■ガブリエウ・ジェズスは貧しくも環境に恵まれて育った
ブラジルのサンパウロ北部にあるジャルディム・ペリ地区はとても質素なエリアだ。お世辞にも恵まれた環境とは言えないが、かつてそこに住んでいたガブリエウ・ジェズスにとっては、今なお特別な場所として彼の心の中に刻まれている。ガブリエウとは言わずもがな、マンチェスター・シティに所属するブラジル代表FWのG・ジェズスのことだ。
ジャルディム・ペリはガブリエウを一人の少年として、そして一人のサッカー選手として育て上げた場所だ。ガブリエウが“美しいゲーム”に初めて心惹かれたのもその場所であり、また彼がいかに強くあるべきかを学んだのもその地である。
ガブリエウ・ジェズスのストーリーには一人のヒロインが存在する。それは彼の母親であるヴェラ・ルシアのことだ。ヴェラには4人の子供がおり、子供たちにとっては母親としてだけでなく、父親役も担ってきた。彼女にとっては末っ子となるガブリエウが誕生する少し前に、ヴェラのパートナーは彼女のもとを去ったのである。
ガブリエウの父親は家族のもとから去り、そしてそれ以後一切消息は不明の状況だ。つまり、ヴェラは女手一つで家族全員を養わなければいけなくなったのである。そんな状況でも、彼女は小さな家で4人の子供を見事に育てあげた。ジャルディム・ペリに住む全ての人々にその事実が知れ渡り、その地区のみんながヴェラのことを賞賛している。
ヴェラは1日中仕事に追われていたが、子供たち4人にとって愛情深く、常に子供たちのことを気にかける母親であった。ときにガブリエウの口臭さえチェックし、悪い仲間とつるんでタバコを吸っていないかどうかを確かめていたのである。
ヴェラいわく、ガブリエウは決して奔放な子供ではなかった。ジャルディム・ペリは治安の悪い地域であったが、近隣の住民は皆、ガブリエウは常にトラブルを起こすような“悪童”ではなかったことを認めている。
「ガブリエウは家でしっかりしつけを受けている子だった。そして、コミュニティ内でもとても良い教育を受けてきた」
ガブリエウのことを幼少時から知る警察官、ヴァグネルはこう証言している。
「人というものは、時には道を見誤るものだ。もし正しい道を進もうとしていたら、決して悪事に関与することがないというのは説明するまでもないだろう。ガブリエウは犯罪や暴力からは常に距離を置いていた。彼は今では、正しい道を歩むことを望んでいるブラジルの若者たちにとって、まさにお手本のような存在となった」

■ジェズスはいかにしてサッカーがうまくなったのか
ガブリエウにこれまで起きた小さな問題はサッカーに関することだった。彼はいつも家のすぐ外でサッカーをしていたのだが、隣の家のドアや窓を彼のシュートで壊してしまうことがよくあった。
今もガブリエウが少年時代に過ごした家の隣に住んでいる、イスマエル・オリヴェイラは、その被害に遭った人物だろう。しかし、彼はガブリエウや彼の友達を責めることは一度もなかった。イスマエルは彼らの正直で素直なところが好きだったのだ。
「あいつらはうちのすぐ前でサッカーをしていた。何かが起こった時に、あいつらは『イスマエルさんごめんなさい。あのシュートを打ったのは僕なんです』と正直に謝ってきたんだ。だから、いつも何も言わずにボールを返していたよ。でも、そうしてあげるのはやつらに対してだけだけどね」
「私は確信していたんだよ。ガブリエウはプロのサッカー選手になるってね。彼のボール扱いは子供の頃から本当に素晴らしかった。他の子供たちは彼には到底敵わなかった」
ガブリエウ・ジェズスはイスマエルの言葉を確かに証明している。母国ブラジルではパルメイラスで結果を残し、2017年1月にマンチェスター・Cに加わると、リーグ戦4試合の出場で3ゴールを記録した。世界的なストライカーであるセルヒオ・アグエロをベンチに追いやるほどの活躍を見せていたものの、プレミアリーグ戦4試合目の序盤で足を負傷し、その後は戦列を離れて復帰を目指してリハビリに励んでいるところだ。

