誰にでも苦しく、辛い下積み時代はあるもの。セアド・コラシナツにとってはそれがシャルケでの日々のことだった。しかし、シャルケ時代があるからこそ現在の地位にまでたどり着いた。
カールスルーエ、ホッフェンハイム、シュトゥットガルトを経て、2011年にシャルケへと加わったコラシナツ。そこで恩師と出会ったことで飛躍的な成長を遂げていくこととなる。現在のポジションでもある、左サイドバックに定着したのもこのときだったという。
コラシナツは『Goal』の独占インタビューで、幼少時代のことや恩師から学んだことを語る。また、近日公開予定のvol.2では現所属クラブのアーセナルについても話してくれた。
■幼少時代

――まずあなたはいつフットボールに出会ったんですか?
僕は小さな頃からボールしか欲しがらなかった。僕が泣きだせば両親がボールを与えて、すると泣きやんでいたんだよ。学校から帰って宿題を済ませると、すぐに友達と一緒に広場へフットボールをしに行っていた。それから今日までずっと、フットボールは僕の人生の非常に重要な部分を占めているんだ。
――フットボールに囲まれた少年時代だったんですね。
素晴らしい子供時代を過ごしたよ。僕はカールスルーエで、両親と2人の兄弟のいる家庭で育った。僕にとって家族はとても重要なものだ。それに、子供の頃から付き合っている友人が今でも大勢いる。残念ながら、ゲルゼンキルヒェンやロンドンへ移ったせいでいくらか疎遠になった友達も何人かいるけどね。それは別として、子供の頃の僕はもっぱら外へ出てグラウンドで遊んでいた。当時の僕らはまだスマートフォンを持っていなかった。けれど街灯が灯ると7時になったとわかるから、家へ帰るんだ。
――あなたは屈強なフィジカルを持っていますね。昔からずっとそんなにたくましい体つきだったんですか?
うん、僕は子供の頃からわりとがっしりしていたね。16歳のときに、仲間と一緒に初めてトレーニングジムへ行ったんだ。それがすごく楽しかったから、ずっと通うようになった。
――元々体が大きかったと思いますが、筋力トレーニングはどのような意味を持っていたのでしょうか?
確かに僕は小柄ではなかった。けれどその頃にはもう、もっと体の大きいやつらと競争したいといつも思っていたから、当然ながら筋力トレーニングが役に立ったんだ。
――では、子供時代はどんな選手に憧れていましたか?
ジネディーヌ・ジダンの才能は抜群だと思っていたし、彼のプレーを見るのがいつもすごく楽しみだった。だから、彼のポスターを壁に貼っていたよ。だけど、それは僕が6番のポジションにいた頃のことだ。その後最終ラインでプレーするようになると、守備のスターたちに目を向けるようになった。ユヴェントスのレオナルド・ボヌッチのコミュニケーションの取り方やピッチでのプレーに夢中になって、彼のようになりたいと思ったね。
■「自分が一番エライと思っていた」
getty Images――あなたは8歳でカールスルーエSCへ移りましたね。どうしてですか?
僕の町のクラブがカールスルーエと対戦したんだ。その後、向こうの監督から父に、ちょっと様子を見に来る気はないかと話があった。だけど最初は、僕は自分の友達がいるクラブでもっとプレーしたいと思っていた。それでもカールスルーエで練習をしてみて、どうやら僕のプレーはそれほどまずくもなかったらしくて、入ることができたんだ。
――当時からすでにプロとして大きなキャリアを築くことを夢見ていましたか?
もちろん、子供なら誰でもそれを望んでいると思うよ。だけどあの頃は楽しいかどうかってことが重要だったから、まだそれほどはっきり考えていたわけじゃなかった。16歳くらいになってからやっと、このまま進めばどこまで行けるかってことを現実的に考えるようになったんだ。
――それから16歳でホッフェンハイムへ移籍しました。決定的な理由は何だったんですか?
あれはホッフェンハイムがブンデスリーガへ昇格して、ユースの育成に非常に力を入れている時期だった。それに僕の方もちょうど「今のままではこれ以上の成長は望めないし、次の一歩を踏み出すべきだ」と考えていた。そういうわけで、僕はホッフェンハイムのU-17へ移ったんだ。
――しかし、それからすぐにVfBシュトゥットガルトへ移ることになります。
僕は思春期で、ちょっとばかりバカなことを考える時期でもあった。自分が一番エライって思っていたんだよ。やるべきことに集中しなくなって、何でも勝手にうまくいくような気になっていた。
――いろいろな知識を身につけた今となっては、他の選択肢があったように思いますか?
当時の僕は若くて、浅はかに生きていて、誰からも邪魔されることはないと思っていた。あの頃は体のことも気にせず、食卓に出てくるものは何でも食べていた。体の世話などそんなことはどうでもよかったんだ。自分には必要ないと思っていたからね。今では、プロのフットボーラーとして成果を挙げていくには、そういったすべてに気を配る必要があるとわかっている。僕はすぐにそれを学んだよ。
■「シャルケの育成部門は特別だ」
Getty Images――あなたは以前、シャルケのノルベルト・エルゲルトの下へ移ったことですべてが変わったと話していましたね。それはなぜですか?
彼がいなかったら、僕は今ここでインタビューを受けていないだろうね。彼は僕にとって信じられないくらいの影響力があって、僕を正しい軌道に乗せてくれたんだ。彼の他には誰にもあんなことはできなかっただろう。
――エルゲルトとの最初の出会いを覚えていますか?
