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【特別寄稿:メッシ退団】バルセロナ生まれの小説家が綴る悲痛な思い「流した涙は、もうメッシがメッシでなくなってしまったことを意味していた」

リオネル・メッシが、バルセロナを去る。13歳から所属し、プロデビューから17年間でクラブ歴代最多出場(775)、最多ゴール(670)、最多タイトル獲得(35)を成し遂げた生ける伝説が、カタルーニャの地を去る。

8日に行われた退団会見で、メッシは登壇前から溢れる思いを堪えきれなかった。人目をはばからず涙する姿は、全世界の人間の心を打った。特に、カタルーニャに住むクレ(バルセロナファン)の心を。

メッシを愛する小説家ジョルディ・プンティは、「彼が彼の人生のクラブとの日々を終える、ということを理解できないでいる」と綴る。そんな彼の悲痛な思いを、今回は特別に掲載する。

文=ジョルディ・プンティ(Jordi Punti)
翻訳=江間慎一郎

■メッシ

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ギリシャの伝説的な英雄のように、神々を楽しませるためにこの世に生を受けたフットボーラーがいる。その最たる存在こそが、レオ・メッシだ。彼は誰よりも恵まれた才能を与えられ、それを果てしなく磨き上げながら、FCバルセロナとともにタイトルを獲得していった。

34歳と、未来より思い出の方が多くなった今もなお、メッシはバルサにとって、ほかのチームにとってもかけがえのない存在であり続けている。なぜならば、バルセロナのメッシという存在は、彼のシュートを、彼のゴールをずっと喜び続けてきた私自身と同化しているのだから。バルセロナのメッシという存在は、彼のドリブルに、彼のスルーパスにずっと苦しんできた(そして認めざるを得なかった)あなた自身と同化しているのだから。それゆえに私は、彼が彼の人生のクラブとの日々を終える、ということを理解できないでいる。

メッシが唯一無二であるように、バルセロナも彼にとって唯一無二のクラブにならなければならなかったはずだ。しかし、もうそうではなくなってしまったし、私たちはメッシとバルセロナがイコールで結ばれないという真実を共有しなくてはならない。

なぜ、こんなことになってしまったのか。何かを考えることを拒否する私の頭の中に浮かんでくるのは、フットボールを嫌う神々だって喜ばせなくてはいけない、くらいのこと。たとえ自分の顔に落ちてくることになったとしても、天に唾を吐きかけたい気分だ……ふざけるのも、いい加減にしてくれ。私を、あなたを、私たちを消してくれるな。

■虚無

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「こんな形で別れることになるなんて、一度として想像できなかった」

メッシは退団会見で、そう語っていた。別れを告げるための心の整理などついていなかった。私たちにしたってバルサのユニフォームを着る彼の姿をもう見られないなど信じられない。彼がトップチームデビューを果たしてから16年の歳月が流れて、ついに私たちは夢から叩き起こされてしまった。レオのプレーはいつだって極上で、本来はあり得ないことがまるで普通のことのようになっていた。私たちは空想の現実に慣れ親しんでいたのだ。だが、彼はクラブの壊滅的な財政状況とラ・リーガのサラリーキャップによって残りたかったのに残れず、望まぬさよならをすることになった。きっとこれからだってメッシはフットボール好きな神々を楽しませるだろうし、もう一度チャンピオンズを勝ち取ることもあるだろう。それでも彼が退団会見で流した涙は、もう彼が彼でなくなってしまったことを意味していた。彼の両足は違う国、違うリーグに赴くが、その心はバルセロナに残り続けるのだから。

「ピッチの上で、皆とお別れができたら良かった。彼らの最後の喝采、最後の愛情を受けて、ね」

メッシはこうも言っていたが、この言葉は彼が最後の称賛を受けることを確かなものとしている。本当の引退をするときにバルセロナへ戻ってきて、「このクラブの一部になる」ことを。しかし、ここから、その時がやって来るまでの時間は一体なんなんだ? 今、感じているこの耐え難い痛みをどうすれば失くすことができる? 現在はそれぞれが痛みと、これから必ず襲ってくる寂しさを抑えようと必死だ。

