現地時間、17日の晩にハンジ・フリックはマイクの前で、シーズン終了時にバイエルンを去る意向を明らかにした。彼自身は、この問題についてすでに解決済みであると信じていた。そう考える理由は二点ある。
一つは、その2日前に彼がクラブ首脳陣で最も信頼を置くカール=ハインツ・ルンメニゲとオリバー・カーンにその旨を伝えていたからであり、もう一つは、この日のヴォルフスブルク戦を3-2で制し、今シーズンに獲得可能な最後のタイトルであるドイツチャンピオンへの道がほぼ確実なものになったからだ。
だが、フリックの“フライング”はバイエルンのお偉方にとっては面目丸潰れの事態に他ならなかった。日曜の午後に公式見解を発表した首脳陣はフリックの先走りを「到底受け容れられるものではない」とし、レヴァークーゼン戦とマインツ戦という重要な試合が控えていることを指摘。それが終わらない限りは、監督問題について話し合うつもりはないという意志を強く表明したのだった。
(C)Getty Imagesこれが”FCハリウッド”というかつての呼称にふさわしい泥仕合の始まりだった。その後、『ビルト』において、フリックのアシスタントコーチであるミロスラフ・クローゼが同様に今夏の退団の意向を示唆し、首脳部はさらなる痛打を浴びせられた。その際、クローゼはクラブのフットボール面での指導体制をあからさまに批判した。
「必ずしも意見が一致しない場合でも、互いにリスペクトを持つことが絶対に必要だ。ウリ・ヘーネスやルンメニゲがここを世界的なクラブにできたのは、彼らが常にFCバイエルンというクラブのことを考えて、自分の見栄にこだわらなかったからだ。現在のクラブ内のコミュニケーションには頭をひねらざるをえない」
クローゼの批判の矛先は、今あらゆる方面からの非難にさらされ、かつかなりの部分は正当でもある非難をじっと耐えるしかない状況におかれたあの人物、即ちSDのハサン・サリハミジッチに向けられていた。
■フリック&クローゼとサリハミジッチの確執
Getty / Goalそこには何の不思議もない。『Goal』と『SPOX』の入手した情報によれば、クローゼとサリハミジッチの関係が破綻しているらしいという数々の報道は真実であるばかりか、その内容はまだしも穏やかに表現されているくらいだからだ。共に元プロ選手だった2人は根深い反感によって繋がれているのだ。
その原因になったのはサリハミジッチの息子ニックであり、クローゼのU-21監督時代、ニックはクローゼの指揮下にあった。クローゼはサリハミジッチ・ジュニアにレギュラーポジションは任せられないと考えたが、これについてはバイエルンのアカデミーの他の監督たちの見方も同様だった。
ただ、クローゼは敢えてサリハミジッチ・ジュニアを試合に出さず、ベンチを温めさせた点が同僚たちとは違っていた。父親の方のサリハミジッチはこれを受け容れられず、やがてクローゼとの間に紛れもない確執が生まれるに至った。その後、クローゼは仕事を投げ出そうかと考えさえしたようだ。
そのときに仲裁に入ったフリックは自分のスタッフに入るようクローゼを説得した。これが2020年7月のことだ。その一度では終わらず、1年後にクローゼは再び仕事を投げだそうと考えているわけである。一方のフリックは、少なくとも彼の思惑通りに行くなら、すでにバイエルンとの関係を、より正確に言うならサリハミジッチとの関係を終わらせている。
なぜ、こんなことになってしまったのか? ゼーベナー・シュトラーセ界隈の消息通たちの話を聞けばすぐにわかるのは、バイエルンのSDを務めているのがエモーショナルな人間だということだ。サリハミジッチは「とても親切で思いやりがある人物になれる」という評価を得ている一方で、「非常に短気なやかまし屋にもなれる」というのだ。
Getty Compositeこの1年半、サリハミジッチとフリックの間には度々いざこざがあった。最初は選手の移籍の可否やメンバープランの問題に限られていたが、やがてはバイエルンにふさわしからぬ選手の行儀作法をめぐってまで対立が生じるようになった。最も新しい例で言えば、チャンピオンズリーグ準々決勝のパリ・サンジェルマン戦の直前に、サリハミジッチはTVでDFジェローム・ボアテングとの契約を延長しない“追放宣言”を行った。
そのほかにも何度も、マヌエル・ノイアーとの新契約の交渉時のように、ブラッツォ(サリハミジッチの愛称)陣営からわざと報道陣に内部の情報が流されたこともフリックの気分を損なったらしい。
■辞任理由は他にも…
Gettyだが、3冠を達成したフリック監督にとってサリハミジッチが唯一の障害要因だったと考えるなら、事実とは程遠いだろう。フリックはボアテングやダヴィド・アラバのような功績のある選手たちに対するクラブの処遇全般に対しても不満を感じていた。たとえば昨年の夏、ヘーネスとルンメニゲは共に、アラバの代理人を務めるピニ・ザハヴィ氏を公然と「金に汚いピラニア」呼ばわりしたが、その時点ではアラバとの交渉はまだ破綻していなかったのだ。
さらに、この数か月、フリックはチームに関しても自分自身に関しても無条件のサポートを得られずに苦しんでいた。バイエルンがキールで行われたカップ戦に敗れた後、ルンメニゲは「これは予想外のしくじりにすぎないということを今すぐに示す必要がある」と発言し、チームに圧力をかけた。
あるいは、最近パリで戦ったチャンピオンズリーグのアウェー戦後、チームは1-0と勝利したものの、敗退が決まった。すると、幹部たちは揃って沈黙を守り、ルンメニゲの後を継ぐことになっているオリバー・カーンが翌日になってたった1回ツイートしたのみだった。
しかし、愛すべきハンジと、悪しきバイエルンあるいは悪者サリハミジッチという物語がどんなにわかりやすいとしても、それが真実のすべてではない。
結局のところ、見えない部分ではフリックも必ずしも罪のない子羊の姿をしているわけではない、というのもまた真実なのだ。あるとき、バスでの移動中にチームの面前で、サリハミジッチに対して「いい加減に黙れ」と怒鳴りつけたことをフリック自身が語っている。
またそれとは別に、サリハミジッチとの関係に深い溝が生まれる前から、すでにフリックはFCバイエルンというプロジェクトそのものに疑問を感じていた。というのも、1年と少し前にバイエルンが彼を暫定監督から正監督に据えようとしたとき、フリックはその提案を断ってシーズン終了と共にバイエルンを去ることを考えていたという。
彼が考え直したのは、コロナウイルスのせいで全般的に困難な状況になったせいであり、同時にチームとの間に実り多い素晴らしい協力関係を築くことができたことによる。フリックとバイエルンは2023年までの契約で合意した。だが、フリックは今、何が何でもそこから抜け出したいと思っている。
理由は、メンバープランや行儀作法についてのイメージの違いのみにとどまらない。個人間の意見の衝突だけが原因なのではない。それだけではなく、2020年の春と違って、フリックにとって見過ごせない一つのチャンス、もしかすると監督として二度と巡り合えないかもしれないチャンスが目の前に差し出されているからなのだ。ヨアヒム・レーヴの後継者としてドイツ代表監督に就任するというチャンスが――。


