■スーペル&エウロ・デポル
(C)Getty Imagesデポルティボ・ラ・コルーニャがリーガ・エスパニョーラで絶対的権力を有するレアル・マドリー、バルセロナと肩を張り、タイトル争いをしていた日々からずいぶんと年月が経った。あれはアウグスト・セサル・レンドイロが会長を務めていた頃……彼は革新者で、時代の先を行き、最後にはクラブから追放された。
政治家が本職のレンドイロは、偉大なチームをつくり上げていった。ベベット、マウロ・シウバ、ロイ・マカーイ、パンディアーニ、リバウド、ジャウミーニャ、スカローニ、フアン・カルロス・バレロン……彼が契約した選手たちはスペイン、ひいては欧州のフットボールにその名を深く刻んだのである。
まず生み出された偉大なチームはスーパーなデポルティボ、“スーペル・デポル”だった。ビッグクラブが考えた末に獲得を見逃した選手たちがデポルで見事なチームを形成し、1995年にクラブの念願であったスペイン全国レベルの初タイトル、コパ・デル・レイを獲得。レアル・マドリーの本拠地サンティアゴ・ベルナベウで、バレンシアを破った末の戴冠だった。
その後レンドイロ率いるデポルティボは、EU圏での自由移籍が保証され、EU圏のクラブがEU圏の選手を外国人扱いできないと定められた1995年のボスマン判決を徹底的に活用した。判決が下された直後、クラブはもちろん、選手も権利が侵害されていたとも解放者になったとも感じておらず、訴えを起こしたボスマンは悪人にしかなり得なかったが、レンドイロはその有効性に気づいていたのだった。
こうしてデポルティボの快進撃は始まった。人口わずか25万人のラ・コルーニャに本拠を置くクラブが、欧州を代表するクラブたちと張り合うなど、まさに夢物語のようだった。彼らはリーガ、チャンピオンズリーグ(CL)でまるで当たり前のように大金星を挙げ続けていった。
次に生まれたチームが、ユーロでその名を轟かせた“エウロ・デポル”。青白のユニフォームを着る選手たちの躍進は、世界中の人々にエクスタシーを感じさせたものだ。ミュンヘンでバイエルン、トリノでユーヴェを下すなど、“エウロ・デポル”はスペインのチームにとって難攻不落でしかなかったスタジアムを次々に攻略。とりわけ2003-04シーズンのCL準々決勝ミラン戦、サン・シーロでのファーストレグを1-4で落としながら、リアソールで4-0の大逆転勝利を果たしたことは伝説だ。デポルティボのサポーター以外がデポルティボを思い出すとき、まず頭に浮かぶのはあの対戦だろう。
■ただのデポルティボに
しかしスーペルやエウロという呼称は、それが普遍的ではないからこそ付けられるのだ。1999-00シーズンのリーガ優勝、2回のコパ・デル・レイ優勝(1995年、2002年)、3回のスーペルコパ優勝(1995年、2000年、2002年)を果たした後、スーペルでもエウロでもない、ただのデポルティボに戻る日がやって来た。それも、これまでの豪快な金遣いの荒さがツケとして回ってくることになったのだ。
2010年代に入り、デポルティボは財務省を主として1億5000万ユーロ以上の巨額の債務を抱え、2013年にレイ・コンクルサル法(日本の会社更生法に近い)を適用。翌年の臨時株主総会でレンドイロに代わり実業家ティノ・フェルナンデスが会長となり、何とかクラブの消滅を免れることになった。
だが、その後もデポルティボの苦難は続き、昇格と降格を繰り返すエレベータークラブに成り下がる。ティノを筆頭とするクラブ役員会は、チームに安定をもたらすことができなかった。2013-14シーズン、デポルティボは3年で2回目となるリーガ1部復帰を決めたものの、その功労者とも言える当時の指揮官フェルナンド・バスケスは翌シーズンの開幕直前に補強方針を批判する発言をしたとして、「信頼に足らない監督」との烙印を押されて解任に。以降、デポルティボの一部サポーターはティノに対して執拗に批判を繰り返すことになる。それでも3シーズンの間は残留争いをしながら何とか1部にしがみついていたデポルティボだが、2017-18シーズンに再び2部降格。2部の地獄から抜け出せないまま今日に至り、批判を受け続けたティノのクラブ役員会は、昨季途中にチームの成績不振の責任を取る形で退陣することを決めた。
