■ベルルスコーニ時代とは?
ミランの株式の大部分が中国企業へと渡った現在、シルヴィオ・ベルルスコーニ前会長によるミラン体制がクラブにとって、そしてサッカー全体においてどのような象徴であったのか総括してみよう。
まずその比較対象としてチームを挙げたいが、最も適当なのはサンティアゴ・ベルナベウが会長を務めていたときのレアル・マドリーであろう。なぜならシルヴィオ・ベルルスコーニ体制のミランと、サンティアゴ・ベルナベウ体制のレアルは獲得したトロフィーの数やサッカー界に与えた影響が類似している。そればかりか両体制ともに確かな先見の明があったという点も同じだ。CLの前身であるチャンピオンズ・カップの創設へと導く着想を得たのはベルナベウであるし、現行のCL到来を迷うことなくいち早く予言したのはベルルスコーニなのだ。
1989年、ミランはチャンピオンズ・カップ決勝でステアウア・ブカレスト戦に勝利し、優勝を飾った。そんな熱気に沸く中ベルルスコーニがイタリア紙『ラ・レプブリカ』へ残した言葉はとても冷静で、まさに未来を予言するかのようであった。
「世の中では“ヨーロッパ全体で”との話がしばし話題に挙がるが、その話題の中心は政治に限ったことが多い。でもサッカー界も同じように、ヨーロッパの国々を平和で合法的に人の移動が可能ならば、ヨーロッパ全体のサッカーレベルが上がるのではないか。だがサッカー界においてはすべての物事がのんびりとしか動かないことを承知している。それでも私はこれこそが明日の常識となると確信しているんだ。(チャンピオンズ・カップの)方式の変更へ、期は熟していると思う。その決断は欧州サッカー連盟に委ねられている。クラブにとっては収入、観客にとっては有名クラブとの試合、そしてメディアにとっては週の半ばの重要なイベントが増える。そうなれば、現行と比べて莫大なテレビ放映権料をサッカー界は手にすることになるだろう」
この発言はヨーロッパ王者のクラブの会長として、そして世界でも有数の民放テレビ会社社長としての2つの顏を持っているからこその発言であった。そしてベルルスコーニの先見性は今まさに現実になったことは否定できない。
これは絶えず執拗に自由化が追及されるサッカー選手の移籍市場についても同じことが言える。外国人選手枠を巡っては、イタリアサッカー連盟とレガ・カルチョ(イタリアサッカー協会)の間で常に論争が繰り返されてきた。最初は3人目の外国人選手へ門戸を開くかについて、そして次の段階では登録選手の制限は設けずピッチに立てる選手を3人までとするよう議論されてきた。そのためこの段階ではライバルチームに引き抜かれないだけのために、高額な資金を支払ってまで選手を獲得することも多かった。
その後、ボスマン判決やエコング判決があったことで、EU圏内の選手やEU圏外の選手の獲得の自由化は促進された。その結果が現在の状況である。ベルルスコーニ体制のミランは、いつでも他クラブよりいち早く時代の変化を察知していた。
ベルルスコーニの先見の明はスタジアムの在り方に関しても光っていた。1988年にはファン同士の暴動問題について以下のように話している。
「この問題を撲滅させるための解決策は一つしかない。アウェーの観客に対しスタジアム入場を規制することだ。抜本的な措置が必要なのだ」
当時この発言はスタジアム全体をミラン一色にするのかと批判にさらされ、ベルルスコーニのアイデアは時とともに立ち消えとなった。しかしあれから25年が経ち、スポーツ裁判所がそのような厳しい措置を命じることもあるし、世界中に良きモデルとして知られるアリアンツ・アレーナのようなスタジアムコンセプトにも引き継がれているといえる。
■ベルルスコーニが変えたサッカーというショー
全般的に見てベルルスコーニ体制の特徴は、1970年代の北米サッカーリーグに見られるような不自然なお祭り騒ぎのようなものではなく、サッカーをよりリアルな形で楽しめるショーに変えた点である。ベルルスコーニ自身もこの体制が浸透するよう、サッカーを一つのショーに見せるような行動を率先して行っており、1986年の夏にはミラノのアレーナ・チヴィカにヘリコプターで到着し、大げさな演出をしたこともあった。当時は奇妙に映ったアイデアであったが、現在では各地のスタジアムで披露される当たり前の演出となっている。実例は他にもある。公式応援歌である「ミラン・ミラン」は、スタジアムで試合前に流される応援歌の母と言える。これを元に短期間のうちに様々な歌が各チームに広まっていった。また背番号固定制を導入して1年目にフランコ・バレージの「6」番を永久欠番とすることを決めた。その際はメディアを通じて盛大なセレモニーを開催している。
テレビ業界を知り、政界を知るマルチな才能を持つサッカークラブの会長であるからこそ、ベルルスコーニはサッカーのシステムに革新的な変化をもたらし、類を見ないほどの影響力を与えた。これら革新的なアイデアについての意見は人それぞれであり、政治家そして実業家としてのベルルスコーニの人物像は別として、2017年、現代のサッカーに至るまで彼のアイデアが大きな貢献となってきたことは事実なのだ。
文=フェデリコ・カソッティ/Federico Casotti


