思わず感嘆の声が漏れた。抜群のタイミングでオーバーラップを仕掛け、ゴールライン際まで攻め上がってクロスを入れた田中隼磨が、相手のカウンターを未然に防ぐために攻撃参加時を上回る全力スプリントで自陣へ戻っていったのだ。時計はちょうど70分を過ぎたところ。体力的にキツくなってくる時間帯だが、松本山雅FCが誇る35歳の右ウイングバックは、そこで圧倒的な走力を見せつけた。
「正直言って苦しいし、本当にキツかったよ。呼吸もいっぱいいっぱいだった。だけど俺がやらなければいけない。みんなが俺の背中を見てると思うから。やらなきゃいけないし、戦わなければいけない。俺は勝ってから休めばいいから」
ともすれば見逃してしまいそうな試合中のワンプレー。だが、そこにチームを引っ張るベテランの覚悟が垣間見えた。
■J1への強い思い
「勝ってから休めばいい」というフレーズを聞いて、松本がJ1初昇格を決めた2014シーズンの戦いを思い出した。彼は同年5月半ばに右膝半月板を損傷し、本来ならば即手術という重傷を負う。だが、そこで大ケガをチームメートに隠して走り続け、クラブをJ1に導いた。それは横浜F・マリノス時代の盟友でもある故・松田直樹さんにJ1昇格を報告するための激闘でもあった。昇格決定後は治療に専念するべく、残りのシーズンを全休。まさにJ1への切符を手にするための入魂の戦い。結果を出すために自分にできることがあるのなら、やるしかない。その一択だ。このスタンスが彼の根本にある。
クラブは2015シーズンに初めてJ1の舞台で戦うも、奮闘実らず一年でJ2に戻ってきてしまう。そして再昇格を目指した昨年はシーズン終盤まで自動昇格圏内をキープしながら、清水エスパルスの猛追に押し切られる形で3位フィニッシュ。J1昇格プレーオフ行きを余儀なくされた上、ホームでファジアーノ岡山の前に苦杯をなめていた。だからこそ、今シーズンに懸ける思いは強い。
「昨シーズンはあれだけずっと2位にいたけど、最後に負けたら意味がない。今年は昇格できなければ、何も残らないと思っているし、もうあんな悔しさは味わいたくない。J2でこれだけ戦ってるのは不甲斐ないと思っているから。もちろんJ2のリーグはリスペクトしてるけど、やっぱり俺たちが戦うべき舞台はJ1だと思っている。だから早くその舞台に行きたい」
■真価が問われる終盤戦
10日に行われた明治安田生命J2リーグ第32節、アウェイの東京ヴェルディを2-1で制した松本は、勝ち点を52に伸ばして5位浮上に成功。J1自動昇格圏の2位アビスパ福岡まで勝ち点5差とした。松本にとっては今シーズン初の3連勝。終盤に来て、ようやく勢いづいてきた形だ。
これでJ2リーグ戦は残り10試合。終盤戦に息切れしてしまった昨シーズンを踏まえて、田中隼磨はどんなことを考えているのだろうか。
「あまり順位や勝ち点を考えてもしょうがない。昨シーズン、僕たちはそれを痛いほど経験しているから。ただ、クラブとしては同じミスを繰り返してはいけないし、そういう意味でも俺は自動昇格しか狙っていない。あと10試合、本当にここからが勝負だと思うし、このために厳しい練習をキャンプから日々やってきた。これからもこういうタフな走力を生かしたサッカーをやっていきたいし、とにかく最後まで勝ち点3を取り続けて、何が起きるかを見てみたい」
クラブとしても、チームとしても、選手としても、まさに真価が問われる残り10試合。田中隼磨にはシーズンを通じて大きな原動力となってきたものがある。
「俺は昨年の悔しさがずっと忘れられないんですよ。あの悔しさを持って毎試合戦ってるし、それを俺が表現することでチームに伝わっていけばいいかなと思うんです」
自分たちのストロングポイントでもある走力を存分に発揮しながら、相手の長所を消して勝利を手にする。それが松本山雅のスタイルだ。ここに来て勝負強さを見せられるようになったことで、チーム全体が自信と手応えを持てるようになってきた。J2での経験はどこにも負けないという自負もある。だからこそ自分がいるべき舞台への思いを強くする。
35歳という年齢を考えれば、過酷な夏場の戦いを経たことでフィジカル的な落ち込みが危惧される時期だ。だが、当の本人はそんなことは微塵も気にしていない。
「大丈夫、まだまだ若いヤツらには負けないよ。そんなヤツらに負けてるようなら、サッカーを辞めますよ。俺のプレーはなかなかテレビに映らないし、ボールのないところでのプレーが多いけど、それで今まで十何年間もメシを食ってきたし、J1で結果も出してきた。だから、どんなことがあってもそれだけは続けていきたい」
自分にはクラブのためにやらなければならないことがある。若い選手たちをJ1でプレーさせて大きく伸ばしたい。そして自分自身の地元でもある松本の大サポーターを再びJ1に連れていきたい――。プレーで引っ張るベテランの背中に、確固たる目標を胸に秘める男の覚悟を見た。
文=青山知雄