■郷里、そして恩人への思いが人一倍強いジェズス
イスマエルの息子、アンデルソンはかつてのガブリエウに魅了され続けている。かつて一緒にストリートでサッカーを楽しんだガブリエウはパルメイラスのアイドルになったのだが、彼らは2人とも子供の頃はそのパルメイラスの宿敵であるコリンチアンスのファンであった。
そして、彼は旧友について「君のルーツを忘れるな。2012年にコリンチアンスがコパ・リベルタドーレス杯で優勝した時、僕たちは一緒に祝ったことをね!」と述べている。
若い頃のガブリエウはコリンチアンスの試合をバーにある大きなスクリーンでいつも見ていた。試合を見ていない時には友達と一緒に表に出て、路上でストリートサッカーを楽しんでいた。
サッカーがひと段落すれば、彼は甘い物好きの欲求を満たすべく、両手いっぱいにキャンディーや炭酸飲料、クッキーにガムなどをいっぱいに抱えていた。Giバーのオーナー、ジゼル・シャビエルは当時のガブリエウをからかい、笑い者にしていた。
「彼は本当にシャイな子だったわ」
「彼はチャラチャラすることもなく、真面目な子だったの。可愛らしい子で、唯一興味があるのがサッカーだった。私が彼をデートに誘ったときには、あまりにシャイすぎて返事もできなかったくらいなの」
そんなシャイなガブリエウだが、サッカーに関することについては外交的だった(もちろんサポートが必要な状況ではあったが)。カンポ・ティラデンテスにあるユニオン・ド・ペリという地元のチームに加入した時、ガブリエウや友達は、近所の人に練習場まで車で乗せて行ってもらっていた。ヴァグネルもよく彼らを車に乗せ、また子供たちにサッカースパイクを寄付することもあった。
ヴァグネルは「ガブリエウがサッカーをしている時に、両足でバラバラのスパイクを履いているのを見たことがあった」と回想している。

■若くして天性のセンスを発揮していたG・ジェズス
ガブリエウが大学で体育学を専攻し、少年たちがビッグクラブへの移籍をするところの面倒を見ていたディエゴ・フォッファンと知り合ったのは、ユニオン・ド・ペリでプレーしていた時のことだった。
ディエゴは教え子のガブリエウに対して良い思い出しかなく、彼はガブリエウを年上相手、時には大人相手の試合にも出場させた。激しいチャージから彼を守るため、彼が本職としているセンターFWではなく、サイドアタッカーをやらせていたという。その時、ガブリエウはサイドでも素晴らしいプレーをしていた。
「一度、試合中のガブリエウに叫んだことがあるんだ。もっとハードにプレーしろっろてね。そうしたら、彼は相手のベストプレーヤーを見事なドリブルで抜き去り、ゴール前のストライカーに最高のクロスボールを上げたんだ」
ガブリエウの生まれ持った能力からして、彼がよりレベルの高いチームに移るのは時間の問題だった。しかし、彼は自分のルーツを忘れることはない。彼はしばしインタビューにおいて、ジャルディム・ペリで培われたプライドとホームタウンを象徴するタトゥーを腕に入れていることを明かしている。
ジゼルはガブリエウについて「一度彼に聞いたことがあるんだ、プロになった今も、まだ(大好きな)スイーツを食べることができるのかってね。そうしたら彼は『ここGiバーでは、クッキーを食べようが、炭酸飲料を飲もうが、自分のしたいことはなんでもできる』って言ったんだ。だけど、マンチェスター・Cではそういうことにも罪悪感を感じてしまうようなプレッシャーがあるんだろうね。(ジョゼップ)グアルディオラが、彼がソフトドリンクやジャンクフードが大好きなことを冗談めいて話しているようだけど」と言及している。
マンチェスターに向けて出発する少し前、ガブリエウはジャルディム・ペリで最後のパーティーを開いた。メディアや一般のファンが立ち入ることができないその会で、彼は一人の少年に戻ったようだった。ストリートでのサッカーや友達とのサンバを楽しみ、彼が育つために重要な役割を担ってくれた、周りの人々とのふれあいの時間を心から満喫していた。
パーティーの後、ガブリエウ・ジェズスはジャルディム・ペリを去り、一人でイングランドのマンチェスターへ旅立たなければならなかった。しかしジャルディム・ペリがガブリエウを忘れることは決してない。そして、ガブリエウもジャルディム・ペリを忘れることはないのだろう。そこは、いつでも彼が戻るべき“ホーム”なのだから。
Reprodução/ The Sun取材・文/Allan Brito & Rodrigo Hoschett/アラン・ブリト&ロドリゴ・ホスチェット


