Takefusa KuboGetty Images

バルセロナ下部組織の重鎮、久保建英のレアル・マドリー移籍を振り返る「金銭面の問題もあった。だがバルサは彼を信用していなかったんだ」

バルセロナの下部組織ラ・マシアで多くのスター選手を育て上げたジョアン・ビラ氏が、同組織出身のレアル・ソシエダMF久保建英について語った。

ジョアン・ビラ氏はバルセロナの元選手で、引退後の1987年からラ・マシアの各年代のチームで監督を務めた。2001年に一度バルセロナを離れたが、2011年にメソッド部門ディレクターとして復帰を果たし、ジョゼップ・マリア・バルトメウ前会長から契約を解消される2018年まで同クラブの下部組織を支えてきた。バルセロナの哲学ポゼッションフットボールの守護者ともされ、現トップチーム監督のチャビ・エルナンデス氏やカルレス・プジョール氏が恩師と語る人物だ。

そんなビラ氏は久保のラ・マシア加入にも大きく関わっていた。スペイン『アス』とのインタビューに応じた同氏は、チャビ監督の兄で、現在はトップチームの助監督を務めるオスカル・エルナンデス氏とともに、久保獲得を決断した当時のことを振り返っている。

「11年か12年前、おそらく2011年だったと思う。(バルセロナの当時のスポーツディレクター)スビサレッタの手によってメソッド部門ディレクターに就任した頃だ。私は日本のバルセロナスクールに赴いて彼のことを目にした。私は彼についての報告書をつくり、またチャビの兄というわけではなく、インファンティル(U-12〜13)の監督としてそこにいたオスカルも情報をまとめている」

「私たちは彼をここに持ってくることを決断した。最初は難しかったよ。彼は母親、4歳の弟と一緒に、スペイン語も分からずやって来たわけだからね。そして私たちは深い関係を築き上げた。彼は自分にとって、息子のようなものだ」

そうしてバルセロナの下部組織に4年間(2011〜2015年)所属した久保だが、同クラブが18歳未満の選手獲得・登録に関する規定に違反したとして、FIFAから処分を受けたことをきっかけに日本に帰国。日本でFC東京、横浜F・マリノスでプレーした同選手は、18歳となった2019年にスペインに戻るが、最終的にバルセロナではなくレアル・マドリーに加入している。

2019年にはバルセロナを退団していたビラ氏は、同クラブが久保の才能をそこまで信じず、復帰させるための努力をしなかったことを指摘する。

「彼が18歳となったときにバルセロナが連絡を入れた。だが彼に対して信頼の気持ちを示そうとはしなかったんだ。バルセロナは興味というものを、まったく示そうとしなかったんだよ。結局、彼はレアル・マドリー移籍に傾いてしまった」

久保がバルセロナの宿敵レアル・マドリーに加入した理由は、バルセロナがトップチームに昇格させることを見越したプランなどを提示せず、マドリーの方がプラン的にも年俸的にも信頼できるものだったためとされる。年俸についてはマドリーが100万ユーロ(約1億6000万円)、バルセロナが20万ユーロ(約3200万円)を提示したとも報じられた。

「バルセロナは彼の代理人が100万ユーロを求めてきたと言っていた? 確かに金銭的なすれ違いはあった。しかしクボは私に、金はそこまで大切なことではないと言ったよ。あれは彼に賭けてくれるかどうかという問題だったんだ」

レアル・マドリー加入後、マジョルカ、ビジャレアル、ヘタフェ、もう一度マジョルカとレンタルを繰り返した久保は、昨夏にレアル・ソシエダに完全移籍。バスクのクラブでビラ氏が見込んでいたような大活躍を果たしている。

「なぜソシエダでブレイクしたか? イマノルという監督がいる、彼に適切な場所を見つけたということだ。以前は残留を目指すチームでプレーしていたが今は違う。しっかりとした組織力があり、素晴らしいチームメートたちが揃っている、とても男前で真剣なチームでプレーできている。水を得た魚だよ」

「彼はとても成熟した。そして攻撃的なフットボールをプレーするチームは、彼にとって理想的だ。タケのことを知る人間として、誠実に言わせてもらうが、彼はもっと先に行くよ」

ビラ氏は久保の選手としての長所について、次のように語った。

「そのインリジェンスだ。それと、とても活発だね。技術は本当に素晴らしく、その左足はスペクタクルだ。それに今現在はとても爆発的で、スピードがあり、縦に速い。プレーを見事に解釈しているし、スビメンディ、ブライス(・メンデス)らチームメートと見事な補完関係を築いているね」

広告

ENJOYED THIS STORY?

Add GOAL.com as a preferred source on Google to see more of our reporting

0