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「母はいつも勝たせてくれた」ドルトムントDFアカンジが語る家族への感謝/インタビュー

16:02 JST 2019/08/14
Manuel Akanji
マヌエル・アカンジが憧れの選手やエンボロとの友情、職業訓練学校での経験や数字を操る自身の才能について語る。

今夏のドルトムントは大型補強を敢行した。トルガン・アザールにユリアン・ブラントといったブンデスリーガを代表するようなアタッカーたち。もちろん、ディフェンスラインも例外ではなく、ニコ・シュルツやマッツ・フンメルスといった実力者が加わった。昨シーズンは25試合に先発した主力DFマヌエル・アカンジも激しい競争を強いられることだろう。

しかし、アカンジはリラックスした表情で我々の前に現れた。それは故郷であるバート・ラガツ(スイスの保養地)のトレーニングセンターでインタビューを行ったことも無関係ではないだろうが、「常に責任を果たす」と話す彼からは自信がみなぎっていた。

アカンジは映画や友人、天才的な暗算能力などスポーツ面以外のことから、17歳でDFに転向した経緯、マッツ・フンメルスの加入に対する思いまで明かしてくれた。

■「エンボロは本物の親友だ」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

When you‘re about to get sum grub😋 #lunchtime #summervibes #moa16 #brigante #vatoslocos

Manuel Obafemi Akanjiさん(@obafemi_36)がシェアした投稿 - 2019年 5月月24日午前1時59分PDT

――マヌエル、あなたはよくインスタグラムで“ヴァトス・ロコス”や“ブリガンテ”というハッシュタグを使っていますね。それにはどんな意味があるんですか?

“ヴァトス・ロコス”は『ブラッド・イン・ブラッド・アウト』という映画から取ったんだよ。メキシカン・マフィアや親友の絆を描いた映画だ。僕がバーゼルへ来た(アカンジは2015年にバーゼルへ加入)時に、同僚となったブレール・エンボロが自分の友達をたくさん紹介してくれたんだけど、そのグループからさっきの映画のことを教わって、それ以来僕たちはあのハッシュタグを使ってるんだ。ブリガンテについても似たようなものさ。

――それはつまり?

“ブリガンテ”は“ならず者”って意味(“ブリガンテ”はイタリア語、“ヴァトス・ロコス”はスペイン語で、共に同じ意味)だ。このタグは、バーゼルとは別のチューリヒ時代の友人グループの間で生まれたんだ(バーゼルへ移籍前、アカンジはチューリヒのFCヴィンタートゥールにいた)。ある日、僕たちのグループはこの言葉をハッシュタグに使うようになった。僕の背番号16(BVBでの背番号)を身につけている仲間たちだ。16番は“ブリガンテ“の印で、36番(編集部注:アカンジとエンボロの2人は共にバーゼルで36番をつけていたことがある)は”ヴァトス・ロコス“の印なんだ。

――では、何かお気に入りの映画がありますか?

好きな映画はたくさんあるから、一つだけ挙げるのは難しいね。最近は『ブラックパンサー』(マーベル・スタジオ製作のヒーロー映画)がとても気に入っている。俳優ではデンゼル・ワシントンがすごく好きだ。

――エンボロがあなたの一番の親友だというのは本当ですか?

僕の親友は一人だけじゃない。とても仲のいい友達が5~6人いて、その一人がブレールだ。

――エンボロとはどうやって知り合ったんですか?

U-20スイス代表チームにいた時だよ。あのチームにいた間、僕たちはコンスタントに会う機会があったし、時間が経つにつれてどんどん仲良くなったんだ。その後、バーゼルにいた頃は、ほとんど毎日のように一緒に過ごしていたよ。僕たちは一緒になってびっくりするくらい羽目を外すことができる。だけど、深い意味のある事柄や問題についても話し合うことができる。まさに本物の友情だね。

――エンボロは3年間シャルケにいた後、この夏にボルシア・メンヒェングラートバッハへ移籍しました。あなたは2018年1月からボルシア・ドルトムントでプレーしています。親友2人がシーズン中最高に白熱する試合で顔を合わせたらどうなるんですか?

