Son Heung Min Tottenham Liverpool Champions League

苦境も経験して今やアジア最高――ソン・フンミンの確かな歩み/独占インタビュー

ソン・フンミン。

現時点、いやもしかするとアジア史上最高の選手と推す人も多いかもしれない。ハンブルガーSVでトップチームデビューを果たし、それからはレヴァークーゼン、トッテナムと順調にステップアップ。トッテナムでは加入2シーズン目から昨シーズンまで3季連続でリーグ戦二桁ゴールをマークした。昨季はチャンピオンズリーグ(CL)で4ゴールを挙げ、決勝進出にも大きく貢献している。

プロキャリアをすべて欧州で過ごしてきたソン・フンミン。10代にしてドイツへと渡り、そこでは当然苦境も経験した。トッテナムも今シーズンは開幕から調子が上がらないが、ソン・フンミンはどのように乗り越えようとしているのだろうか。『Goal』の独占インタビューでは、これまでのキャリアから今季の苦しい戦いぶりまでを語ってもらった。

■ドイツ移籍からトップデビューまで

Son Heung-Min, HSV

――あなたはハンブルガーSV(HSV)でトップへのキャリアをスタートさせました。ユースアカデミーがノルダーシュテットにありますが、加入する前、ノルダーシュテットについてどれくらい知っていましたか?

正直なところ、ノルダーシュテットについてはあまりよく知らなかったんだ。ハンブルクまでは飛行機で行って、全寮制の学校に通っていた。毎日同じルーティンさ。朝は学校に行って、午後はノルダーシュテットに戻ってトレーニング。終わったら寝る。ノルダーシュテットでの思い出はこんな感じさ。

――HSVに移籍したことで、文化の違いに戸惑ったりしましたか?

ドイツへやってきたとき、僕は16歳だった。これくらい若い頃には、何が待っているか想像もできなかった。家族と離れるのが本当につらかった。英語もドイツ語も話せなかったから、本当に何もかもが新しいことばかりだったんだ。でも、すぐにドイツ語を勉強しようと決意して、幸いなことに、すぐに身に着けることができた。

――それからトップチームへと駆け上がりました。すべてがとんとん拍子に進んでいたように思います。

そうだね、あっという間のことだった。17歳でトップチームへの練習参加を許可された。本当に最高の気分だったよ。

――他にもハンブルクに加わった韓国人選手はいましたが、どうしてあなたは彼らと違ってすぐステップアップできたのでしょう?

僕はあそこに留まりたいと強く望んでいたんだ。ヨーロッパでのプレーは僕の夢だったからね。それは簡単なことばかりじゃなくて、もがき苦しんだ時期もあった。でもコーチたちや寮スタッフが助けてくれたおかげで、すぐに適応できたんだ。

――お父様の影響もあったのでしょうか?

とても大きいね。彼は定期的にハンブルクを訪ねてくれたんだけど、それが僕にとってはとても励みになったんだ。今でも、父と話すときはサッカーのことばかりさ。

――あなたが2010年にブンデスリーガでデビューを果たしたときには、お父様もさぞ喜んでいたことでしょうね。

内心はたぶんね。でもそれを僕に見せたことはないよ(笑)。代わりに僕を責め、「もっともっとハードワークをしなければいけない」と言われたよ。他のことに余計な気を取られないでほしかったんだと思う。だから、この試合の後、父は僕からラップトップを取り上げたんだ。

――それはティーンエイジャーにとっては一大事だったんではないですか? 普通だったら怒りもしそうですが…。

いいや、まったくそんな気にはならなかったね。父はいつも僕に、地に足を付けることの重要性を示そうとしてくれた。だから僕も今日まで堅実に生きようと努めてきたんだ。もちろん簡単じゃないときもあるけどね。

――そんな中、2017-18シーズンには古巣のHSVが2部に降格してしまいましたね…。

本当にとても悲しかったよ。ファンも、そして街も1部で戦うにふさわしいからね。だからまた昇格することを願っている。助けになるかわからないけど、ロンドンから応援しているよ。

――あなた自身は北ドイツで5年を過ごして、レヴァークーゼンへ移籍しました。この移籍はどういったステップだったのでしょう?

