元バルセロナの助監督で、元スペイン代表監督も務めたロベルト・モレノ氏が、自身の指導哲学について語っている。
ルイス・エンリケ現スペイン代表監督のコーチングスタッフとしてバルセロナ、スペイン代表で助監督を務め、L・エンリケ監督が家庭の事情により一時スペイン代表監督を離れたときにはその後任を務めたモレノ氏。最終的にはL・エンリケ監督と袂を分かった同氏だが、その手腕はスペインで大きく評価され、現在はグラナダ監督就任間近となっている。
そんなモレノ氏はスペイン『パネンカ』誌とのインタビューで、自身の指導哲学について語っている。まず話したのは、メディアと監督が距離を置くようになった要因についてだ。モレノ氏は、メディアと距離がずいぶんと近いことで知られている。
「それがファンに近づく方法であり、メディアには説明をしなくてはいけない。私は自分自身に多くのことを問いかけるが、その内の一つがなぜ監督とメディアの間に溝が生じてしまったか、ということだ。思うに、監督は自分の身を隠そうとしている。しかし、誰かに(戦術を)コピーされることを恐れてはいけない。誰もがコピーをするが、しかしコピーをベースにしてしまえば、間違いなくオリジナルと同じ結果を手にすることはない」
また、モレノ氏は監督が信頼を得るためには「結果」が必要であることを強調。しかし、その結果というものが最後まで偶然性に左右されるとの見解も示した。
「大衆の意見が結果だけで動くことは受け入れなければならない。おそらく正当ではないが、そういうものということだ。人生は正当なものになり得ない。監督がすべきは、フットボールにおける不確定要素を極力少なくすることにほかならないが、しかし偶然の産物が結果を変えてしまう」
「自分がすべきことは、どのように負けることを望むかを選択し、そしてその選択を守り切ることだ。すべてを決めるのは結果だが、結果は自分のスタイルに基づいて生じる。成功と失敗は束の間のことであり、大切なのは継続することなんだよ」
「成功と失敗は束の間」と話すモレノ氏だが、その「束の間」の後には何があるのだろうか。
「勝利は殺人者そのもの。成功を手にしたチームはすぐ失敗することを義務付けられている。同じ構成員で戦い続けることは難しいんだ。無意識の中で気を緩めてしまうから。私が擁してきた中で、そうならない素晴らしい選手たち(メッシ、ネイマール、セルヒオ・ラモス)も確かにいる。彼らは常に何かしらの飢餓感を覚えているんだよ。しかし私の見解では監督のサイクルは2〜3年しか続かない。シメオネは例外中の例外だ。チームには変化と驚きを与えることが必要なんだよ」
L・エンリケ監督とモレノ氏は、ポゼッションフットボールを哲学とするバルセロナにトランジション、カウンターを植え付けたことでも知られている。
「トランジションは確かにクラブのスタイルではなかった。私はスペースを生かすことが好きだ。それは速ければ3本のパスで実現し、遅ければ20〜30本で行うことになる。相手が高い位置からプレスをかけてくれば、後方にはスペースができる。そして、そのトランジションのスタイルを促進させているのがドイツの監督だ。行ったり来たりを繰り返せる選手たちを起用することでね。そのフットボールが何を生じさせているか? ピッチ上の混乱状態だ。それは私たち監督を不安にさせる」
「スペイン人監督の方がドイツ人監督よりも混乱に不安を覚える? そうかもしれない。そうなればコントロールを失うことになるし、私たちのフットボールはそうしたことを好んでいない。そこにはラ・リーガとの文化的な違いがある。ブンデスリーガとだけでなく、プレミアリーグもそうだ」
「ブンデスは言語的に閉鎖されたエコシステムを形成している。大多数の監督がドイツ人だ。クロップがトランジションと力強さのスタイルで成功した第一人者で、そこから模倣が始まった」
ラ・リーガは4シーズン前までの総得点数の平均が1100ゴール以上だったが、953得点まで低下している。欧州5大リーグで最も得点数が少ないリーグとなったが、クリスティアーノ・ロナウドが去ったりメッシが役割を変えたりした影響のほか、考えられる要因は何だろうか。