残念ながら、僕たちがブンデスリーガで対戦する機会はこれまで1回しかなかった。ブレールがダービーに出場したのは一度だけだ。他の時はケガのせいで出られなかった。試合前、僕たちは決まり文句を言うのはよしにして、いろいろ冗談を言い合っていた。けれど試合が始まると、2人ともただ勝ちたいと思っていた。勝つために僕たちは全力を傾けたよ。

――昨シーズン第31節のシャルケ戦はドルトムントが2-4で敗れましたが、この試合のせいで優勝を逃すことになったと思いますか?

いや、それだけじゃないね。あれは確かに決定的に重要な試合だった。だけど、その頃の僕たちはすでにバイエルンに首位の座を明け渡していた。もちろん後から振り返って、シャルケ戦で勝っていれば僕たちが優勝していただろうと言うことはできる。けれど、僕らが振り返るのと同じように、バイエルンの方だってその次の日のニュルンベルク戦が1-1の引き分けに終わらなかった可能性もあると思うんだ。優勝の問題とはまったく別に、僕たちがあのダービー戦を落としたのは残念なことだ。何が何でも勝ちたかったよ。

■スポーツ一家で育ち、3競技を並行

――あなたの家族はスポーツ一家ですね。そのことを話してくれますか?

僕の父はフットボールとテニスをやっていた。母もテニスをやっていたけれど、今はバレーボールをやっている。姉妹のサラはフットボールをやっていて、もう一人の姉妹のミシェルは以前陸上選手だったよ。

――あなたはどんなふうにしてスポーツが好きになったんですか?

僕はよく父がフットボールをやるのを見ていたんだ。そのうちに自分でもちょっとやってみたくなったんだよ。他のスポーツの場合も同じような成り行きだった。両親を通じてテニスをやるようになり、ミシェルを通じて陸上選手になった。その頃の僕は3つを同時にやっていた。11歳の時にFCヴィンタートゥールへ移って、その前FCヴィーゼンダンゲンにいた頃よりたくさんの練習メニューをこなさなければならなくなった時、その先もやり通すとしたら2つしか無理だとはっきりわかったんだ。その時に陸上競技はやめたよ。フットボールの練習がさらに大変になった時にテニスもやめた。僕にとってはいつだってフットボールをやるのが一番楽しかったからね。

――それはなぜですか?

僕には個人競技より団体競技の方が向いてるんだ。それに、テニスをやっていてミスをすると、僕はものすごく腹を立てていた。礼儀正しい態度で負けることがちっともできなかった。トランプとか他のことでもね。昔の僕はかなりかっとなりやすい質で、だから母はいつも僕に勝たせてくれていたよ(笑)。いつだったか姉たちに言われたことがある。「いつもそんなことをやっているわけにはいかないのよ。マヌエルだってそういうことをちゃんと覚えなきゃ」ってね。今ではそういった自分の性分と昔よりはうまく付き合えるようになっているけれど、今でもまだ負けるのはものすごく嫌いだ。たとえ練習の時でもね。

――スポーツから離れると、あなたは計算の天才で、スイスのテレビ番組で大きな衝撃を与えました。どうしてそんな才能があるんですか?

僕は子供の頃から数を操るのが得意で、暗算するのが楽しみだった。どこかの看板にいろいろな5つの数字が書いてあると、その数字を使ってありとあらゆる計算問題を考え出していたんだ。たとえば車のナンバープレートでも同じことをやっていた。そんなことをしているうちに、ますます上達していったんだよ。今はもうやらないけど、やり方はすべてまだ僕の頭に入っている。僕はそういうのを頭の中だけでやれるんだ。もうひとつ、僕が4年生から6年生の時にある一人の先生がいたんだ。その先生は勝ち抜き戦の形で定期的に暗算大会を開いていた。その競争がいっそう僕にやる気を起こさせたんだ。大会ではかなりいい成績を出したし、ほとんど毎回優勝していたよ。

■「両親の教育方針に感謝している」

――プロフットボールの世界で芽が出なかった場合のプランBはありましたか?