今年5月、元デポルティボの選手であり、実業家のパコ・サスが会長選挙に勝利し、クラブは新たな歩みをスタートさせた。が、1部復帰への道程は過酷なものになることが予想される。これまでは2部に降格してもわずか1シーズンで復帰を果たしてきたものの、今季は2シーズン連続の2部挑戦となる。2部降格でテレビ放映権収入が一気に減り、クラブの経営が立ち行かなくなることを想定して支払われるクラブ救済金もない。昨季予算は、2部ではマラガ、ラス・パルマスに次ぐ3600万ユーロだったが、今季は1500万ユーロほどになる見込みで、レンドイロ政権以降の最低記録を大幅に更新することになる。
デポルティボはあのスーペルやエウロといった夢の日々から遠ざかり、スペイン・ガリシア州の一クラブであるという現実と向き合っている。だがしかし、あの日々は夢であり、夢ではなかった。実際にその日々を経験し、デポルティボという我が町のクラブを誇る人々がいるのだから。例えばリヴァプールは人口55万人の町だが(スペインであればサラゴサより10万人少ない)、ユール・ネヴァー・ウォーク・アローンを歌いながらフットボール界の最重要拠点の一つとなった。デポルティボにも、ラ・コルーニャにもそうした文化を肥やすための土壌が存在している。
その土壌というのはもちろん、サポーターである。彼らは夢見ることを決して止めない。今季の年間シート購入のペースは昨季と変わらず、すでに2万人を超えている。
■柴崎こそ1部復帰の鍵
(C)MARCAさて、そのサポーターたちに期待を一身に集めるのが柴崎岳である。スペイン『マルカ』の今季リーガ・エスパニョーラ名鑑では、リーガ1部のクラブを8ページも使って紹介するのに対し、2部クラブはわずか3ページしか割かれないが、デポルティボを担当した私は1ページ目のメイン写真となるチームのエストレジャ(スター)に柴崎を選ばせてもらった。サポーターはもちろん、今季からチームを指揮するフアン・アントニオ・アンケラも選手たちも、柴崎こそが1部復帰の鍵になると見込んでいるためである。
冬の移籍市場でも獲得を目指すなど、スポーツディレクターのカルメロ・デル・ポソにとって念願の選手だった柴崎は、昨季の陣容をベースとするチームでピッチ上のリーダーとして振る舞うことになるだろう。デポルティボで期待されているのは、テネリフェ、ヘタフェではプレーする機会をほとんど得られなかったボランチとしての役割だ。この日本代表MFが4-2-3-1の2ボランチの一角として真価を発揮し、チームの攻撃を巧みに操ることができれば、1部復帰への道がはっきりと見えてくる。
カンタブリア海と大西洋の影響を受けて降水量の多い町、ラ・コルーニャ。道も建物も雨に濡れ、きらびやかに光ることで、この町の風景は完成すると言われている。かつてのデポルティボへの郷愁の涙は、もう乾いた。新たな歓喜の涙に濡れることができるならば、何と美しいことだろうか。
文/フアン・ジョルディ(Juan Yordi)、スペイン『マルカ』デポルティボ番
翻訳・加筆・構成/江間慎一郎
▶ラ・リーガ観るならDAZNで。1ヶ月間無料トライアルを今すぐ始めよう
【関連記事】
● DAZNを使うなら必ず知っておきたい9つのポイント
● DAZNが「テレビで見れない」は嘘!6つの視聴方法とは?
● DAZNの2019年用・最新取扱説明書→こちらへ ┃ 料金体系→こちらへ ※
● 【簡単!】DAZNの解約・退会・再加入(一時停止)の方法を解説 ※
● 【最新】Jリーグの試合日程・放送予定一覧/2019シーズン
● Jリーグの無料視聴方法|知っておくと得する4つのこと
「※」は提携サイト『 Sporting News 』の提供記事です



