけない。私の意見ではそうする理由があったんだ。それは自分の中でいつでも明確にできる。でも、全くもって合意を得られなかった。でも私は自分の意見に自信を持っていたから、意見を合わせることはしなかったんだ。
――ご自身の意見に全く同意が得られなかったことは驚きだったのではないですか?
もちろん、私は他の人の考えについても敬意を払っている。自分の意見に自信があり、責任を持つのであれば、ただそれを実行するのみで、内部で争いを起こすべきではない。クラブのことは何よりも重要だからね。その当時は、持論を変えるつもりはなかった。だからこういう結果になったんだ。
――ルディ・フェラーは長い間あなたを支援する間柄でしたが、その時はどれほどあなたと意見を戦わせたのでしょうか?
とても熾烈だったよ。彼は私に負けたくないようだった。確かに争いを起こしていたけれど、数年でたまにしか意見は食い違わなかった。あの時はちょっと極端になってしまって、おそらく無意識に私に腹が立ってしまったのだろう。彼は長いこと僕を説得しようとして、色々なことをやってきた。もちろん彼は僕のことを分かっているから、それがうまく行かないことも悟ったのだろう。
■レヴァークーゼンとの別れ

――何年も働いたクラブを去ることは、さぞ辛かったのではないでしょうか?
その通りだよ。混乱したまま決めたわけではなくて、長い時間よく考えた上での決断ではあった。私が確信したのは、好きではないけれど、あの状況が引き起こした自分の役割を全うしようということだった。私も失敗を犯すし、全てが正しいわけじゃない。ただ、自分を顧みることができるし、自分に嘘はつかないと断言できる。けれど、あんなことがあったら、あのクラブに携わっていられないことも分かっていたよ。
――それにもかかわらず、昨シーズン終了までアドバイザーとしてクラブに残ることになりました。
その決定は私も分かっていたけれど、それが色々な人にとってとてもよく作用したんだ。とりわけ、私が契約を取り付けたピーター・ボスをはじめとする新しいコーチングチームにとってね。特にその様子がはっきり見えたのはピーターで、彼はチームにとてもよく馴染むことができたんだ。当時の僕にとって、チャンピオンズリーグ(CL)にたどり着くことが至上命題だった。私が編成するチームにとって、この監督がいいと考えたんだ。シーズン後半に入ってしばらくの間は、チーム内外の理由からCLにたどり着けるか疑わしかったけれど、戦う価値があると思った。最終戦が終わってからは、うまく行った感触が持てたね。
――後任のシモン・ロルフェスにも関わっていたと言われていますが。
いや、それはマスコミの誤報だ。彼については私は関わっていないよ。ただ、言った通り、クラブの全員にアドバイスできる立場だった。もちろんシモンに対しても。色々な人が僕の立場を自身のために、自分に合うように使ってくれたよ。
――噂によると、同じく7月1日から契約した新CEOのフェルナンド・カルロとあなたの関係が悪かったと言われています。当時あなたが契約を延長した時、彼と契約することは知っていましたか?
いや。ミヒャエル・シャーデの後任がくるということだけは知っていた。それが誰かまでは聞かされていなかったよ。
――カルロはベルテルスマン社(複合メディア事業会社)で24年間に渡って様々な役職をこなしてきましたが、これまでサッカーに携わったことはありませんでした。彼はどんな人でしたか?
彼と仕事をする人は、皆自分で決断をしなくてはいけなかったね。
――あなたはレヴァークーゼンに12年間いたことになります。レヴァークーゼンのやり方から脱却するのに苦労していませんか?
長い期間同じクラブにいると、様々な人と親密な関係になる。それがどれだけの人数だったか、離れてみて初めて気がつくんだ。それに、僕がクラブのビジョンを思い描いていたこともあって、その問題をすぐに解決するのは難しいんだ。みんな僕と連絡を取ろうとしてくれたから、そのおかげでもっと難しくなっているね。
――先程名前の挙がったブラント、ター、ベンダーはあなたが長い期間ともに働いた選手で、レヴァークーゼンとの契約も延長してきました。しかし、あなたがレヴァークーゼンから出ていくとすぐにブラントはボルシア・ドルトムントに移籍しました。これについては後から腹立たしく思ったりしましたか?
