2018-06-14-silva(C)Getty Images

“王国”ブラジル復権へ…静かな闘志燃やすT・シウバ、困難に打ち勝つ「信じる心」/独占インタビュー

4年に一度の祭典が間もなくに迫る。

『Goal』では、ロシア・ワールドカップ開幕に際して現役の選手や指揮官に独占インタビューを実施。その一人がブラジル代表として今大会を戦うチアゴ・シウバだ。

1部リーグデビューは21歳と遅咲きだが、その後着実に実力をつけていき、2008年に加入したミランでその才能が開花。2010-11シーズンには主力としてセリエA制覇に貢献し、同年のシーズン最優秀DFにも選ばれた。そのクリーンで優雅なプレースタイルから瞬く間に「世界最高のDF」と呼ばれるようになり、2012年にパリ・サンジェルマンへ加入。フランスの地では、6年間で19もの主要タイトルを獲得している。

ブラジル代表としても24歳にデビューを果たすと、欠かせない存在へと成長。母国開催となった2014年のブラジルW杯では、キャプテンとしてチームをけん引。しかし、「ミネイロンの悲劇」と呼ばれるドイツ戦(1-7で敗戦)では、累積警告による出場停止によりスタンド観戦に。悔しい思いを味わった。

ロシアの地では、4年前の雪辱をねらうブラジル。復権に燃える“王国”の要でもある33歳DFは、どのような思いを抱えて戦うのだろうか。『Goal』だけに語ってもらった。

■「これまでのキャリアすべてに感謝」

――ワールドカップの最高の思い出は何ですか?

まず思い浮かぶのが、1994年大会のワールドカップ。この時のブラジル代表は、ベベートとロマーリオという最高のコンビがいるチームだった。決勝のPK戦でロベルト・バッジョが外し、優勝を決めたシーンが一番記憶に残っているよ。アナウンサーが「テトラ、テトラ」と叫んでいたのを子供ながらに覚えている。

――なぜ子供の頃にサッカー選手になろうと思ったのですか?

小さいころ、友達たちとストリートでサッカーをしていたのを思い出すよ。ときには裸足でやっていたときもあった。足を痛めて家に帰ったときもね。それでも、毎日サッカーをしたかったんだ。そのサッカーへの情熱によって、続けることが出来たと思う。土の上でプレーするのが本当に毎日の楽しみだったんだ。

――多くのクラブに入団を断られたときはどんな気持ちでしたか?

辛かったね。多くのクラブに断られた。幼い頃にこんな仕打ちを受けたら、辞めてしまおうと思うのが普通だろう。僕もあるクラブに断られて家に帰ったときに、「もうサッカーをしたくない」と家族に言ったんだ。でも、母と兄弟は「やめるべきではない。続けて挑戦するべきだ。クラブで成功出来なくても、どこか別の場所で成功できるかもしれないから」と言って、説得されたんだ。いいサッカー選手になれないと僕に言う人は誰もいなかった。そうして、次の日には気持ちを切り替えてまた夢を追い続けようと練習していたよ。

――ブラジルから出るとき、どう思いましたが?

複雑な気持ちだったよ。嬉しかったけど、やはり怖かった。他の国に住むということに対しても、やはり少し不安はあったね。初めてブラジルを出て向かった国は、ポルトガル。同じ言語なのに、1人でいることは本当に不安だった。誰も知り合いがいなくて、他の人の行動にとても敏感になっていたよ。でも、仕事をする上では良い環境だった。全世界のファンが、ヨーロッパは世界一の選手がそろっていると知っていて、みんなが名門クラブでプレーすることを夢見ている。僕はこれまでのキャリアで起こったこと全てに感謝しているんだ。

■まず第一は「信じる心」

――あなたはこれまでのキャリアで数多くの困難を経験してきましたね。何があなたを強くしましたか?

