2017-06-28-tagheuer-nakazawa

限界まで追い込んだ若き日の記憶…中澤佑二が語る“ミスター・ストイック”の原点とは

フィールドプレーヤー最多となるJ1リーグ戦通算555試合出場と、歴代最多となった連続フルタイム141試合出場の大記録――。それらはすべて中澤佑二が持つ尽きないサッカーへの情熱と徹底した自己管理の賜物だ。

毎日22時過ぎには就寝し、朝6時には起床する。食生活にも気を使い、アルコール摂取なんてもってのほか。「1分1秒も無駄にできない」と語る彼のことを、タグ・ホイヤー ヤングガン アワードの記者会見に同席した中山雅史は、敬意を込めて“ミスター・ストイック”と呼ぶ。

そんな中澤には、「二度と経験したくない」と思うほど自身を追い込んだ時期がある。18~20歳の頃に経験したブラジル留学時代とヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)での練習生時代だ。

三郷工業技術高校を卒業後、プロを目指して単身ブラジルに渡り、当時二部リーグだったアメリカFCの門を叩いた。スパイクは盗まれ、練習着は貸してもらえない。練習中にパスが回ってくることもない。精神的にも肉体的にも追い詰められたが、やがて頑張りが実を結び、半年が経つ頃には戦力として認められ、試合に出場できるようになった。

V川崎への練習参加のチャンスは帰国後、母校の後輩に混じって出場したヴェルディユースとの練習試合で活躍し、つかみ取ったものだ。とはいえ、参加できたのはサテライトチームのトレーニング。いつクビになってもおかしくなかったが、片道2時間の距離を毎日自費で通って必死に食らいつき、シーズン終了後にプロ契約を勝ち取った。

「苦しかったですね、あの頃は。若かったし、一直線だったので。もう一回と言われたらできないですね。やろうとも思わないし、やりたくもない」

晴れてV川崎の一員となった中澤は21歳の1999年、セレッソ大阪とのホーム開幕戦でスタメンに指名されると、そのままレギュラーの座を勝ち取った。そこから「ボンバーヘッド」と名付けられた特徴的な髪型とあいまって、一躍スターダムにのし上がっていく。日本代表や横浜F・マリノスでのリーグ連覇など、その後の活躍は言わずもがなだ。

中澤は“ボンバーヘア”だった当時の写真を眺め、「恥ずかしいですよね」と苦笑する。しかし、そこに込められた初心は、今なお薄れることはない。

「とにかく顔と名前を覚えてもらいたいという思いで、ああいう髪型にしていたんです。あの頃の『Jリーグでレギュラーとしてやっていきたい』、『プロとしてやっていきたい』っていうギラギラした感じは、今も持ち続けています」

もう一度やれと言われてもできないし、やろうとも思えないほど自分を追い込んだ二十歳の頃。歯を食いしばって努力した経験があるからこそ、その頃のハングリーさを失っていないからこそ、39歳になった今なおトッププレーヤーでいられるのだ。

「若い子たちには、まだまだ負けられないですから」

日本サッカー界の未来を担う若手選手たちにとって、乗り越えるべき最高のお手本がここにいる。

文=飯尾篤史

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【Player Profile】
名前:中澤佑二
生年月日・出身地:1978年2月25日・埼玉県出身
身長・体重:187cm・78Kg
経歴:三輪野江小→吉川東中→三郷工業技術高→FCアメリカ(ブラジル)→ヴェルディ川崎→東京ヴェルディ1969→横浜F・マリノス

【TAG Heuer YOUNG GUNS AWARD】

Jリーグの次世代を担う若い選手層の育成・Jリーグの発展を目的に、各メディア・著名人など、本企画に賛同するアワード サポーターが、J1、J2、J3のクラブに登録されているU-23選手の中から候補者30名を選出。その後、一般投票を含む最終選考にて11名を選抜、2017年12月に表彰する。

詳しくは こちら から

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