■栄光の道の第一歩

話を適切に語るために、まずは最悪のときから始めよう。2015年5月24日、リヴァプールは1-6でストーク・シティに敗れた。まさにどん底だった。
この悲惨な午後の試合において記憶すべき重要なことは、これがレッズで710試合プレーしたスティーヴン・ジェラードのレッズでの最後の試合であったことでもなく、前半23分を皮切りに、前半だけで5つのゴールを許したGKシモン・ミニョレの姿でもない。
選手起用も今となっては不可解だが、それすらも重要ではない。リヴァプールは右サイドバックにエムレ・ジャンを置き、ツートップにアダム・ララーナとフィリペ・コウチーニョを配置していた。
そうではなく、心の中に突き刺さっているのは怒りの感情だ。リヴァプールのサポーターたちが自分たちの監督、選手たちに怒りをぶつけるために、トンネルの脇で待っていた姿である。多くのファンはハーフタイム中に帰宅した。だが、最後のホイッスルを聞くまで残っていたサポーターがいたのである。
翌日、地元紙『リヴァプール・エコー』は「唾棄すべき攻撃」と、こき下ろした。当時のブレンダン・ロジャーズ監督はあの試練の後もしばらく監督を続けたが、すべてが変わったのはあの日からだ。
今日あるリヴァプールへの道は、ブリタニア・スタジアムから始まったのだ――。
■クロップ就任の経緯

2015年10月8日(木)、ユルゲン・ クロップのリヴァプール監督就任が発表された。前任のロジャーズはその4日前、クラブの最高経営責任者であるイアン・エアーに呼び出され、メルウッドで会っていた。そのときにロジャーズはすべてを悟ったのである。
ロジャーズ率いるリヴァプールはエヴァートンとの試合を1-1で引き分けたが、全公式戦9試合で1勝しかしていなかった。プレミアリーグでは10位に位置していて、自信も統率も見当たらなかった。コーチングスタッフを変え、新しい選手を大勢加入させたにもかかわらず、前シーズンの傷を癒すことができないでいたのである。
そして、時は満ちた。
ロジャーズの解任を発表したリヴァプールは、新監督について「探しているところ」とのみ伝え、「時宜を得た決断力のある」人物を得たいと語っていた。しかしながら、実際はすでに新監督を手中に収めていたのである。
リヴァプールのオーナーであるフェンウェイ・スポーツ・グループ(FSG)は、ロジャーズ解任3日前の10月1日、ニューヨークのレキシントン街にある法律事務所シャーマン アンド スターリングのオフィスで、クロップと会っていた。その5カ月前、ボルシア・ドルトムントの監督を解任されたクロップは、1年間休養すると誓っていたにもかかわらず、早くもマージーサイドで監督業に戻る気になっていたのだ。
ジョン・ヘンリー、トム・ワーナー、マイク・ゴードンが代表を務めるFSGは仕事を終えていた。クロップに関するすべて、トレーニング方法から個人的な経歴までを調査した資料は、60頁にも及んでいた。翌日、五番街のプラザホテルで二度目の会合が行われ、正式なオファーが送られた。
条件交渉は代理人のマーク・コジッケに任せ、クロップはセントラルパークを歩き回り、一人で考えをまとめていた。1週間後、手に赤いユニフォームを持ってKOP(リヴァプールのサポーター)の前に現れたクロップに、世界中の視線が注がれる。彼こそ、アンフィールドにとってのキーマンであった。
「我々がどれほど興奮しているか、言葉では言い表せない」と、ゴードンがメッセージを送ると、クロップは短い返信をすぐに送る。
「Woooooooww!」クロップの準備はできていた。
■「このチームを好きな人は誰もいなかった」
GettyT.E.R.R.I.B.L.E.(訳注:terrible、ヤバいの意)。太文字で、大文字のブロック体で書かれたその言葉には、特別の効果があった。メルウッドのプレスルームで、クロップ監督がアンフィールドで受け継ぐもの、あるいは、過去数カ月にわたるチーム状態についての感想を言ったのかと思っていた。
ところが、違った。クロップ監督はこう説明したのである。「Terrible」はリヴァプールと対戦した後、相手チームに感じて欲しいことだと。相手チームの選手たちは肉体的にも精神的にもヘトヘトとなり、リヴァプールのアグレッシブさ、エネルギー、チームワークに対処できなくなるだろう。アンフィールドは世界で最も恐ろしいスタジアムとなるだろうと、クロップ監督は言ったのである。
