元日本代表MF本田圭佑が日本サッカー界のレジェンドである釜本邦茂氏の訃報を受けてコメントした。
病気療養中の末、10日午前4時4分に大阪府内の病院にて肺炎で逝去した釜本氏は1964~1977年にかけてプレーした日本代表で歴代最多の国際Aマッチ75得点を誇り、1964年の東京大会、1968年のメキシコ大会と2度にわたってオリンピックでプレー。メキシコ大会では得点王に輝き、初の銅メダルに導いた。
現役引退後は1991年から1994年に松下電器(現ガンバ大阪)の監督を歴任。日本サッカー協会(JFA)の理事や副会長も務め、2005年には日本サッカー殿堂に掲額されている。
本田は自身が考案した4人制サッカー「4v4」の初となる国際大会「TOYOTA Presents,4v4 ASIAN CUP 2024-25」後、釜本氏の訃報についてを問われると、「もちろん、お会いしたことはあります。そこまで深い関係値であったとは言えないかもしれないですけど…」と切り出した上で、故人を偲んだ。
自身が小学2、3年生の頃、釜本氏のサッカースクールに参加したといい、「周りの選手は釜本さんに気づいていないなか、僕だけ父親が釜本さんが大好きだったので、僕だけすごく興奮していたのを覚えています」と振り返った。
また、「最後、大人と子どものチームで試合をして、釜本さんのところに思い切りボールを取りにいったのが懐かしいなと。もちろん、取れなかったけど、そのときも印象的でしたね。釜本さんのゴール前の感じは。僕にとってはサッカーを始めたスタート時にものすごく影響を受けた1人です」と続けた。
そんな本田も今や日本代表のいち時代を彩った選手で、歴代4位の37得点をマークしたが、「僕にはなれなかった点取り屋としての記録保持者。その印象を国民の方に与えているというのは唯一無二だと思います。当然、あの代表での記録を抜かれる、抜く選手が出てくる姿が今のところは想像できないです。凄まじい記録」と述べる。
さらに「それだけじゃなくて、コメントとかもすごく印象深い。フォワードならではのコメントを何度も目にしているし、今のサッカー界は時代が変わったけど、ストライカーに必要な能力とか、考え方とかはいまだに釜本さんのコメントを見てもたくさん学べるところがあると思います」と話した。
