誰しもが人生の岐路で選択をする。自分の生きてゆく道を決める。プロサッカー選手も同じだ。まずはプロになる。そして生き残る。FC東京・橋本拳人の場合、その道はボランチだった。過去を振り返ることであらためて浮き彫りになる今の自分。すべての出会いと青赤魂を胸に、初の優勝争いを戦い抜く。【文:飯尾篤史/写真:新井賢一】
■高2でFWからコンバート
©J.LEAGUEよく走り、ボールに喰らいつく――。かつては対戦相手の選手に「部活サッカー」と揶揄されたこともあったが、泥臭さや戦う姿勢は、いつの時代もFC東京のアイデンティティと言っていい。
その点で、橋本拳人はFC東京らしさを体現している選手だろう。実際、東京サポーターが彼のことを「最もウチっぽい選手」と評するのを聞いたことがある。
「やっぱりU-15、U-18時代の指導者が昔のFC東京をよく知る方々だったので。テツさん(長澤徹)やクラさん(倉又寿雄)に、東京のトップチームでやるためには何が必要か徹底的に教えられたのが、“東京らしさ”に繋がっていると思います。実際、戦う姿勢やアグレッシブさが自分の持ち味なので」
小学5年でFC東京のスクール生となり、クラブのレジェンド、石川直宏に憧れていたというように、かつては攻撃的な選手だった。FWもこなしていた橋本がボランチにコンバートされるのは、高校2年のときだった。
それからすぐに、覚悟を決めた。自分はボランチで生きていくんだ、というブレることのない覚悟である。
「しっくり来たんですよね。自分でも薄々『FWではプロになれないな』と感じていたんですけど、ボランチになって『これならいける』と思ったんです。FWをやっていたときから、前線からプレッシャーを掛けてボールを奪うのが得意な選手だったから、ボランチのほうが、その強みを出しやすいなって」
むろん、覚悟を決めたとはいえ、ボランチのノウハウはない。試行錯誤しながら自身のスタイルを確立させていったが、その際に参考にしたのが、稲本潤一だった。3度のワールドカップに出場し、アーセナルやフランクフルト、ガラタサライなどで活躍した日本代表ボランチは、橋本にとって理想像だった。
「自分がボランチになってから、稲本選手がずっと好きで、プレー集のビデオも買って参考にしていました。守備だけでなく、攻撃もダイナミックだし、奪って出ていく姿に迫力があって、かっこいいな、こうなりたいな、って思いながら」
■不安と焦り。熊本での濃密な日々
©J.LEAGUE新しいポジションにハマった橋本は、高3のときにはトップチームのキャンプに参加し、2種登録選手としてチームに帯同。2011年11月にはトップ昇格を決めた。当時のトップチームのボランチは、梶山陽平、高橋秀人、米本拓司と、いずれも年代別の代表やA代表経験のある実力者たちである。
だが、このとき、橋本は将来のポジション奪取を誓っていた。
「トップ昇格が決まったとき、強化部の方から『おまえは米本からポジションを奪わないといけないんだぞ』と言われたんです。だから、ヨネくんを自然とライバル視していたし、追いつきたい、追い越したいと思っていた。間近で見ても、ヨネくんはボールを奪う迫力が凄くて、参考にしていました」
正式にトップチームの一員になった橋本だったが、チャンスはまったくめぐってこなかった。練習では不慣れなセンターバックで起用され、「プロとしてやっていけないかも」と不安を募らせた。
ランコ・ポポビッチ監督はのちに「ボールを奪えるのが彼の良さだが、取ったあとの展開に課題があった。センターバックをやることで、課題のパスがより出せるようになる」とコンバートの狙いを明かしている。しかし、当の橋本は、そんな狙いを知る由もなかった。
「正直、ポジティブに取り組めたわけではなかったですね。センターバックをやるなんて絶対に無理だと思っていたので。無理やりポジティブに考えていましたけど、焦りのほうが大きかった」
転機が訪れたのは、13年夏、依然として公式戦未出場だったプロ2年目のことである。当時J2のロアッソ熊本に期限付き移籍をすることになったのだ。
ここで橋本はボランチとして、さらにセンターバックとして出場経験を積んでいく。
「監督から『失点が続いているから、後ろで守備をやってほしい』と言われてセンターバックをやるようになったんですけど、快く、という感じではなかったです。ボランチとして成長して東京に戻りたいと思っていたので。でも、とにかく試合に出ることが大事だと。ヘディングが鍛えられたり、後ろから組み立てる感覚を掴めたり、振り返ってみれば、プラスになったし、自信になりました」
この熊本時代に橋本が手にしたのは、試合経験だけではない。経験豊富な大先輩たちとの交流も財産となった。
「キタジさん(北嶋秀朗)、南(雄太)さん、(藤本)主税さん。この3人から受けた影響はめちゃくちゃ大きいです。特にキタジさんはポストプレーヤーですから『このタイミングで、こっちの足のここにほしい』『相手の重心を見て、こっちに出してくれ』とか要求がすごく高かった。本当に勉強になったし、サッカーに打ち込めました」
■指導者に引き出された特長
©Kenichi Arai濃密な1年半を過ごし、東京に帰還した橋本は、マッシモ・フィッカデンティ監督のもとで、さらなる武器を身に着ける。守備の国、イタリアから来た指揮官によって成長を促されたのは、守備力ではなく、意外にも攻撃面だった。