監督部屋の前だった。彼が話していて、僕は彼の目をじっと見ていた。それが15分間続いて、僕はずっと目を逸らさなかった。もしかしたら、あれが彼にちょっとした印象を残したのかもしれない。あるとき、チャンスをもらった。彼をがっかりさせたくなかったし、もう家族をがっかりさせるのも嫌だった。その前に2度やっていたようにね。だからシャルケでの僕はプロらしく懸命に努力して、自分の心の弱さを抑えこんだんだ。
――ですが、なぜノルベルト・エルゲルトにはそれまで他の監督にできなかったことができたんですか?
彼がノルベルト・エルゲルトだからだよ。彼が目の前にいると、オーラが伝わってくる。彼は僕たちを鍛えて、間違いを指摘してくれる。けれど、どうすればもっと良くなれるかも教えてくれる。それはピッチの上のことだけじゃない、ピッチの外のことについてもだ。とにかく、相性が抜群だったんだ。
――あなたにとって最も重要だったのはどんなアドバイスですか?
トレーニングや試合の後も、リカバリーや健康な食事に気を配ってプロらしい生活を送ることだね。そして、夜中の1時や2時にどこかをうろついていてはいけないということ。キャリアが終わってからでも、そんなことをする時間は十分にあるんだからね。
――そんなふうに暮らすのは難しかったですか?
いや、そんなことはなかった。まず僕自身そうする方がいいと思ったし、それにノルベルト・エルゲルトを尊敬する気持ちがあまりに大きかったから、彼をがっかりさせるのは嫌だったんだ。だから、それまでの生活をすっかり改めたよ。
――シャルケの育成部門で過ごした時期を総括してください。
シャルケの育成部門は何か特別なものなんだ。特にノルベルト・エルゲルトのおかげでね。彼と一緒に仕事をするチャンスを逃さないようにって、誰にだって勧めることができるよ。
――家族から離れて一人きりでゲルゼンキルヒェンへ行った最初の頃はつらいこともあったと思います。
とてもつらかったね。誰も知っている人がいなかったし、僕は寮生の受け入れ家庭で寄宿生活を始めたんだ。運のいいことに、他の選手たちはとても気持ちよく受け入れてくれた。同宿のほかの3人は全員U-17の選手で僕はU-19だったけど、僕たちはすごく気が合ったんだ。そんなわけで、わりと簡単に馴染むことができたよ。
■コンバート、そしてデビューへ
Getty Images――ユース時代のあなたはいつもセンターバックか守備的ミッドフィールダーとして試合に出ていました。そして、プロになると突然左サイドバックとして使われるようになりました。フーブ・ステフェンスの下ではどうしてそういうことになったんですか?
トレーニングキャンプのときに監督が僕のところへやって来て、「うちにはセンターバックが5人いるから君にチャンスはないだろう」と言ったんだ。けれど、「君は左でプレーできるか?」とも尋ねられたんだ。「左なら君は3番手になるだろうから」とね。自信がなかったけど、フーブ・ステフェンスに「君にはできるはずだし、これからは左サイドで練習しなければならない」と言われた。これは大きな変化だったね。だけど、この時もノルベルト・エルゲルトが大きな助けになってくれたんだ。僕は次のトレーニングの前に彼と一緒に座っていた。彼は僕に作戦ボードを見せながら、どんなときは前に出ていかないようにして、どんなときに攻撃参加するべきか教えてくれたんだよ。
――ブンデスリーガのいくつかの試合で短時間投入された後、ついにあなたはシャルケでスタメンデビューを果たしました。チャンピオンズリーグのモンペリエ戦です。どんな気持ちでしたか?
僕たちはすでに次のラウンドへ進むことが決まっていたし、監督はローテーションを予告していた。僕は予感がして、すごく興奮していた。クリストフ・メッツェルダーやベネディクト・ヘーヴェデスといった年上の選手たち、それにユリアン・ドラクスラーも、僕の不安をなだめてモチベーションを奮い立たせてくれた。試合が始まると、緊張はすぐに収まったよ。
――その後、ブンデスリーガでもあなたはスタメンとして出場しました。それも、すぐにミュンヘンでアリエン・ロッベンと対戦することになりましたね。
そもそも、ロッベンと対戦して失うものなんで何もないよ。ただ学ぶことができるだけだ。彼が優れた選手だということは誰でも知っている。彼のスピードは信じられないくらいで、僕は自分がもっともっと一生懸命努力しなければならないとわかった。ハーフタイムには僕たちはもう大きくリードされていて、結局負けてしまったよ(笑)。
――他にもいろいろなトップスターたちと対戦しましたね。チャンピオンズリーグのラウンド16ではガラタサライのディディエ・ドログバと相まみえることができました。
あのときは本当にすごくワクワクしたよ。そんなことになるとは思いもしなかったからね。スタジアムに入ると、隣にいる人の声も聞こえないくらいの騒ぎだった。けれどさっきも言ったように、試合が始まると興奮はすぐに収まった。ドログバは頭4つ分くらい背が高くて、横幅も倍はあるような印象だった。試合中、頭と頭で彼とぶつかり合った場面があったんだ。あれは本当に痛かったよ。
――エルゲルトのほかに、当時のあなたにとって一番力になってくれたのは誰ですか?
ユリアン・ドラクスラーだ。僕は新入りだったから、初めのうちはまだチームの中ですごく遠慮していた。だけど、そのうちだんだんそれも落ち着いてきた。ユリアンとはどんどん仲良くなって、その関係は今も続いている。今でも密に連絡を取り合っているよ。
インタビュー・文=ダニエル・ヘルツォーク
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「※」は提携サイト『 Sporting News 』の提供記事です