実際、マージーサイドに到着したクロップ監督はあっけにとられていた。必ずしもプレーの質に関してではなく(スピード感がない攻撃を修正しなければならないことはすぐに明らかになったが)、メンタルに関してである。ピッチの選手たちもスタンドのファンたちも、神経質になっていた。クロップ監督によると、クラブ全体が楽しむことをやめてしまっていたのである。リヴァプールの歴史が重くのしかかっていると指揮官は結論づけていた。
「私が来たとき、このチームを好きな人は誰もいなかった。全員が、自分はリヴァプールというチームにふさわしくないと考え、そういう感情が渦巻いていた」
最初のインタビューで、クロップ監督は“疑心暗鬼から信念への変換”について語った。再びファンに愛されるチームにするためだ。
「クラブはリスタートして……すべてをもっと身近にしなければならない。さらに、歴史は背中に背負って運ぶものではない」
こうしたメッセージは、選手たちに対して内密に何度も繰り返されていた。アダム・ララーナはこのように回想している。
「監督はチームに関して、自信を持てと何度も言った。誰も恐れるな、信じろとね。監督は『私のためにハードワークしろ』と言った。それだけが監督の要求だった」
練習グラウンドではエネルギーとオーガニズムを与えようする一方、それとは全く逆に、プレーしやすい環境――家庭的でリラックスできるが、挑戦を恐れない雰囲気――を作ることに尽力していた。
最初に行ったことのひとつが、練習場に裏方のスタッフからグラウンド整備員や食事係、アナリストまで全員を集めることだった。「君たちは彼らの名前を知っているか?」と、クロップ監督は選手たちに尋ねた。そして選手たちにまた“ミッション”を課した。
「彼らの名前を覚えなさい! 彼らは君たちのプレーを支えるためにここにいる。全員が君たち選手と同じように、すべてのことに責任を持っているんだ」
■成長も失敗も…
フィールドでは成長もあれば失敗もあった。
チェルシーとマンチェスター・シティには大々的な勝利をあげたかと思うと、クリスタル・パレスにはホームで負けて、クロップ監督をうろたえさせた。「82分に点を決められた後、多くの人がスタジアムを去るのが見えた。あの瞬間、本当に孤独を感じた」と、寂しげに述べた。しかし、同時に「こんなことはこれで最後にすると決意した」と続けている。
1か月後、リヴァプールは同じアンフィールドで、終了間際にディヴォック・オリギが同点ゴールを決め、ウェスト・ブロムウィッチから勝ち点1をもぎとった。タイムアップを知らせる笛が鳴った後、クロップ監督は選手たちをKOPの前に連れていき、サポーターに挨拶した。飛んできたのは罵声だ。リヴァプールの順位は9位で、その日も無様なプレーぶりだった。
だが、はっきりしたことがある。ファンは最後までスタジアムを去ることなく、チームも最後まで諦めなかったということだ。「リスタート」は進行中だった。レンガをひとつずつ積むように。
■積み上げたものが形に
Getty Imagesクロップ監督の就任で、リヴァプールのチームは迅速かつドラマチックに変わるだろうと広く思われていた。だからこそ、初期の記者会見では、新しく契約する可能性のある選手についての質問が浴びせられていた。
指揮官は「私はトレーニングを信じている」と答え、このように反論している。
「時々、この国でトレーニングを信じているのは私だけではないかと思うことがある。他の人たちは移籍市場でいい選手を獲得して強くするやり方だけを信じている!」
監督はなによりもまず、自分の言葉の正しさを証明した。最初の移籍期間に新加入させたのは1人だけで、早急に手当てが必要だった最終ラインのためにスティーヴン・コーカーをQPRからレンタル移籍で獲得したのだ。
リヴァプールは2015-16シーズンをプレミアリーグ8位で終了した。リーグカップとヨーロッパリーグでは決勝で敗れ、特に後者が準優勝で終わったのは痛かった。スイスのバーゼルでセビージャに敗れたことでチャンピオンズリーグへの別ルートからの参加を逃し、クロップ監督とスカウトチームがにわかに動き出した。