David Luiz Thiago Silva Brazil Germany 08072014Getty

まず最初に触れないといけないのは、「信じる心」だ。神がいなければ、朝起きることすらできない。神はすべてを見ている。もし神を信じなければ、何もうまくいかないよ。病気になったときに、特にこの信仰心は大きくなった。医者は、肺を一つ手術しなければならず、もうサッカーが出来ないかもしれないと言った。みんなが神を信じていた。僕自身、監督やコーチも。イヴォ・ウォートマン、母親は彼が僕の守り神だったと言っていた。ポルトガルに戻り、他の医者に診てもらったところまたプレーできるようになると言われた。薬やリハビリで大変な日々を過ごしたけど、すべてがうまくいくと信じていたね。

――最も大変だった時期はいつでしたか?

いくつかあったけど、おそらく一番大変だったのは大嵐にあったときかな。家の中にいたのにまるで外にいるかのような嵐だった。屋根が雨によって壊れてしまったよ。苦労して手に入れたものが全てダメになってしまったよ。洪水がすべてを流していった。でも、このことは家族にいいものをあげるというと大きなモチーベションにつながった。プロになってからだと、結核にかかったときかな。(その嵐はいつ?)正確には思い出せないけど、おそらく7歳か8歳の頃だったかな。

――だけど、今ではどこでも「モンスター」と呼ばれるような強いキャプテンです。リベンジという気持ちはありますか?

どこのクラブにいてもベストを尽くそうと努力する。常にプロであることを心掛けているんだ。クラブや幹部たちと良い関係を保つのにふさわしいプレーをしていると思う。なるべく全員とコミュニケーションを取り続けようとしているんだ。本当の友情を見つけることは難しいからね。うれしいことに、今でもある幹部たちとは連絡を取り合っている。ミランのアドリアーノ・ガッリアーニといった人たちだね。彼はもうミランの人間ではないけど、お互いに連絡を取り合っている。「誕生日おめでとう」とか、そういうことだね。

■「セレソンのユニフォームは特別」

HD Neymar Thiago SilvaGetty

――セレソンのユニフォームを初めて着たときはどんな気持ちでしたか?

特別で、不思議な瞬間だった。誰もがこのユニフォームを着られるわけではない。ブラジルでは、多くの人に代表でプレーする才能がある。競争は激しい。セレソンのユニフォームを着るためには、特別なことをしなきゃいけないんだ。この5つ星には、歴史と責任がある。何か特別なことを、常にブラジル国民2億人のためにもしないといけないんだ。この名誉に応えるため、毎日全力で戦っている。

――前回のW杯で得点した時はどんな気持ちでしたか?

W杯で得点することは何よりも嬉しいし、誇りに思う。これはゴールを挙げた者にしかわかない感情だろうね。母国開催のW杯でゴールを奪えば、観衆みんなが喜んでくれるし、また一味違うね。美しいゴールでは決してなかったけど、決めた瞬間に「これがブラジル、これがブラジルなんだ」という気持ちしかなかった。こんな瞬間を見るといつもエモーショナルになるね。どのサッカー選手にとっても特別な瞬間だ。

――どのように今大会に向けて準備していますか?

日を追うごとに新しいことを学ぶ事ができる。プロとして、個人として、ときには感情的に。感情的な面はとても大事だからね。何度変えようと思っても、そうならない。個人的にはそれは変えないほうがいいと思っている。むしろそれがすべて自然に起こるべきなんじゃないかと思うよ。いいことも悪いことも、自然に起こる。すべての人が泣くに値するわけじゃないと理解しないと。たとえ馬鹿にされても、正しいことをしないとね。僕はめったに自分が信じている考えを曲げないけど、学ぶことに関しては2014年大会から大きく変った。今大会は違ったチアゴ・シウバがブラジル代表で見られるよ。目標はもちろん優勝。トロフィーを持って帰ってくるためには、まだまだ長い道のりが続いているね。

インタビュー文=サブリナ・ベラルミ/Sabrina Belalmi

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