現実をしっかりと直視した発言だった。そして、他の選手からは決して発せられることがなかった強い覚悟も滲み出ていた。
本田圭佑、半年ぶりの日本代表復帰。ただで戻ってきたわけではないという姿を、彼は見せることができるだろうか。
19日からベルギー・リエージュで始まった日本代表合宿。23日にマリ、27日にウクライナと戦うチームに、本田は初日から合流した。
練習ではリラックスした表情が印象的だった。ミニゲームでPKを奪取するも、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督からは利き足とは逆の右足で蹴ることを求められるなど、指揮官も久しぶりに戻ってきた本田に冗談を交えては明るく接している。それに彼も笑顔で応えていた。
とにかく縦に速い攻撃を要求するハリルホジッチ監督。本田は現体制で右サイドの位置で先発することが多かったが、徐々に出番を失い、ついに昨年10月に代表メンバーからも外れた。スピードが武器ではなく、むしろ時折、鈍重なプレーが目立ち始めていた頃だった。
21日の練習後、それを本人も改めて認めた。
「スタイル的には、自分が少なくとも監督の理想のタイプではないのは100パーセント承知している」
■メキシコ移籍で変貌を遂げたスタイル
そんな本田だが、代表選外となった約半年前と今では、マイナーチェンジを果たしている。
現在プレーするメキシコ1部のパチューカでは、試合によってトップ下やインサイドハーフ、1トップにサイドアタッカーと、前線のあらゆるポジションを任される。そこで彼が意識して取り組んでいるのが、個での打開。ミランでプレーしていたイタリア時代はフィジカルトレーニングを多く積んでいたが、現在はよりアジリティ向上に特化したメニューをこなす。「トレーニングの仕方が変わったら、必然的に体重が落ちた」と本田も明かすが、実際のプレーを見ていてもミラン時代よりも軽快にドリブルを仕掛け、スペースでボールを受ける場面も増えている。
パチューカはメキシコの典型的な地方都市。人口も約27万人と少なく、街は小規模な繁華街があるぐらいで、標高2500メートルを超える山々にぐるりと囲まれている。
本田は家族を日本に残し、単身パチューカに居を構える。単身と言っても、身の回りの世話をするスタッフや個人で契約しているプレー分析官、食事面をサポートする専属シェフと、しっかりとチームを組んで生活している。とはいえ、ミラノ時代に比べて周囲に何もない環境の中、本田は今まで以上にストイックに自分自身と向き合ってきた。絞れた体つきやプレー改革は、高地で厳しいトレーニングを積んでいることの証であり、「それはパチューカならではの、あの田舎だからこそやり遂げたことかもしれないですね」と笑う。
©Getty Images本来は得意な中央エリアのポジションでプレーしたい。「ポジションは、ここをやりたいというこだわりはありつつも」と本田は本心を隠さないが、すぐに鋭くこう切り返した。
「プレースタイルに関してはプロになってから一年たりとも固定した覚えはない。晩年の選手が、今もこれだけ個に集中し始めている。こんな頭のイカれた選手は日本だけじゃなく、世界的に見てもいない。足は遅いけど、一対一の勝負でさらに成長を促していくスタイル。これまでもそんな10年間を歩んできたような気もする。本来であれば、(ベテランになれば)もうちょっとボランチで捌くピルロみたいなプレーを目指せよ、という感じなんですけど。常にその真逆を行ってきたという意味で、後悔はない。面白い挑戦をしてきたし、もっとしないとアカンなと思います」
■欧州遠征2連戦で本田に求められること
合致しないと見られるハリルスタイルと本田のプレー。ただそこにも、彼にはある狙いが存在する。
「監督が求める裏に抜ける動きは、もともと得意なプレーじゃないですよね。大事なのは(ゴールへの)絵の描き方。誰が、どこに、どのタイミングで飛び出すかということは、当然大事になる。ということは、本数よりも質が問われる。特に僕みたいにそれを得意としない選手はそう。スプリントが得意な選手は20~30本、裏に抜けることに慣れているけど、僕の場合はそれをすれば他のプレーがボロボロになる可能性もある。それはここでベラベラしゃべっている以上に、何十倍も難しい作業です」
自分のプレーイメージを、本田は連々と話していく。その途中で、ふと思い出したかのようにこんなことも口にした。
「自分の強みではないと言いつつも、確かに僕もこれまで大事な点を取ってきた時は、意外に裏に抜けて取っていたりもするから」
まさに、そのとおりなのである。
実は本田は、これまでもスプリントからのファインゴールをいくつも見せてきていた。
2011年夏に右膝半月板を損傷し、全治6カ月を超える重傷から復帰して翌年6月に迎えたワールドカップ最終予選のヨルダン戦で、本田は自らの復活を高らかに誇る大活躍を見せた。当時ボランチで攻撃のタクトを振っていた遠藤保仁からのスルーパスに、素早く抜け出し左足でゴールネットを揺らした。相手DFに走り勝って決めた1点。まさに“裏抜け一発”の動きで勝負ありだった。
ミランでのデビューゴールもまた、裏のスペースに抜け出して決めた形だった。2014年4月、アウェイのジェノア戦で相手GKと交錯しながらも左足を伸ばしてゴールに流し込んだ得点。スプリントで走り勝った、アタッカーらしいゴールだった。
そして今、再び本田は代表で同様の姿を求められている。ここで何とか結果を出して、今一度自分の存在を刻めるか。そのためには、やはり何より本田が武器とすべき質の有無が問われてくる。
「アシストでも、その前のパスでもいい。この2試合、どちらかでチャンスはもらえるはず。そこで何かしらのインパクトを残さないと、(W杯行きは)厳しい可能性がある」
今の自分の立ち位置を踏まえた発言。しかし、いかにも本田らしい、強気で特異な考えも語った。この時期、周囲はどうしてもロシア行きに向けたサバイバルに意識が傾く。その中で、やはり彼だけは本質を突こうとしている。
「自分が三度目のW杯をどう迎えるべきなのか。代表に選ばれるためだけのW杯なら、何の意味もないと思っている。それ(自分のメンバー入り)が議論に上がりすぎているけど、いつも自分はW杯で勝つためにやってきたし、そのスタイルはこれからも変えない。それで選ばれなかったら、何の後悔もない。3月の2試合は、ただ選ばれるためだけのものでもない。自分が日本代表に欠けているものを補える付加価値とは何かを自問自答してやってきましたから」
©Getty Imagesこの3月はすべての招集選手にとってサバイバルである。本田にも、連日「ラストチャンス」や「最終テスト」といった見出しが並ぶ。
マリ戦とウクライナ戦の2試合で結果を出せなければ、ロシアには辿り着けないかもしれない――。そのことを本人は重々感じ取っている。ただ、彼はそこだけに視線を向けることがナンセンスであることも知っている。前回大会前は公然と「W杯優勝」を語った男である。
今はもう、表立ってそれを言うことはない。かつてのエースは今、当落線上にいる。それでも本田はW杯へ行くことではなく、彼の地で勝つことに焦点を当てる。自分の現実を沈着に見つめながらも、勝機だけは絶対に逃さそうとはしない。数々の大舞台で勝負強さを見せてきた自負もあるだろう。果たして本田は今回の2試合で何を生み出せるのか。プレーの打算と持ち前の勝気さが重なり、それが実現された時、本田はきっとロシアのピッチに堂々と立っているはずだ。
文=西川結城
