24歳にして、ニクラス・ジューレはマッツ・フンメルスやジェローム・ボアテングといったビッグネームを押しのけ、ドイツ最高のセンターバックとしての地位を確立した。そこへ至るまでの道のりはどのようなものだったのだろうか。
ジューレは2017年にホッフェンハイムからバイエルンへと加入。昨シーズンは最終ラインの要としてリーグ戦29試合に出場した。ドイツ代表でもスタメンに定着したジューレだが、以前はFWとしてもプレーしていたという。ジューレは『Goal』の独占インタビューでその時のことを明かし、ホッフェンハイムの育成部門で過ごした厳しくも素晴らしい時期の思い出を語る。
さらに、警察へ通報されてしまったエピソードや十字靭帯断裂のケガから学んだこと、最も感謝している監督やホッフェンハイム時代の恩師ユリアン・ナーゲルスマンの人となりについても語る。最後には今後に向け、大きな目標も話してくれた。
■ホッフェンハイムへと移った経緯
![NIKLAS SÜLE](https://assets.goal.com/images/v3/blt52b68a308e80b08c/804de2036808da4af7732a10d0fc28adb6948ecf.jpg?format=pjpg&auto=webp&width=3840&quality=60)
――ニクラス、ユース時代あなたはストライカーだったんですね。1シーズンに100以上のゴールをものにしていたとか。
以前父がその話をしていたけれど、僕自身はそれほどはっきり覚えていないんだ。僕がたくさんゴールを決めていたのは間違いないけれど、1シーズンに100? それはないんじゃないかな(笑)。
――あなたがロートヴァイス・ヴァルドルフ(ドイツ6部クラブ)のE-ユースとF-ユースでプレーしていた時は、お父さんがユースチームの監督を務めていましたね。
昔も今も父は僕にとって最高の批評家で、僕に大きな期待をかけてくれている。当時の僕はいつも1つ年上の選手たちと一緒にプレーさせてもらっていた。それが僕の成長に役立ったし、たぶん僕のプレーをより強靭なものにしたんだと思っているよ。
――あなたはユース時代からすでに非常に目立つ存在でした。お父さんによれば、大会の時にあなたの年齢を証明するために身分証明書を提示しなければならないこともあったそうですね。
これも本当にそうだったのかどうか、やっぱり僕にはよくわからないよ(笑)。だけど、実際僕は昔からとてもがっちりした体格だったね。ちょっと前に、ダルムシュタットのU-15にいた頃のプロフィールを初めて見る機会があったんだ。その頃の僕は身長が189cmで、体重が85kgか87kgだった。確かに、14歳の子供にしてはすごいよね。当時はよく言われたよ。「ニクラスのやつがうまくやれるのは、ただ体格がいいからだ。そのうち、そうはいかなくなるさ」とね。幸い、その後何年間もまったく順調に進んで来れたけどね。
――ヴァルドルフとアイントラハト・フランクフルトを経て、2010年にあなたはダルムシュタットからTSGホッフェンハイムのユースへ移りました。お母さんの希望だったそうですね。
それが面白いことになったんだ。母は僕がホッフェンハイムで寮に入ることを望んでいた。寮に入れば学校の成績が持ち直すだろうと思っていたからね。だけどまったく反対の結果になり、母はまた僕を家へ連れ戻そうとした。だから、僕はホッフェンハイムに残れるよう戦わなければならなかったんだ。結局、僕は実科学校を卒業することになったよ。ヘッセンにいる時はまだギムナジウムに通っていて、大学入学資格試験を受けたいと思っていたんだけどね。ひょっとしたら、いつかまた大学に行くこともあるかもしれない。
――家族や友達から遠く離れてホッフェンハイムの育成センターで過ごした時期は、あなたのキャリアの中で最もつらい時間でしたか?
確かに、初めのうちは本当に大変だった。14歳でホストファミリーの家に入って、知らない子と一緒に同じ部屋で暮らさなければならなかったんだから。当然のことだけど、故郷や家族や友達と離れているのはつらかったね。
――ですがあなたは、寮で過ごした時間はこれまでのキャリアの中で最も素晴らしい時間で、その時期にについてなら1冊の本が書けそうだと話していたことがありますね。その本にはどんなエピソードが出てきそうですか?