ハンブルクで素晴らしい日々を送れていたから、離れたくはなかったんだ。だから移籍のときは悲しかったよ。でも次のステップに進むことは、僕にとって重要なことだった。こういうことはサッカーの一部なんだ。レヴァークーゼンはチャンピオンズリーグの常連クラブだった。だから僕はクラブを移ることに決めたんだ。自分はより高いレベルでも戦えることを証明したかったからね。

■トッテナムでの日々で苦境も…

Son Heung Min Tottenham Liverpool Champions League

――2015年、トッテナムは3000万ユーロ(約35億2000万円)であなたを獲得し、あなたはアジア最高額の選手となりました。小さくない期待も背負ったイングランドでのキャリアスタートはどのようなものでしたか?

プレミアリーグは別物だ。ブンデスリーガとは比較したくないね。ブンデスは素晴らしいクオリティがあるリーグだ。でもプレミアではあらゆることが素早く、そしてよりフィジカルが要求される。最初はプレー機会もあって、何回かゴールを決めることができた。でも残念なことにケガをしてしまい、チームと再び連携を高めることに苦労したよ。試合に出られない日が続いて、居心地のよかったドイツに戻りたいとも思った。でも監督はいつも僕を励ましてくれた。この状況下で、彼は僕にとって最適な指揮官だったと思う。

――当時、マウリシオ・ポチェッティーノ監督とあなたの間にはどういった会話があったのですか?

僕はクラブを去りたいと告げたんだ。でも彼はトッテナムに僕が必要だと言い、自信を与えてくれたよ。こういった会話があったおかげで、僕は立ち直って、考えを変えたのさ。

――ポチェッティーノの最大の強みは、若手選手を成長させることと言われますが、そう思いますか?

彼は多くの若く才能ある選手を強力なチームの中に組み込んできた。ハリー・ケインやデレ・アリ、それにクリスティアン・エリクセンもだ。みんなポチェッティーノの下で大きく成長してきた。

――にもかかわらず、彼のもとでトッテナムはまだ無冠です。

人々が求めるのはタイトルだということはわかっている。僕らはもう何度もタイトルに迫ったことがあった。今度こそ、手に届くことを願っているよ。

――チームメイトと比べるとあまりメディアの注目を浴びませんが、そのことに不満はないのでしょうか?

まったくないね。僕はメッシやクリスティアーノ・ロナウドのような選手じゃない。自分のベストを尽くしてチームを助けるべくトライするだけだよ。それができれば幸せなんだ。

――今季はリーグ戦開幕8試合で勝ち点11。チャンピオンズリーグではバイエルンに7失点を喫して敗れるなど、良いスタートを切れていません。

確かに満足できない結果が多いね。レスター戦、ニューカッスル戦で敗れてしまったし、カップ戦も敗退した。今のところ、リヴァプールだけが昨シーズンから継続性を見せているチームだね。マンチェスター・シティもノリッジに負けてしまったし。でもまだ始まったばかりだ。シーズンはまだまだ長いし、サッカーは早いペースで移り変わるものだよ。

――とは言え、リヴァプールとの勝ち点差はすでに10以上開いてしまっています。やはりリーグにおいてはレッズとシティが他とは違うレベルにあるということでしょうか?

いや、リヴァプールだっていつか勝ち点を取りこぼすはずだ。彼らが違う次元にいるとは思わないよ。それに絶対に僕はギブアップしたくないね。勝ち点差は取り返せるレベルだ。まだまだ多くの試合が残っているからね。なんだって起こり得るよ。

インタビュー・文=ダニエル・ヘルツォーク/Daniel Herzog

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「※」は提携サイト『 Sporting News』の提供記事です

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