何年にも渡って中傷や誤解を受け続けたジョルジーニョだったが、チャンピオンズリーグ(CL)優勝を果たし、EURO(ユーロ)2020でもイタリア代表の重要なメンバーの一人だ。
ずっと批判を浴び続けたにも関わらず、ジョルジーニョはフットボール界の頂点に達した。その過程で乗り越えてきた壁を振り返れば、どれほど厳しい旅だったかはすぐにわかる。
ジョルジーニョはブラジル南部サンタ・カタリーナにある、流行とは程遠いインビトゥバという街で育った。サッカーを始めたのは、母マリア・テレサ・フレイタスの影響だ。
彼女自身もプレー経験があったが、その才能は息子のジョルジ・フレーロ・フィーリョに受け継がれた。ジョルジは後に「ジョルジーニョ」として知られることになる。
だが、サッカーの指導を受け続けるためには、100マイル(約160km)も北に離れたグアビルバ・スポーツセンターに行かなければならなかった。満足な施設ではなかったが、そこで50人の少年たちと練習、生活をともにした。
そこでの日々は決して楽ではなかった。一日に三度同じ食事が与えられ、ユースチームの選手たちは水しか出ないシャワーしか使えなかった。
ジョルジーニョは何度も諦めようと考えたが、結果的に耐え続けたことで実を結んだ。そして15歳の時、ヴェローナと契約することとなったのだ。
イタリアでの生活は、施設での生活と比べても簡単なものではなかった。1週間をたった20ユーロ(約2600円)で過ごさねばならず、そこでもサッカーを諦めそうになっていた。だが、当時のエージェントが会計をごまかしていることに気がつき、経済的な問題は一気に解決。今度こそジョルジーニョは成功の道を駆け上がり始めた。
■恩師が語るジョルジーニョ
Getty Images初めての監督、アンドレア・マンドルリーニに導かれたジョルジーニョは、完璧に独り立ちできるほどの実力を備え、プロ選手になった。
「初めて見た時は本当にスレンダーな子だったんだ」とマンドルリーニは『Goal』で語る。
「風に吹かれて飛んでいってしまいそうだったんだよ。だが、持ち前のプレーと献身性のおかげで彼は一人前になり、そして偉大なプレイヤーになれたんだ。この成功は運命づけられていた。彼がトッププレーヤーになるとずっと信じていた。いつでも監督の思うようにプレーをするし、必ず指示した通りにプレーするんだ」
一方で、プレミアリーグでは度々批判にさらされてきたジョルジーニョ。チームが不振に陥るたびに槍玉に上がっていたが、マンドルリーニは「ジョルジーニョへの批判はフェアじゃないと思う」と続ける。
「確かにまばゆい輝きを放つ選手ではないかもしれないが、シンプルな選択ができるからチームにとって非常に重要な選手だ。ジョルジーニョは誰とでもプレーできる。インテリジェンスに溢れ、謙虚な選手だ。どんなシステムにも、どんな試合にも、どんな監督にも合わせることができるんだ」
「チャンピオンズリーグ準決勝でレアル・マドリーを倒して地面に崩れ落ちる姿は美しいものだった。子供のころからの夢がかなったんだ」
■サッリの下でトップ選手に
Gettyジョルジーニョが2014年ナポリに加入したときの監督はラファエル・ベニテスだった。だが、トップチームでのキャリアがスタートしたのは、翌年マウリツィオ・サッリが監督になってからだった。
愛煙家で戦術家のトスカーナ人こそが、ジョルジーニョを大きく変貌させた張本人だ。サッリによってジョルジーニョは深くから試合を作るのに長けた世界有数の選手となったのだった。そして2018年、サッリ自身のスタンフォード・ブリッジへの移籍とともに、ジョルジーニョをチェルシーに連れて行ったのだった。当時、ジョルジーニョがマンチェスター・シティに加入することが有力視されていたが、最後はサッリの存在が大きな要因となった。
ブルーズでのキャリアの初期には、ジョルジーニョのメンターが監督だということで、謂れのないクレームに度々耐えなければならなかった。「サッリの息子」とさえ呼ばれていた。
だが、ジョルジーニョのクオリティと性格を物語っている事実がある。5700万ポンド(約87億7000万円)で移籍したジョルジーニョがさらに成長して強い影響力を持つようになったのは、サッリがユヴェントスに移った2019年からなのだ。その年はフランク・ランパード監督の下、セサル・アスピリクエタを支える副キャプテンになっていた。
Gettyビリー・ギルモアは『Goal』によるインタビューの中で、ジョルジーニョを「リーダー」と表現した。29歳のジョルジーニョから常にアドバイスを受けていると明かした。さらに、ジョルジーニョを高く評価しているのは監督やチームメイトだけにはとどまらない。
「彼は、いわば継続性のあるプレイヤーだ。高いレベルで、よいリズムでボールを進めることができる」と『Goal』に語ったのは元ブルーズのストライカー、マーク・ヒューズだ。
「フットボールというものを理解している。イタリア人はとてもクレバーで、戦術的に抜け目のない選手が多い。色々なシステムで何が要求されるのかわかっているし、監督が望むことを実行することもできる」
「情報を受け止めてチームメイトに伝え、試合に影響を与えることができる。だから彼は特別な存在なんだ」
■EURO制覇で母超えへ
Gettyジョルジーニョのプレーは現監督トーマス・トゥヘルの元で、間違いなくさらに高いレベルへと昇華した。今となってはイングランドのフットボールファン全員がジョルジーニョの能力を理解しているだろう。
ジョルジーニョの家族や監督として指導した人たちが最も誇りに思うのは、彼が謙虚な人間であり続けていることだ。行く先々で友人関係を築き上げ、ロッカールームでは文化の違いを超えて交流を深めている。ウェストロンドンに移籍してからは異常な速さで英語を学び、メイソン・マウントらとすぐに親密な関係となった。
成功を収め、明るい性格を持っていても、ジョルジーニョはまだ完全に満足してはいなかった。自身が母親よりも優れたプレイヤーであることはまだ証明できていないのだ。キャリアで最も大きな影響を受けたことについて聞くと、ジョルジーニョは「母はいつだって僕より上手かった」と答えている。
ジョルジーニョ自身、「ここに来るまでに経験した過去のことが全部頭をよぎったんだ」と認める通り、チェルシーでCL優勝に貢献したときは、彼にとって本当に特別な瞬間だっただろう。
だが、イタリア代表で初のタイトルを獲得すれば、彼にとって最高の栄誉となるだろう。その時には初めて「母を超えられた」と口にできるかもしれない。