バルセロナの路上に飛び出して「メッシ! メッシ!」という叫びを町全体に響かせている人たちがいる。袖を通した10番のユニフォームを、もう一生脱がない気でいる人たちがいる。彼のバルサでのキャリア、ゴール、フリーキック、ドリブル、象徴的な瞬間(例えばそれは、レアル・マドリー戦で美しいゴールを決めた後、ベルナベウの観衆に10番のユニフォームを見せつけた場面だ)を切り取った映像を探し続ける人たちがいる。私の場合は、今現在この文章をしたためることで彼の別れと闘っている。「メッシがいない日々、1日目」「メッシがいない日々、2日目」「メッシがいない日々、3日目」と、繰り返されることになる虚無な日々に抗おうと闘っている。レオの過去の栄光と不透明な今とを綴ることは一つの称賛の形であり、私は彼という存在を限りなく近くに感じられている。

■時代

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メッシが2回目のチャンピオンズを勝ち取ったとき、彼を形容する言葉はもう尽きたと言われていた。彼がボールとともに実現することを定義する言葉はもう存在せず、「形容が尽きる選手」という形容をされるに至っていた。しかし私はそこで立ち止まるのではなく、その正反対のことをすべきと考えていた。メッシは私たちにより賢明になることを、辞書を開いて彼のフットボールを表す新たな言葉を発見することを求めているのだ、と。今、この別れのときだって似たようなものなのだろう。彼は私の頭を思い出であふれさせているが、これから起こることについての想像だって義務付けている。いくつもの場所で起こる未来のことについて。

その一つはもちろん、異なるユニフォームを着ているメッシの姿だ。おそらく、それはパリ・サンジェルマンのもので、少なくとも青とえんじだ……。きっと彼はネイマールと素晴らしい連係を見せるだろうし、私たちを少しだけでも過去のバルセロナにタイムスリップさせてくれるだろう。あの甘い思い出を完璧に再現するかどうかまでは分からないが、それでも私はメッシがプレーする試合を一つたりとも見逃しはしない。私を幸せにしてくれた選手の延長線上にあることを、私は見続けていきたい。これまで、私たちは彼のゴールを第一に喜んできた。これからも、彼のゴールは少しだけ私たちのものであるはずだ。

そしてバルセロナは、メッシの不在を大いに感じることになる。彼の10番を、一体誰に着る勇気があるというのだ? 私は誰にもその番号をつけてほしくない。ラ・リーガは「25」までの背番号しかつけられないが、ならば陣容は24人まででいい。少なくとも、メッシが引退するまで10番の選手は見たくない。そうなれば私たちは空っぽになったものを深く感じ入ることができる。メッシが空けた穴は、ちょっとやそっとのことでも、どれだけのことでも埋まらない。

私たちはメッシがスタメンに名を連ねていないことを知りながらも、芝生の上に彼の姿を探してしまうだろう。どんなところにも顔を出してプレーに関与し、それでいて決定的な仕事をやってのける彼のことだから探し出すのは簡単だ、と。行き過ぎた比喩を許してくれるならば、切断されたはずの四肢が痛む幻肢痛のようなものだろう。レオの不在は私たちに10人でプレーしろと宣告してしまった。ピッチに11人いても、なぜか1人足りないのだ。

私はフットボールファンとしての3分の1の月日をレオ・メッシを見ることに費やしてきた。あふれ出る思い出の中で一番繰り返されているのは2005年、当時17歳の彼がナイキのコーマーシャルで話していた場面だ。ユース世代の選手たちが何人もプレーしている中で、可愛らしい一人の男の子がカメラに近づいてくると、こんなことを口にした。

「僕の名前を覚えてよね。レオ・メッシだ」

その直後に発せられるキャッチコピーは、「一つの時代が始まる」。それから16年を経て、私たちはレオ、ラ・プルガ、エル・ディエス、GOATとも呼ばれる、リオネル・アンドレス・メッシ・クッシッティーニの時代に生きていたことを思い知らされている。バルサでの「その時代」が、終わってしまったことも。

彼のフットボールは彼を不滅の存在とした。私とあなたにとっては、メッシこそが神だ。プレーして、勝利をつかんで、喜んでいる。

【著者プロフィール】

ジョルディ・プンティ(Jordi Punti)
1967年生まれ。バルセロナ出身の小説家・コラムニスト。これまでに3作品を発表し、『Maletas perdidas(失われたスーツケースたち)』はいくつもの賞を受賞して16言語に翻訳された。スペインの新聞『エル・ペリオディコ』や『アス』にコラムを寄稿。フットボールについての記事も20年にわたって執筆しており、特にバルセロナに熱を上げる。近著は『Todo Messi(すべてメッシ)』で、世界最高の選手を叙情的に、ときにおどけながら描写。ジョゼップ・グアルディオラがメッシの「訳文」として絶賛するなど、スペインで高く評価されている。

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