その頃のエピソ-ドと言ったら、全部が全部未成年者に読ませても問題ないことばかりじゃないだろうね(笑)。いやいや、冗談はさておき、ひとつ楽しい話を聞かせるよ。僕たちはホッフェンハイムで、あの小さなのどかな村で、よく夜中の1時半にグラウンド照明を点けていた。もうちょっとボールを蹴っていたくてね。ある時近所の人たちが本当に頭にきてしまって、警察を呼んだんだ。次の日僕は当時のマネージャーだったアレクサンダー・ローゼンに会いに行く羽目になったよ。
――あなたの書く本ではクサヴァー・ツェンブロートについても1章を割くことになりそうですか?
もちろんだよ。クサヴァーが僕をFWからセンターバックに変えた張本人なんだから(笑)。
――適応には時間がかかりましたか?
うん、最初は本当に大変だった。当時の僕はよく中盤でプレーしていたのだけれど、われながらなかなかいい10番だったと思うんだ。ホッフェンハイムのU-15ではFWを務めることもあって、得点力もあった。ただそれから、クサヴァーが僕をセンターバックに置いてみようと思いついたんだ。どうやらセンターバックですごくいい仕事ができると確信したらしいね。
■ブンデスリーガデビューが決まった瞬間は…
![Niklas Süle 1899 Hoffenheim SC Freiburg Bundesliga 09232014](https://assets.goal.com/images/v3/blte9bd1ab639c67cc7/43ee2285d6916afdd726c81554cfdf0870ee2556.jpg?format=pjpg&auto=webp&width=3840&quality=60)
――あなたはまだキャリアが浅いにもかかわらず、すでに多くの有名監督の下でプレーしていますね。たとえばホルガー・スタニスラウスキ、フーブ・ステフェンス、マルクス・ギスドル、ユリアン・ナーゲルスマン、カルロ・アンチェロッティ、ユップ・ハインケス、ニコ・コバチ、ヨアヒム・レーヴなど…
(質問か終わるのを待たずに)アンダー世代の時にも大勢素晴らしい監督がいたよ。
――その中であなたが最も多くを学んだのはどの監督でしたか?
僕が一番感謝しているのはマルクス・ギスドルだ。彼は17歳の僕にブンデスリーガのドルトムント戦と入れ替え戦でプレーするチャンスをくれたんだから。あれは異例だよ。ユリアン・ナーゲルスマンからも信じられないくらい多くのことを学んだ。だけど、僕がこれまでのキャリアを築いてきた中で、どの監督からも何か学ぶところがあったのは間違いない。だから、特に誰か一人の名前だけを挙げようとは思わないね。
――ブンデスリーガデビューの話が出ました。それは2013年5月、ハンブルガーSV戦でのことでしたね。
デビューが決まったのは試合当日のことだった。すぐに僕は自分の部屋へ走っていって、両親に電話したんだ。もともと僕はどっちかと言うと冷静で緊張とは無縁のタイプなんだけど、あの時はさすがに体が震えていたよ(笑)。これまでの人生で最高の気分だったね。
――そして、2014年の終わりには十字靭帯断裂を経験することになりました。ああいうひどいケガを経験することによって、あなたにはどんな変化がありましたか?
あの時期に知り合った大勢の人たちが、その後のキャリアの中で大きな力になってくれたんだ。ドナウシュタウフ(バイエルン州の町)でクラウス・エーダー(ドイツ代表チームの理学療法士)に診てもらったし、南フランスでリハビリを受けた。あれ以来南仏は休暇の時のお気に入りの場所の一つになっているんだ。けれど、あの時期について言えるのは、僕が自分の身体のことをそれまでよりずっとよく理解するようになったということだ。あのケガを経験して以来、僕はピッチに立っていられる時間の一瞬一瞬を大切にしているよ。
![Jerome Boateng Niklas Süle FC Bayern Hoffenheim](https://assets.goal.com/images/v3/blt65624d688d15ef46/408703697f3921d33d0943991f4afef7336227e6.jpg?format=pjpg&auto=webp&width=3840&quality=60)
――あの時、あなたの快癒を願ってジェローム・ボアテングが『ワッツアップ』でメッセージを送ってくれたそうですね。ただ、当時のあなたがたは全く知り合いでもなかったのだとか。
そうなんだよ。ボアテングはヘルタ・ベルリンで仲間だったセヤド・サリホヴィッチ(2014年当時ホッフェンハイムに在籍)から、当時の僕が彼のファンだったことを聞いたんだ。入院中にボアテングからワッツアップでメッセージが届いた時は、僕にとってそれこそ大事件だった。あのメッセージでどんなに幸せな気持ちになったか、今でも時々彼に話すんだ。本当にものすごくうれしかったよ。
――お兄さんのファビアンによると、あのケガのせいであなたのプロとしての心構えがいっそう強固なものになって、今では好きな食べ物はサラダなんだそうですね。
それは真っ赤なウソで、まったくの作り話だ(笑)!僕は以前メディアから“ファストフードのジューレ”とか“パーティー男のジューレ”とか呼ばれていた。それで、兄は面白がってそんなことを言ったのさ。だけど実を言うと、僕は相変わらずケバブやピザが大好きなんだ(笑)。そういうご馳走を食べる回数はかえって前より増えているくらいだよ。
――つまり、もうあまり“遊び人ジューレ“ではなくなってるということですか?