「当時はインサイドハーフで起用されていたんですけど、マッシモとコーチのブルーノ(・コンカ)から『ゴール前に飛び出していけ。それがおまえの特長だから』と言われたんです」
目から鱗が落ちる想いだった。
ゴール前への飛び出しは、今でこそ橋本の武器のひとつだが、当時はまったく意識していなかったからだ。
「練習でそういうプレーを出していたみたいで、『それは他の選手にないものだ』と言われて。それがきっかけで、意識的にゴール前に入っていくようになったんです」
こうして生まれたのが、東京での初スタメンとなった15年6月の松本山雅戦で決めた初ゴールである。
その後、城福浩監督、篠田善之監督、安間貴義監督のもと、サイドバックやサイドハーフなどでも起用されたが、もうネガティブに捉えることはなかった。どのポジションの経験もボランチに生かせるということを、すでに理解していたからだ。
「ずっとボランチだけをやっていたら、今のプレースタイルになってないと思います」
ついに橋本が2ボランチの一角に定着するのは、長谷川健太監督を迎えた18年シーズンのことだ。その開幕直後、プレーの幅をさらに広げる機会があった。
「健太さんから『明日の試合は頼むぞ、頑張れよ』と声を掛けられたから、『ガンガン行って、点を取ってきますね!』と返したんです。そうしたら……」
戻ってきたのは、予期せぬ言葉だった。
いや、おまえにそういうプレーは、求めていないから――。
「え、そうなんですか!? って(苦笑)。それで『前に行く機会があれば行っていいけど、なんでもかんでも行くとスペースを空けてしまう。バランスを見ながらプレーしてくれ』と。その後も映像を見ながらポジショニングについて細かく指導されて。それで少しずつバランスを重視するようになったんです」
東京の2ボランチと言えば、今では誰もが橋本と髙萩洋次郎のコンビを思い浮かべるだろう。当初は髙萩が後ろに残ってバランスを取っていたが、攻撃において違いを見せられるのも髙萩の魅力。それをチームの武器とするべく、橋本がバランスを見るようになり、補完関係が築けるようになった。
■痛恨の湘南戦を経て

そんな橋本に、さらなる一歩を踏み出す機会が訪れた。今年3月、日本代表に選出されたのである。スタメン起用されたボリビア戦で落ち着いたプレーを披露すると、コンスタントに招集されるようになり、9月に行なわれたカタール・ワールドカップ・アジア2次予選、アウェイのミャンマー戦では国内組で唯一スタメン出場を飾るのだ。
代表に選ばれるようになって、ボールを奪ったあと、相手に寄せられても動じなくなったというか、余裕を持って展開できているように見えます――。
そう投げかけると、橋本はこくりとうなずいた。
「自分に対する要求も高まりましたね。さらに、さらにって。ボールをうまく奪うだけでなく、いかに速く正確に前に付けられるか。代表に行って先輩方の話を聞いたり、実際にピッチで要求されるレベルも高いので、自分の意識が変わってきました。目指すのは攻守にスーパーな選手。守れて、パスを出せて、点も取れるのが理想像。世界で通用することを考えたら、まだまだ。もっとボランチを追求していきたいと思っています」
そう誓う橋本にとって、勝てばリーグ初制覇に王手を掛けられた11月23日の湘南ベルマーレ戦で、不甲斐ないパフォーマンスに終わってしまったのは、痛恨だった。
「大事なゲームでどれだけ自分の力が発揮できるか。そういう意味では本当に悔しかったし、力不足を痛感させられました。代表の疲れはそんなになかったんですけど、久しぶりのホームゲームで負けられないという硬さはあった。でも、そう感じられたのは、次に繋がる。次の浦和レッズ戦は本当に結果が大事なので、自分の持てるものを発揮して、勝利に貢献したいと思います」
残りの2試合は、東京にとっても、橋本選手のサッカー人生においても、重要なゲームとなるに違いない。しかし、橋本は笑みを覗かせて、言った。
「そう思っちゃうと、また硬くなっちゃう(笑)。基本的には、いつもどおりにプレーしたいと思っています」
もちろん、背負っているものもある。アカデミー出身者としての誇りであり、自覚であり、責任である。
「ファン・サポーターの方々も、アカデミー出身の選手を特別な想いで応援してくれているのは、伝わってきます。東京にはいい選手が多いから、アカデミー出身者がなかなか試合に出られないですけど、自分が後輩たちを引っ張っていきたいという想いもあります。アカデミー出身の選手として、中心としてやっているという自覚を持って、戦っていきたい」
青赤の魂を胸に、泥臭く闘い、身体を投げ出して守り、最後まで走り抜く――。それが橋本拳人にとってのいつもどおりのプレーだろう。「FC東京らしい選手」が、いつもどおりのプレーを貫けたとき、ラスト2試合、浦和戦と横浜F・マリノス戦での勝利が見えてくる。初のリーグ優勝は、その先に待っている。
取材・文=飯尾篤史
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「※」は提携サイト『 Sporting News 』の提供記事です