いや、そのようなことは私の身にも起こり得たことだからね。当時は、少なくとも昨シーズン限りは彼をチームに残すことにしていたんだ。実際私たちはそうした。それが簡単なことではなかったとしてもね。そして今夏に彼は移籍した。レヴァークーゼンはCLの出場資格を得たけれど、彼はどこかに行ってしまった。結局、付加価値を生み出せたので違約金を上げることはできた。あのクラブは、(レオン)ベイリー、(カイ)ハヴェルツやターのような選手のおかげで利益を挙げることができているというのも事実だ。それも私が前向きにレヴァークーゼンを去ることができるひとつの理由だね。
■オフの期間は…

――解任された直後に何をしていましたか?
ちょうどよく兄弟が友人とカナダでのスキー旅行を予約していたんだ。そこに私も混ぜてもらったんだ。その旅行でちょっとした人生の夢が満たされたよ。
――そして、その後はどうですか?
レヴァークーゼンをはじめ、様々なクラブで話をしていたよ。レヴァークーゼンではスカウティングのアドバイザーをやっていたから、方々に足を運んで、レギオナルリーガ(4部相当)からCLまでのたくさんの試合を見てきたんだ。ただ、自身を振り返ることにもっと時間を費やしたかったし、栄養学や心理学についても専門家の情報が欲しかった。この組み合わせは素晴らしかった。普段からずっとサッカーの仕事をしていたけれど、日常生活のプレッシャーは全くなかったからね。
――その間、あなたに興味があるクラブからのコンタクトはどのくらいありましたか?
最初はすさまじまったよ。そこから会談に至ったこともある。だから私はずっと仕事に熱中していたし、明日何が起こるのかも分からなかった。
――当時、たくさんのクラブからあなたの名前が挙がっていました。その中でシャルケの噂が広まりました。就任が有望視されたクラブと破談に至ったことは驚きではありませんでしたか?
いや。私はとても正直なタイプで、やり始めたあとで環境が合っていないと感じるような状況は本当に避けたいんだ。私には自分の考えがあり、ベストなやり方も知っている。けれど、何でもかんでも合わせてやっていくわけじゃない。私にとって重要だったのは、最初からそこに焦点を当てていくことだった。同時に、このあとどうなっていくかも気になっていた。しかし、サッカークラブのマネージメントから新シーズンは身を引く決断もしてよかっただろうね。
――しかし、そこからHSVのオファーがあり、急展開を見せましたね。
まさにその通り。会話のやりとりだけで終わったクラブや、何週間も何カ月もやりとりが来なかったクラブに比べたら速かったね(笑)。もちろん、新シーズンに向けた練習がもうすぐ始まるところだったから、HSVにとって時間がなかったということもあるけれど。
――レヴァークーゼンに留まった2018年には、ハンブルガーとすでに交渉していましたが、そのことが今回の素早い動きに繋がったのでしょうか?
そうだね。ルディ・フェラーがのちに私に言ったのは「レヴァークーゼンの成長具合が速ければ、チーム離脱を許可したんだけれどね」ということだった。HSVのことがその時から私の心の奥に残っていたのだが、昨年と同じ状況が突然今年もやってきた。そこで私たちはもっとじっくり話し合った。もちろん、協議にもっと時間をかけることもできたが、そこにはリスクもある。それをやるには早すぎるとはっきり分かったんだ。オファーを受けるなら今だと思ったんだよ。HSVの挑戦にものすごく心惹かれたんだ。それがたくさんの人を驚かせていることも分かっているよ。
――ここ最近は裏方に徹していましたが、トップクラスのポジションに戻ってくることを目論んでいたのでしょうか?
