パリ五輪の切符をつかむまでの道のりは決して簡単ではなかった。
初戦の中国戦では早い時間帯に退場者を出し、数的不利を強いられる難しい展開の中で薄氷の勝利。第2戦のUAE戦は見事な戦いを見せたが、第3戦の韓国戦は最後まで一点が遠く敗戦を喫した。負けられない準々決勝のカタール戦では延長戦の激闘を制して勝利したが、一度は逆転される苦しい状況に追い込まれた。
それでも、一つひとつ試合を重ねるごとにチームが一丸となった日本は、準決勝でイラクを相手に2-0で快勝。連続出場が止まるかもしれないと不安視されていた中で、見事に8大会連続での五輪出場を決めてみせた。
パリ五輪の出場権獲得に至った要因の一つとして大きかったのは、”チームの一体感”という言葉に尽きる。主将の藤田譲瑠チマを中心にピッチ内外で多くのコミュニケーションが取られ、選手同士で意思を統一しながら目の前の戦いに挑んでいた。「試合に出ている選手も、試合に出られなかった選手もベンチから大きい声を出してくれていた。ロッカールームでもいろいろな声が飛び交っていたので、本当にいいチームになったと思う」とは藤田の言葉。チームが一つになったからこそ、全員で目指した最低限の目標を手にすることができたのだ。
そんな”一体感”という点において、大きな意味を持ったのが韓国戦の後に行われた選手間ミーティングだ。主将の藤田を中心に副キャプテンの山本理仁、松木玖生、西尾隆矢、内野貴史が入った5人のLINEグループ内で話題に上がり、最終的にパリ世代発足後、初の選手間ミーティングが開催された。ミーティングは準決勝のイラク戦前にも行われることになるのだが、内野貴は選手間で会話を増やしたことによるポジティブな点をこう語っていた。
「初めて選手だけでミーティングする機会を設けて、各自が今思っていることだったり、U23カタール代表戦に向けてどういった気持ちで入っていくのかを選手たちで話しました。すごくやって良かったなと思いますし、またチームが一丸となれたなと感覚的に感じています」
この選手間ミーティング。発起人となった藤田にアイディアを授けたのは、A代表でプレーする谷口彰悟だった。今大会が始まる前、谷口は代表の宿舎を訪れ、チームの前でスピーチをする機会があった。その流れで藤田と会話することがあったのだという。
「このアイディアは、谷口彰悟くんが来た時に『お前がキャプテンだったらそういうのをやってもいいんじゃない』という話をしてくれた。そういったところで(やろうと思ったし)、経験豊富な選手から学びながら今後もやっていけたらと思います」(藤田)
この話を聞いた後日、アル・ラーヤンのトレーニング場で谷口に直撃すると、「まぁ言いましたね」と少し照れ笑いしつつ、当時のやりとりを振り返った。
「ちょうどチマがキャプテンになるのが決まった日に挨拶に行っていたので、そういう考えを合わせるところは合わせるというのを、選手だけでやってもいいと思うというのは伝えました」
(C)Ryohei Hayashi気になったのは、なぜその話を藤田にしたのかだった。その思いには谷口のA代表での経験が秘められていた。
「やはり同じ日本人と言っても、代表という場所に来ると、所属チームのこともあるし、個人個人の状況によって考え方が違ったりする。その考え方だったりを、みんなで合わせられる部分は合わせるというのがすごく大事。試合の中でいい時は物事がスムーズに運ぶと思うけど、ちょっと悪い状況、苦しい状況になった時に、みんなが何を信じて戦えるのか、何を統一感を持ってできるのかというのが重要なんです。特に大会になると大事だなと。こういう時はこうしようというのを決め事ではないけど、自分たちにとってわかりやすいというか、立ち返ることができる場所を持っておくのがチームとして大切だと思っています。チームの中でミーティングをしたのであれば、こうしていこうという話もできるし、気持ち的なところももちろん話したと思う。そういうのはすごく生きるんじゃないかなと思います」
1月に開催されたアジアカップの時も、A代表の選手たちが選手間ミーティングをすることで”自分たちのやるべきこと”へ立ち返るに至った経緯がある。結局、チームは敗退を余儀なくされてしまったが、その時のミーティングの価値の大きさを感じていたから谷口は今回の行動に移したのだろう。
A代表から若き日本代表へ。パリ五輪の切符をつかんだのは選手たちの力だが、その裏で先輩たちが積み重ねてきた知識や知恵が新たな世代に継承されていた。