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小川航基、水戸での決意。当落線上の東京五輪代表エースの座をあきらめてはいない

東京五輪の開幕まで約10カ月。18人の枠を巡り、選手たちはクラブで、代表で鎬を削っている。東京五輪世代のエースとして年代別代表から戦ってきた小川航基もその一人。現在、J2・水戸ホーリーホックで結果に向き合う日々を送っている。

■先を行く五輪世代のライバルたち

 東京五輪でエースを担うのは誰か?

 どん欲なまでにゴールを狙うスタイルでU-22日本代表のFW陣をけん引する上田綺世。コパ・アメリカでA代表としてもデビューした上田は、この夏法政大サッカー部を退部し、鹿島アントラーズとプロ契約を結ぶと、すでに明治安田生命J1リーグ6試合で3ゴールを挙げた。

 7月に松本山雅FCからポルトガル1部のマリティモへ移籍した前田大然も、同じくコパ・アメリカでA代表デビュー。2018年12月の立ち上げ当初からU-22代表が採用する基本布陣[3-4-2-1]の最前線とシャドーを担える器用さに加え、圧倒的なスピードと守備での献身性を買われて、常時招集を受けている。

 加えて、オーバーエイジ(24歳以上の選手が3人出場できる枠)で大迫勇也(ブレーメン)の参戦も噂されている。勝ち抜くのは簡単ではない。

 エースの座をめぐる熾烈な争い――。年代別代表で活躍してきた小川航基も候補の一人だ。186cmの高さを生かしたポストプレーと動き出しの良さで評価を高め、現在のU-22代表のベースとなるU-20代表時代から、東京五輪のエースとして期待されていた。だが、現在は当落線上にいる。

■大けが、クラブでの停滞、代表選外

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  プロとしてのキャリアをスタートさせたのは2016年。高校ナンバーワンストライカーの肩書きとともに桐光学園高からジュビロ磐田へ加わった。2年目の17年にJ1デビューを果たすと4月にはJリーグYBCルヴァンカップでハットトリックを達成。飛躍の予感を漂わせた。しかし、直後の5月、エースとして臨んだU-20ワールドカップグループステージ第2節・ウルグアイ戦で、左ひざの前十字靭帯と外側半月板を損傷。長期離脱を余儀なくされた。

 大ケガからの復帰はほぼ1年後の18年5月。肩を脱臼するアクシデントに見舞われながらも、シーズン終盤にかけて磐田で出番を増やしていく。同年12月のJ1参入プレーオフ決定戦の東京ヴェルディ戦では自ら奪ったPKを決め、J1残留に貢献するとともに、自身も浮上の兆しを見せたかに思えた。

 だが、輝きは一瞬。今季は調子が上がらず、出番を得られなくなった。チームが下位に低迷したことも重なり、ベンチからも外れることが増えた。コンディションが整っていても出場できず、試合勘も失われていった。

「よく分からない」

 当時の小川はネガティブな言葉を口にする機会も多く、出口のない迷路を彷徨っていた。クラブでの停滞は代表にも影響し、3月にミャンマーで行われたAFC・U-23選手権タイ2020予選は招集外。悶々とする日々の中で懸命に光を探した。

 居残りでのシュート練習。長期間のリハビリ以降は終盤に足をつる癖がついたため、時間を見つけては関東に赴き、高山トレーニングで心肺能力を高めた。

■“落選組”のトゥーロンで吹っ切れた

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 迎えた6月上旬。小川はU-22日本代表の一員としてトゥーロン国際大会に向かった。日の丸を背負うのは約8ヶ月ぶりだが、同時期にコパ・アメリカを戦った影響で、主力不在のメンバー構成となった。上田や前田が南米行きのチケットを手にした中で、自身はいわば“Bチーム”。しかし、これが大きな転機となる。

 ポルトガルやイングランドといった強豪国を抑え、決勝トーナメントに進むと、準決勝・メキシコ戦で自身大会初ゴールとなる値千金の同点弾。続く決勝・ブラジル戦では豪快なボレーからネットを揺らした。

「ゴールからだいぶ遠ざかっていたので、決められたことはメンタル面も含めて大きい」

 PK戦でブラジルに敗れた後、準優勝に終わった悔しさを滲ませながらも、確かな手ごたえを感じていた。だがこの時、「(自身の)浮上の光はまだ見えていない」とも語っている。

「この大会で結果を出せたけど、チーム(磐田)に戻って試合に出られないと意味がない。このメンタル状況を保ちつつ、さらに結果を出さないと上にはいけない」

 帰国後、小川はトゥーロン国際大会で負った左足首の負傷で戦列を離れた。ただ、フランスの地で取り戻した感覚は確かにあった。

「トゥーロンの2ゴールで吹っ切れた」

 あとはそれを発揮するだけ。

 7月14日、小川は大きな決断を下す。同世代の選手が続々と欧州に活躍の場を求める中、J2・水戸ホーリーホックへの育成型期限付き移籍を選択した。

■水戸での充実した日々と責任

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「来た当初からコンディションが良かった」と水戸・長谷部茂利監督が明かしたとおり、加入直後から2トップの一角で出場機会を得ると、ここまで9試合で5ゴールを挙げている。懐の深いポストプレーも冴え、瞬く間にチームのエースストライカーとなった。

 水戸で試合に出ることで、9月上旬に行われたU-22日本代表の北中米遠征に招集。6日のU-22メキシコ戦では上田に代わって途中出場し、9日のU-22アメリカ戦は先発して上田と交代した。この遠征で日本はメキシコにスコアレスドロー、アメリカには2-0で敗れている。

「FWだけではなく、チームとして得点を取れなかった。イコールFWの責任ですし、不完全燃焼。自分の良さが出せた遠征かというと、そうではなかった。次もし呼ばれる機会があれば、結果、ゴールの数だけを求めて戦いたい」

 今回の遠征では結果を残せなかった。しかし、悲観はしていない。水戸で充実した日々を送り、サッカーを楽しめているからだ。東京五輪行きを狙うライバルたちは自身より上のカテゴリーでプレーしている。しかし、「代表でのポジション争いは楽しみ」と言う小川に焦りや迷いはない。

 ケガに泣かされ、出場機会をつかめない時期も経験した。言葉にならない悔しさや葛藤。それでも光を探し続けた男は、東京五輪を狙える立場に戻って来た。

14日のJ2第32節、水戸はジェフユナイテッド千葉に1-2で敗れ、順位を5位に落とした。小川もゴールを奪えなかった。必要なことは分かっている。

「チャンスを決めないといけない。今回の敗因は自分のせいだと思っています。あのような少ないチャンスを決め切る技術、メンタル面を持たないといけない。(決め切れないと)これから先の自分のキャリアに影響が出て来るし、あのようなところで落ち着いて決められるFWにならないと日の丸は背負えない」

 今、心身は充実している。“俺はこんなもんじゃない”。遅れを取ったエースストライカーは、水戸で結果を出すことで、虎視眈々と東京五輪の主役を狙う。

取材・文=松尾祐希

■FW 19小川 航基(おがわ・こうき)
1997年8月8日生まれ、22歳。186cm/78kg。神奈川県出身。大豆戸FC→桐光学園高→磐田→水戸。J1通算23試合出場1得点、J2通算9試合出場5得点。

■東京五輪代表(U-22代表)予定
海外遠征:10月
キリンチャレンジカップ:11月17日・広島、12月28日・長崎
2020年1月:AFC・U-23アジア選手権(タイ)
2020年7月23日:東京五輪男子サッカー競技初戦

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