シャルケからフリーでジョエル・マティプと契約。さらに、前線ではサディオ・マネとジョルジニオ・ワイナルドゥムを獲得し、活性化させた。マネはサウサンプトンから3000万ポンド(約40億円)で獲得したが、1年目からクラブの最優秀選手に選ばれた。ワイナルドゥムは、2500万ポンド(約34億円)でニューカッスルから放出されたところを拾いあげたのだったが、たちまちクロップ監督の信頼を得ることに成功。中盤でカメレオンのような変幻自在のプレーを見せて、監督が必要とする役割を正確に披露した。
当初、クロップ監督はボルシア・ドルトムント時代の愛弟子、マリオ・ゲッツェを欲しがっていたが、話をした後、自身のアイディアに完全に合う選手ではないと判断して手を引いた。
「走っている列車に飛び乗るのではなく、列車を押すことにした」
記者たちにはそう説明した。ゲッツェの移籍がご破算になった後、マネとの交渉が加速し、リヴァプールはスパーズに勝ってセネガル代表のスターと契約したのであった。
クロップ監督と前任者との決定的な違いは、クラブのスカウト陣とよい関係を築いて仕事ができたことである。特に、2016年11月にレッズのスポーツディレクターに任命されたマイケル・エドワーズとの連携は見事だった。
「ユルゲンの最大の強みは周囲の人間を信頼する才能があって、それを進んで行うことだ」と、ある関係者は言う。「医療チーム、データ分析係、栄養士、スカウト陣の専門的な能力をユルゲンは信用しているんだ」
「もちろん、必要と感じた場合は、誰でも意見を聞くだろう。だがユルゲンの場合は『彼らは専門家だからここにいるのであり、自分は彼らの言葉を聞くべきだ』と考えている」。このやり方が成功していることは誰の目にも明らかだ。
Gettyたとえば、エドワーズと首脳は2017年、ローマからモハメド・サラーの獲得を勧めたが、当初クロップ監督は、レヴァークーゼンからユリアン・ブラントを獲得するほうがよいと考えていた。
だが、エドワーズは「サラーはゴールを量産できる。私を信じてほしい」と説得した。「耳にタコができるほど言われ続けた」と、後に明かしている。
確かにサラーはゴールを量産した。これまでリヴァプールで144試合に出場し、91得点を挙げている。ただ、クロップ監督は必ずしも第一希望を手に入れているわけではなく、第二希望でさえままならないこともある。たとえばゲッツェやベン・チルウェル、クリスチャン・プリシッチ、ユリアン・ドラクスラー、アレックス・テイシェイラ、ピオトル・ジエリンスキ、マハムード・ダフードといった選手たちを諦めている。だがクロップ監督とエドワーズは、いつも的確なときに適切なプランを作りあげてきた。
「関係は良好だ、最高に良好だ。彼の部署全体が素晴らしい仕事をしている」
クロップ監督はそう評価する。そして、リヴァプールのチームはレンガをひとつずつ積むように徐々に形づくられてきたのだ。
■2つの“スラムダンク”
Getty Images2016年にはマティプとマネ、ワイナルドゥムが、翌年の夏はサラー、アンドリュー・ロバートソン、アレックス・オックスレイド=チェンバレンが加入する一方、その間レッズはアイブ、クリスティアン・ベンテケ、ママドゥ・サコ、ジョー・アレンらを驚くべき価格で賢く売りに出していた。
クラブを次のレベルへ押し上げるため、2つのことが同意された。まず、リヴァプールは高額な財産であるフィリペ・コウチーニョを売らなければならなかった。次に、それで得た金額で少なくとも2つの「スラムダンク」契約をしなければならなかった。
コウチーニョは2017-18シーズン終了直前に、移籍希望を提出してクラブを震撼させたが、結果的にその後5カ月はチームにとどまった後、夢だったバルセロナへの移籍を果たした。コウチーニョはクロップ監督の下で中心選手であったため、彼の離脱は痛手ではあったが、すでにリヴァプールの計画は適切にスタートしていた。
コウチーニョがスペインへ旅立つ数日前、レッズはサウサンプトンからヴィルヒル・ファン・ダイクを7500万ポンド(約100億円)で獲得したことを発表し、この大物を中心に守備陣が構築されることとなった。これが1つ目のスラムダンクだ。