いや。衆目に晒されたりカメラを探したりするような地位のことは考えたこともないよ。責任を持てる仕事をやっていきたいんだ。2番手、3番手の地位で人々の前に立たなければいけなかったが、レヴァークーゼンでは仕事を続けてきた。そこで私は気がついたんだ。自分が正しいと思うことを言いたいなら、質問に答えればいい。でも最終的にレヴァークーゼンではそうはならなかった。いつでもいろんな質問がやってくるものだからね。シャルケでは、クリスティアン・ハイデル(スポーツディレクター:当時)といい話ができたし、彼の下で仕事ができたかもしれないね。ハンブルガーではまたスポーツディレクターを探していたから、色々なデメリットも含めてその仕事と向き合うことにしたんだ。
――なぜシャルケとの交渉は決裂したのでしょうか?
ハイデルやクレメンス・テニース(会長)といい意見交換ができた。けれど、同時に自分とは違う考え方を持っていることに気づいた。それに、決めるには時期が早すぎると思ったんだ。彼らは非常に早い段階でオファーをくれたからね。しかし、その後ハイデルはクラブを去ってしまった。一方で私は、自分を振り返る時間を意識的に増やしたかったし、それをせず直接組織の一員に戻りたくはなかったんだ。
■HSVを選んだ理由は?

――最近あなたは、ご自身の意思決定について語っておられます。「もし全てのクラブを同時に選べるとしても、HSVを選んでいた」とおっしゃっていますが、これはなぜでしょうか?
具体的な話を全て聞いてみて、HSVでの仕事や挑戦に一番心を動かされたんだ。私はそれ以外の条件では決断しないし、そうじゃないとよくないと思うんだ。あとはタイミング次第だと思うけれど、タイミングだけで決断するわけではない。HSVはとりわけいい感じだったし、素晴らしい態度で接してくれた。
――HSVはここ数年、国中の嘲笑に耐えねばならない状況になっています。これまでの状態をどう見ていますか?
もちろん、全てをはっきりと理解することはできないし、すぐに機能させることもできない。大まかな道筋を描くことが大切だが、過去にとらわれすぎるのはよくないことだ。私は以前からHSVのことを見てきているが、そこでは必ずしも同じ方向を向いているわけではないと思う。将来再びクラブをひとつにまとめ上げることが大きな目標だね。そうすることでファンが自分たちを、チームやクラブと一体になった「ユニット」だと感じてくれるようになるんだ。うまくクラブを作る方法はそれしかない。HSVは時々笑いの種として扱われているのは事実だが、皆がHSVを見ているということでもある。近い将来、その状況をうまい方向に活用したいと思っているんだ。けどその前に我々がしっかり戦わなくてはいけないね。
――最近は特にクラブイメージに苦労が見られます。ドイツ中の人たちのイメージを向上させることもあなたの仕事だと考えていますか?
私はHSVのイメージを変えるつもりはないよ。けれど、価値を見せて信頼を勝ち取ることができれば成功するだろう。そうすることでクラブのイメージが向上する。なぜかというと、すでに成功したクラブだし、そのクラブを支持できる何かがあるからだね。私がいつも主張していることだが、私だって他の人と同じように失敗もする。だが、皆で協力すれば勝率は上がるんだ。
――新シーズンは、あなたの出身クラブと戦うことはありませんが、これはよかったことでしょうか?
本当に対戦することはないにせよ、HSVにとって直接の敵にならないほうが今はいいことだね。最後のホームゲームのあと、私がクラブの敵にならないのであれば歓迎だ、というファンからのコメントがたくさんあった。当時はHSVが私に興味を持っていることを知らなかったけれど、意図せずしてその望みをかなえてあげられたのは嬉しいことだよ。あのクラブと、スタッフと、そして何よりもファンと特別な関係を持てたことは私にとって重要なことだったんだ。あの時のクラブの成長は、街の規模と比べてもとてつもないものだった。残念に思っていることといえば、最後にもう一度レヴァークーゼンにちゃんと別れを言いたいということだね。シーズン終盤には私もバタバタしていたんだ。色々な人と話をする機会はあったけれどね。レヴァークーゼンのことはずっと気にかけているよ。カップ戦で対戦する可能性は置いておいて、私たちは敵同士じゃないからね。少なくとも今シーズンは(笑)。
インタビュー・文=ヨヘン・ティットマール/Jochen Tittmar
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「※」は提携サイト『 Sporting News』の提供記事です



