V・ファーレン長崎は8日、DF飯尾⻯太朗が今季限りで現役を引退すると発表した。今後は長崎のフロントスタッフに転身するという。
34歳の飯尾はヴィッセル神戸のアカデミーから阪南大学に進み、以降は松本山雅FC、長崎、ベガルタ仙台、ブラウブリッツ秋田でプレー。2024年から長崎に復帰した。
長崎復帰後に右前十字靭帯断裂および、右膝外側半月板断裂の重傷で長期離脱。今季のチームがJ2リーグ2位フィニッシュでJ1復帰を果たしたなか、3試合の出場にとどまった。
通算ではJ1リーグ56試合2得点、J2リーグ171試合14得点、ルヴァンカップ9試合出場、天皇杯10試合出場を記録。飯尾はクラブの公式サイトで次のようにコメントしている。
「今シーズンもファン・サポーター、パートナーの皆様から温かいご⽀援、ご声援をいただき、本当にありがとうございました。そして、改めましてJ1昇格おめでとうございます。今シーズンを振り返ると、悔しい時期もありましたし、毎年昇格を⽬指しながら叶えられなかった悔しさを積み重ねてきました。そんな中でも、変わらず応援し続け、⽀え続けてくださった皆様のお⼒があってこそ、今年の昇格が実現したのだと思っています」
「個⼈的なご報告となりますが、今シーズンをもって現役を引退する決断をいたしました。⻑崎のエンブレムを背負い、この仲間と共に昇格を果たし、引退を迎えられることを⼼から誇りに思います。引退を決断した理由は、サッカーへの情熱は全く衰えていないものの、⾃分が納得できるコンディションでピッチに⽴ち、挑戦し続けることが難しくなったと感じたためです。⾃分⾃⾝に嘘をついたまま続けることはできないと判断しました」
「これまでのサッカー⼈⽣は、幼い頃に思い描いていたような順⾵満帆なものではありませんでした。⼿術は5回以上、戦⼒外通告も経験しました。どのカテゴリーでも、どのチームでも、⾃分より上⼿い選⼿はたくさんいました。才能に恵まれているとは思えませんでしたが、それでもここまで続けてこられたのは、最後は「根性」だったと思います。そして何より、多くの⽅々に⽀えていただいたおかげです。本当に感謝しています。ありがとうございます」
「サッカーとの出会いは⽗との⼤切な時間のきっかけでもありました。⽗と⼀緒にボールを蹴り始めたことが、やがて⾃分の夢となり、両親の⽀えを受けながらその夢を追う過程で、家族の絆はより深まっていきました。妻には多くの苦労をかけましたが、いつも明るく前向きに⽀えてくれました。⼦どもたちの存在は、私にとって⼤きな⼒になりました。⼼からありがとうと伝えたいです」
「私は、サッカーはスポーツの枠を越え、⼈の⼼を動かし、⼈と⼈をつなぎ、⼈⽣を豊かにする⼒があると信じています。V・ファーレン⻑崎は、まだまだ上を⽬指すクラブです。これからさらに⼤きな夢を届けられるクラブであると強く感じています。その未来に貢献するため、現役引退後もクラブに残り、新たな⽴場で働いていくことを決めました。これまでの経験を⽣かし、クラブの成⻑のために全⼒で取り組んでまいります」
「現役は引退しますが、これからも V・ファーレン⻑崎、そして私⾃⾝をどうぞよろしくお願いいたします。これからもよろしくお願いいたします」