それはまた別の問題だよ。僕がまだもう少し若かった頃に、「あなたは“遊び人”ですか?」と訊かれたことがあるんだ。僕は自分の人生を満喫して楽しんでいたから(“遊び人”というドイツ語の原義は“人生を楽しむ人”)、「もちろんさ」って答えたんだ。“遊び人”って言葉の意味を確認してからやっと、実際の意味と自分とは全然違っていることに気づいたんだ。
――十字靭帯のケガが回復してからは非常に順調でしたね。ユース時代の監督だったナーゲルスマンの下でなんとリーグ戦33試合に出場を果たしました(ブンデスリーガの全試合数は34)。当時29歳のナーゲルスマンはチームにどんな影響を与えていましたか?
昔も今もユリアンの影響力はたいしたものだ。特に彼の年齢を考えるとね。彼の物腰や年齢のせいで、あの頃の彼はチームメイトだと言ってもいいような感じだった。ユリアンはいつも誠実に選手たちに向き合っていた。彼はメディアとの駆け引きに長けていたし、フットボールについての彼の知識は素晴らしいものだ。僕は本当に多くのことを彼から学んだよ。一緒に仕事をできたのは素晴らしいことだった。“人生には必ず2回目の出会いがある”って言われているから、きっといつかまた彼と仕事をする機会があるかもしれないね。
■「絶対にプレミアリーグでプレーしてみたい」
![*Only Germany* Niklas Süle Carlo Ancelotti Sebastian Rudy Bayern München 31072017](https://assets.goal.com/images/v3/bltdedd4e86682874af/f9a841e3b3b88edfa61515e0218263621e4be534.jpg?format=pjpg&auto=webp&width=3840&quality=60)
――2017年にあなたはバイエルンへ移籍しました。当時はチェルシーからもオファーがあったことが話題を集めました。
プレミアリーグへ行くことはじっくり考えてみたよ。いつか絶対にプレーしてみたいと思っているリーグの一つだからね。けれど、あの時点ではミュンヘンへ行くのが最良の選択だと思ったんだ。そしてご覧の通り、バイエルンでとても満足しているよ。自分の力を発揮できたからというだけではなく、クラブもファンもチームメイトも皆素晴らしいからだ。
――あなたは子供の頃からプレミアリーグに憧れていたようですね。お兄さんによると、いつも一緒に庭で“アンフィールド・ロード(リヴァプールFCのホームスタジアムがある通り)”ごっこをやっていたそうですが、実のところ何をやっていたんですか?
僕たちの家の庭には木で作った小さなゴールがあったんだ。僕たちはいつも芝生用のスプリンクラーのスイッチを入れて、濡れた草の上でお互い本気になって戦っていたんだよ(笑)。だから、今でも僕は踏ん張るのが得意なのさ。
――ある資料によると、あなたは16歳の時に「ブンデスリーガでプレーして、代表チームに入って、世界最高のセンターバックになりたい」と話していたようです。24歳にして、すでに多くの夢が達成できました。
まだ世界最高のセンターバックにはなってないけどね。そのためには、まだもうちょっと頑張らないと。だけどもちろん、ここまで来られたことをとてもうれしく思っているよ。
――24歳になったニクラス・ジューレの目標は何ですか?
24歳のニクラス・ジューレはやっぱり世界最高のセンターバックを目指している。チャンピオンズリーグでも優勝したいし、ドイツ代表チームのメンバーとして何かタイトルを、できればたくさんのタイトルを取りたいと思っているよ。
インタビュー・文=ダニエル・ヘルツォーク/Daniel Herzog
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「※」は提携サイト『 Sporting News』の提供記事です
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