スイスで中学を出た後、カウフマン(普通の小売業者から会社経営者まで、物の売買に関わる広い範囲の仕事を指す職業名)になるための職業訓練学校へ行ったんだ。そうすればいろんな可能性が開けてくるからね。僕の両親は、職業訓練を受けるのは非常に大事なことだと考えていた。スポーツの世界では何が起こるか予想がつかなくて、ある日うまくいっていても次の日には何もかも終わりになっているかもしれないんだから。今では、とにかく自分が職業訓練をやり遂げたことを誇りに思っているよ。あの頃の僕は必ずしもそうは思ってなかったにしてもね。

――フットボールをやりながら学校へ行くのは大変でしたか?

カウフマンの勉強を始めたのは15歳の時だった。その頃の僕はFCヴィンタートゥールのU-16でプレーしていて、2年間はごく普通に学校に通っていた。3年目に、スポーツ選手のための“レーレ”(一般の“レーレ”は実際の職場で働きながら学校に通うシステムだが、それにさらにスポーツ活動が加わる)へ移ったんだ。トップチームへ入った時に、それまでのように普通に学校に通っていてはフットボールの練習と両立できなくなってしまったからだ。その代わり、その“レーレ”では普通より1年長くかかったよ。つまり3年間じゃなく4年間職業訓練を続けたんだ。これはとてもうまくいった。だけど白状すると、他の生徒が家へ帰っている時に、練習の後でまた学校や仕事へ行くのは気が進まないこともあったね。

――その経験が普通の生活感覚を知る助けになったとすれば、もしかするとあなたは、今非常にクールな仕事に就いていることを他のプロのフットボーラーよりいっそうありがたいと思えるのではありませんか?

僕が現実から遊離しないようにするのにすごく役立ったよ。今から振り返れば、両親が断固とした態度を貫いて、僕に無理やり職業訓練を終えさせたのはとても立派なことだったと思っている。さっきも言ったように、今の僕は職業訓練学校を卒業したことをとても誇りに思っているんだ。いつか僕に子供ができたら、僕も同じようにしたいと思っているよ。

――あなたのお父さんはナイジェリア出身ですが、あなたが最後にナイジェリアを訪れたのは2010年ですね。その前はどうだったんですか?

僕の父はABB(スイスに本社を置く多国籍企業)で働いていたんだ。エネルギーやオートメーション技術を扱う企業グループだ。父の契約では、いずれ国外で仕事をしなければならないことになっていた。そういう話を何度も断った後で、2007年から2010年までの3年間、父の生まれ故郷で仕事をする機会が生まれたんだ。その間に僕たちは何度もナイジェリアへ行って、向こうで親戚の人たちと親交を深めたんだよ。その後は現在まで、残念ながらもうそういう機会はなかった。だけど僕はもう父に言ったんだ。「いつかまたナイジェリアに行きたいと思っている」って。

――ナイジェリアについて何か印象に残っている思い出がありますか?

当然のことだけど、いろいろなことがスイスやドイツとはまったく違うんだ。でも、あの頃の僕にはそれがすごく困ったことだった。僕の英語は達者じゃなかったから、僕は誰とも話ができなかった。そのせいで経験できることが限られてしまったんだ。僕は1歳下の従弟とたくさんフットボールをやったよ。それだったらたいしてコミュニケーションが必要ないし、やむをえない時には身振り手振りでも用が足りるからね(笑)。

■フンメルス加入にも「常に責任を果たす」

――憧れの選手はいますか?

