Kazu Miura GenoaGetty

30年後にダービーでのゴールの価値を実感!? 三浦知良、ジェノア時代を回想「2年ほど前にジェノヴァに戻ったとき…」

JFLアトレチコ鈴鹿に所属する元日本代表FW三浦知良が、18日付のイタリア紙『ガゼッタ・デロ・スポルト』のインタビューでセリエAジェノア移籍などを振り返った。

かつて1994-95シーズンにジェノアに移籍し、日本人選手として初めてセリエAでプレーして注目を浴びた三浦。イタリア紙は、今月で58歳を迎える現役最年長選手について特集を組み、インタビュー記事を掲載した。元ジェノアFWは、当時の移籍についてこのように語っている。

「違いを作り出せることを示したかったんです。インテルやユヴェントス、ミランなどのクラブと日本のクラブとの親善試合を開催していたマリオ・スフォルツァというイタリア人代理人を知っていました。彼が複数のチームに僕を提案したんです。最終的に、ジェノアが僕を獲得してくれました」

「最初の思い出ですか? アルド・スピネッリ会長との夕食会です。彼の邸宅に招待され、長い時間、話をしました。会長は僕のことをリスペクトしてくれていました。僕をプレーさせなかった監督(フランコ・スコーリョ)を解任したほどですよ」

■ジェノヴァダービーでのゴールの価値

三浦は、1994年12月4日のジェノヴァダービーでセリエA初ゴールを記録した。元日本代表FWにとって、これがジェノアでの唯一の得点となったが、ジェノヴァの人々にとって大きな意味を持つものだった。

「キャリアにおける最高の瞬間ベスト10に入るかどうか? そう思いますが、当時は気に留めていませんでした。日本で何シーズンもゴールを挙げてきた後であり、代表でもプレーしていました。それにあのゴールは、2-3での敗戦を回避することにもつながりませんでした」

「ですが時が経ち、その重要さが分かりました。2年ほど前、クリスマスを過ごしにジェノヴァへ戻った時、あのゴールの価値を感じたんです。監督をしている友人が、教えている子どもたちに、『この紳士がダービーで得点を挙げたことを知っているかい?』と僕を紹介したんです」

「誰も信じなかったので、彼はスマートフォンを取り出しました。その反応は信じられないものでした。一斉に『ワオー』という感じで、『本当に君なの?』って。何と答えれば良いのか分かりませんでしたが、そこであのゴールがどれほど重要だったのか理解しました」

そんなセリエA初の日本人選手である三浦を巡るエピソードについて、イタリア紙『コリエレ・デラ・セーラ』は「ダービーのゴールを理解したのは実に30年後だった」と驚きを示しつつ、紹介している。

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