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FIFA ワールドカップ

最高のフィナーレに向かって…メッシがアルゼンチン代表でも真のヒーローとなる日

19:07 JST 2017/10/17
Lionel Messi Argentina
国のために戦い続けた小さなヒーローが、ハッピーエンドに向かってロシアの地を踏む。

夢はまだ続いている。

アルゼンチン代表のベテランとなったリオネル・メッシは、2005年にFCバルセロナのフォワードとして世界の舞台にデビューして以来、多くの悲しみ、フラストレーション、そして何度ももう一歩のところで涙をのんできた。しかし10日の夜、またしても壮大な彼のショーを見た後では、我々はまだメッシにふさわしいフィナーレを堪能しつづけることが出来そうだ。

■メッシにかかる“いきすぎた”重圧

メッシは2005年、アルゼンチンをU20ワールドカップ優勝へ導き、2008年には、U23チームに北京オリンピックの金メダルをもたらした。しかしながら、フル代表では、メジャー大会に7度出場しながら、4度決勝で涙を飲んでいる。A代表での優勝にはいまだ手が届いていないままだ。

セルヒオ・アグエロやアンヘル・ディ・マリアといった代表歴の長い選手たちは、しばらく前から自分たちの世代が大きなタイトルを勝ち取れないままに終わるなどということはあり得ないと主張している。しかし10日、アルゼンチン代表は、それよりもさらに屈辱的な結果――ワールドカップ出場自体を逃す可能性すらあったのだ。

5日のロシア・ワールドカップ南米予選でペルー相手にホームでスコアレスドローを演じ、国民を失望させたアルゼンチン代表は、南米予選で6位に転落。W杯へ出場するには、最終節の高地キトで行われるエクアドル戦で勝利し突破を決めるか、少なくともニュージーランド代表との大陸間プレーオフに回るしかなくなっていた。

確かに以前から良くない兆候はあった。2017年に入ってから、アルゼンチン代表はワールドカップ予選でたった2ゴールしか挙げられていなかったためだ。チリ戦でメッシがPKで挙げた1点と、ベネズエラ戦でのオウンゴールによる1点のみ。南米予選の全10チームのうち、アルゼンチンより得点数が少ないのはボリビアだけだった。

ヘラルド・マルティーノの下で始まり、エドガルド・バウサが短期間お茶を濁すという、困難極まりない南米予選の終盤になって、アルゼンチンをワールドカップへ出場させるべく大騒ぎのさなか就任したホルヘ・サンパオリ監督には、半端ではないプレッシャーがのしかかっていた。しかし、誰よりも批判の矢面に立っていたのが、メッシであった。

それは今に始まったことではない。代表デビュー以来、バルセロナで輝かしい実績を残すメッシは、アルゼンチン代表として絶大かつ時には不当な期待をかけられて、プレーしなければならなかった。特に過去5回のメジャー大会において、それは顕著だった。

2006年のワールドカップでは、メッシはまだ若く、主に控え選手として代表に呼ばれていた。アルゼンチンがPK戦の末にドイツに敗れた準々決勝の試合では、ずっとベンチにいた。1年後、ベネズエラで開催されたコパ・アメリカの準決勝のメキシコ戦で、見事なチップシュートでネットを揺らしたが、チームは決勝でブラジル代表に0-3と敗れ、優勝を逃している。

翌年の夏、中国で行われたオリンピックで金メダルを獲得し、母国のサッカーファンを満足させたが、これはU23チームによる大会。フル代表でのタイトル獲得へ、国民の期待は続いた。だが、2010年のワールドカップ南アフリカ大会では、ドイツに0-4で敗れてベスト8止まりとなり、優勝を期待されていたディエゴ・マラドーナ監督の解任につながった。メッシも、何度かアシストを決めたものの自身の得点はないまま、大会を去っている。

1年後、アルゼンチンで開催されたコパ・アメリカは、アルゼンチン代表、そしてメッシにとって新たなチャンスとなる大会だった。メッシは、クラブでそれまでに、チャンピオンズリーグを3度制し、バロンドールにも2度輝き、世界最高の選手と呼ばれるようになっていた。しかしこの大会では得点をすることができず、ホスト国アルゼンチンが勝利したのはグループステージのコスタリカ戦だけ。ボリビアとコロンビアに引き分けた後、準々決勝でウルグアイにPK戦で敗れている。

その後、当時のセルヒオ・バティスタ監督は解任され、アレハンドロ・サベージャが指揮官に就任した。結果からみれば、いくばくかの継続性のもと、アルゼンチンは、ブラジルでのワールドカップに堂々たる結果で出場を決めた。ところが、最終的にこの大会は、メッシとチームにとって今まで以上に苦しい結果で終わることとなる。決勝でドイツに延長の末敗れたのだ。メッシは大会の最優秀選手に選ばれたが、それはわずかな慰めにしかならなかった。

続くサンティアゴで開催された2015年のコパ・アメリカで、決勝でチリにPK戦の末敗れたことは、さらなる痛みをもたらした。さらに失望は繰り返され、翌年アメリカ合衆国で開催されたコパ・アメリカ・センテナリオの決勝でも、アルゼンチンはチリにPK戦で敗れた。この時はメッシもPKを失敗し、悲しみに暮れるキャプテンは代表引退を発表したのである。

「振り返るには厳しい瞬間だ」

大会後、メッシは苦しそうに語った。「今思いつく最初の言葉は、もう終わったことだということだ。僕にとって、代表チームは終わった。決勝には4回出場した。自分が望んだのは最高の結果だったが、うまくはいかなかった。仕方がないことだ。今感じていること、思うことは、それだけだ。大きな悲しみを感じている。僕はPKを失敗した。それだけだ」

■最高の“ハッピーエンド”に向かって

しかし、それで終わりではなかった。わずか2カ月後、バウサ前監督が就任からわずか8カ月で解任された時、アルゼンチンのスーパースターは母国の代表チームに戻ってきた。サンパオリの就任により、ようやく世界大会でメッシの夢をかなえるのに必要な、トップレベルの監督が現われたように思われた。

結果的にそれは成功だったと言える。サンパオリ監督率いるアルゼンチン代表は、エクアドルで試練に直面し、開始40秒で先制されてしまったが、メッシのスーパーな3得点(素晴らしく進歩したディ・マリアの2アシスト)により、ロシア行の切符をつかんだのだ。課題は山積みだが、アルゼンチンは再び世界最高峰の舞台に立つのである。

「全員が力を合わせれば、どんなことだってできる」と、試合後メッシは語った。

「ワールドカップと(過去)2回のコパ・アメリカで起こったことは、不運だった。ワールドカップ出場を目指す苦しみは終わった。できればこれを最後にしたいね。これからチームは変わるだろう。今までとは違う、成長したチームになるだろうね」

バルセロナではすべてを手に入れ、クラブ史上最高の選手とみなされているメッシ。アルゼンチン代表としても61得点をあげ、ワールドカップ予選でも21得点という記録を作った。オリンピックの金メダルもある。だが、何度もあと一歩に迫りながら、まだメジャー大会での優勝だけがない。

来年夏ロシアの地で、メッシの代表チームでの長く苦しい歴史は、ついにハッピーエンドを迎える。国のために戦い続けた170cmの小さな英雄は、充分に報いられることだろう。

文=ベン・ヘイワード/Ben Hayward