最近はフットボーラーの中にはあまりいないね。だけど、考え方の点でいいなと思うスポーツ選手はいる。たとえば、ロジャー・フェデラーが彼のキャリアの中で成し遂げてきたことは驚くべきことだ。僕はバスケットボールもしょっちゅう見るんだけど、ラッセル・ウェストブルックが僕のお気に入りだね。彼のメンタリティは素晴らしいよ。彼はどんな試合でも100%以上の力を出して、常に最後まで戦い抜く。今の僕はむしろそういうタイプに憧れを感じるんだ。

――以前はそうではなかったように聞こえますが…?

子供の頃や少年の頃は、何よりフットボールで頭がいっぱいだった。だから僕の憧れの選手は、その時その時の自分のポジションに結びついていたんだ。最初に憧れたのはラウールだった。当時の僕はまだFWでプレーしていて、レアル・マドリーのファンだったからね(※ラウールは1994~2010年にレアル・マドリーに在籍)。レアルと並んでマンチェスター・ユナイテッドもお気に入りのクラブだったから、ラウールの次にはいつのまにかクリスティアーノ・ロナウド(※2003~09年までマンチェスター・ユナイテッドに在籍)に憧れるようになったんだ。彼のパフォーマンスにはものすごく感動したよ。僕は17歳になる頃にやっとDFになったんだ。もちろん当時も素晴らしいDFはたくさんいたけど、その時期の僕にはもうはっきり憧れている選手はいなかったね。それでも思い浮かべるとしたら、せいぜいセルヒオ・ラモスくらいかな。

――どうしてDFに転向することになったんですか?

元々、僕はいつも中盤の中央か攻撃的なウィングが定位置だった。それから、15歳か16歳になるとみんなぐんぐん背が伸びたんだけど、僕の場合はだいたい1年遅れでやっと背が伸びたんだ。背が高くなったのと同時に、16歳の時の僕は他の選手に比べてスピードが足りなくなっていた。そのせいでまずサイドバックに回されたんだ。その後でまた僕が大きくなった体を使いこなす点で他の選手に追いついた時、当時の指揮官だったトーマス・シュタムは僕をセンターバックで使ってみることを思いついたんだ。それからの僕はセンターバックとサイドバックのポジションの間を行ったり来たりしていたよ。僕がもっぱらセンターバックでプレーするようになったのはもっと後になってからのことだ。

――この夏、BVBはセンターバックのポジションでマッツ・フンメルスと契約を結びました。そのことを初めて聞いた時はどう思いましたか?

彼は非常に素晴らしい選手だ。彼が以前BVBや代表チームで、それから最近はバイエルンでどんな働きを見せていたか、もちろん僕は知っていた。ここ数年間のマッツはドイツ最高のDFの一人だ。彼はたくさんの経験を積んでいるから、きっと僕たちの力になってくれるだろう。

――彼の移籍はまた、あなたにはまだセンターバックの役割を任せられないというクラブの思惑の現れでもあるんでしょうか?

そんなことは幹部に聞いてもらわないと。だけど僕は一度だって守備の要を名乗ったことはない。とにかく僕はいいプレーをしてチームに貢献しようと思っているだけだ。今までだって常に責任を果たそうとしてきたし、マッツに関係なくこれからもそうするつもりだ。誰が守備の要だと言われようと、僕にとってはそれほど重要なことじゃないね。

――BVBがはっきりリーグ優勝の目標を掲げてシーズンに臨むのは数年ぶりのことです。バイエルンと比べて自分のチームをどう評価しますか?

僕の視野にあるのは自分たちのことだけだ。今のチームには非常にいい選手がそろっている。去っていった選手はあまりいないし、同時に、新しく入ってきた非常に素晴らしい選手が何人もいる。前のシーズンよりいいチームになっているし、少なくとも一つはタイトルを取ろうと努力している。僕は、今年はうまくいくと期待しているんだ。きっとそうなると思っているよ。

インタビュー・文=ニクラス・ケーニッヒ/Niklas König

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