「とても難解な質問だ。まず、攻撃するのは守備をするよりも難しい。ボールを持っているときには、持っていないときよりも多くの決断を下さなければならない。そして守備の方が機能しているとなると、そこに流行が生じる。カディスの1部残留により、彼らの監督アルバロ・セルベラは他チームにとっての模範となるだろう。思うに、以前までの攻撃をする喜びは、守備的な返答を得てしまった。また、同様にプレミアが才能ある選手を持ち去ってしまうということもあるかもしれない」
「誠実な返答をすれば、なぜラ・リーガの総得点数が150点も下がってしまったのか、私には分からない。まったく見当もつかないよ(笑)」
スペインと言えば、一時はバルセロナの影響でポゼッションフットボールを実践する印象が強いが、モレノ氏はその文化が形骸化していることも指摘した。
「おそらく、私たちはポゼッションを手段ではなく目的としてしまった。監督の大きな挑戦はプレー構造を生むのではなく、ダイナミズムを生み出すことにある。ボールを持つのは良いことだ。が、ゴール前最後の数メートル、スペースがなく相手選手が多いあそこで違いを生み出さなければならない。スペースを突くのか、クロスを送るのか、エリア外からシュートを放つか、1対1の状況を生み出すのか、とね」
「だが、そこで監督が選手たちに1対1の状況を回避するよう言ったとしたらどうする? 選手たちは『俺はリスクあるパスを出さない。ボールを失えば、監督は俺を使わなくなるだろう』と考えるだろう。そうして試合をコントロールするためのパスが繰り返されることになる。最高の攻撃を仕掛けるためではなく、ボールを失わないためのポゼッションが完成するというわけだ。そうなってしまうのは指導者の責任だ。プロでも、育成レベルでも」
メッシとともに過ごした経験があるモレノ氏は、チームには同選手のように指導する必要のない存在がいるとの持論も展開する。
「コレクティブこそが最も大切さ。試合を一変させる選手たちは、その天才性を発揮するため背後にチームが必要だ。メッシにどう動くべきかを言う必要はないが、残りの選手たちにはメッシの機能によってどう動くかを説明しなくてはならない。すべてを決するのは選手だが、監督は影響を与えられる。監督はチームが収める成果を小さくも大きくもできるんだ」
「選手には私を必要とするタイプもいれば、何も必要としないタイプもいる。それが指導をすることの素晴らしさだ。モナコでは、バディアシルのように愛情を求めてカウンセラーまで必要だった若手選手もいれば、ベン・イェデルのように勝手に機能していく選手もいた。そしてメッシについては…、指導なんてする必要はないんだ! 指導するのはそのほかの選手たちで、彼らをメッシと一緒にプレーできるようにしなければならない」
「メッシやネイマールにどのポジションに位置すべきかを言う必要はない。しかし、ほかは『どう動けばいいんだ?』とこちらを見てくるわけだ。全員を同じようには扱えない。スポーツ面、契約面、商業面とすべてが違うのだから。なぜ監督だけ違う振る舞いを見せる必要がある? 選手の特権はチームの被害とならない限りは考慮し得るものだ。チームの被害になるならば、それがレッドラインとなる」
そしてEURO2020に臨むスペイン代表については、EURO2008、2010年ワールドカップ、EURO2012優勝を果たしたようなチームづくりはもう見込めないとの考えを口に。EURO2020に臨む選手たちは、個々が収める結果でなく、コレクティブな機能性が重視されて選出されたとしている。
「バルサの選手たちを中心としたスペイン代表のようなチームは、どんな代表チームでももう生まれないだろう。だからこそ個々の結果ではなく、コレクティブなプレーで寄与できるという面で選手を選ばなくてはいけない。私たち全員が代表監督とは異なるリストを作成できる。が、選手間で生まれる化学変化までは考えられていないだろう」