その夏、ジグソーパズルの最後のピースが加わった。キエフで行われたチャンピオンズリーグ決勝でレアル・マドリーに敗れてから48時間も経たないうちにファビーニョが加入し、ナビ・ケイタが前年に同意したとおりRBライプツィヒから移籍してきたのである。
最後にゴールキーパーのアリソン・ベッカーが6500万ポンド(約88億円)でやってきた。「最高にうまくいった」とクロップは笑みをこぼす。2つ目のスラムダンクが決まった瞬間だった。
コウチーニョは出ていき、キエフでは傷ついた。クロップ監督も決勝が終わった直後に「十分ではなかった」と漏らした。だが、積みあげてきたものはきちんとそこにあった。リヴァプールの時代はすぐそこまで来ていたのである。
■「メンタルの怪物」
(C) Getty Images改革は完璧だった。キエフで負けた後、リヴァプールはリーグ戦67試合を戦い、たった2試合しか負けなかった。57勝し、最大201取れる勝ち点のうち179を獲得したのである。
実際、いくつものトロフィーも手にした。昨年6月、クロップ監督率いるリヴァプールは、マドリーでトッテナムを下し、6回目のチャンピオンズリーグ制覇を果たした後、同じ年のUEFAスーパーカップとクラブ・ワールドカップを2つとも勝ち取ったのであった。
新型コロナウイルスの危機がなければ、今シーズンのプレミアリーグ覇者という栄冠も与えられていたことだろう。リーグ戦が延期となるまで、リヴァプールは2位のマンチェスター・シティに勝ち点差25でトップに立っていた。事実上のチャンピオンである。
「クソみたいなメンタルの怪物」
クロップ監督は放送禁止用語で選手たちを称えた。どんなチャレンジにもひるまない能力を持ったチームであるということを意味する。そこには、ハングリー精神と断固たる意志が同居している。フィジカルは疲れしらず、戦術は最高、果敢に相手に立ち向かう。2015年、クラブの扉を開けて足を踏み入れた監督が求めたものすべてがそこにある。
すべてのものの質が高い。サラーは2年連続でプレミアリーグ得点王であり、ファン・ダイクは年間最優秀選手に選ばれた。今シーズンが中断されなければ、ジョーダン・ヘンダーソン、サディオ・マネ、トレント・アレクサンダー=アーノルドもMVPとなるチャンスがあった。
おそらく最も印象的なのは、リヴァプールの成功が、ある一人の能力だけによるものではないということだ。全員が貢献しているのである。10月にバロンドール候補30人のリストが公表されたが、その中にレッズの選手が7人いた。サポーターたちはチームに愛情と尊敬のみを感じている。
クロップ監督は「強いハートをもった素晴らしい一団がクレイジーに走りまくるのだ! 全員が正しい方向に向かっている」と、選手たちを誇らしく語っている。
■順調な歩み

まだ5年も経っていない。だが昔のことは置いておいて、偉大な勝利とヒーローたちの貢献のことを考えてみよう。
ドルトムント戦のデヤン・ロヴレン、エヴァートン戦のマネとディヴォック・オリギ、マンチェスター・シティとローマに対する勝利、オックスレイド=チェンバレンのロケット弾、バルセロナ戦でのアレクサンダー=アーノルドのコーナーキック、マドリーでのサラーの償い…。
選手たちの成長はどうだ。ロバートソン、ヘンダーソン、ワイナルドゥム、ロベルト・フィルミーノの活躍はどうだ。ジェームズ・ミルナーはベテランとなっても手を抜くことはなく、ジョー・ゴメスは成長し、カーティス・ジョーンズとハーヴェイ・エリオットは間違いなく次世代のスターだ。
試合以外にも発展は続く。まもなく新しい練習グラウンドが完成するし、新しいアンフィールド・ロードのスタンドが計画されている。収入はうなぎのぼりだ。新たにナイキと契約を結び、レッズは商業的にも新たな高みに到達しようとしている。
さらに、リヴァプールは主要なメンバーと長期契約を結ぶ。クロップ監督も少なくとも2024年までマージーサイドにとどまる契約にサインした。「このチームを去ることは考えられない」とまで話している。
そんなこと、できようはずがない。リヴァプールは最高の監督に率いられた、サッカー界のトップクラブだ。疑いから信念のチーム、そして“達成者”になった。
これがユルゲン・ノルベルト・クロップだ。仕事ぶりは悪くないだろう?
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