「高校サッカーはより“プリミティブ”(原初的)な戦いの時代になった」。そんなことを強く思ったのは、3年前の決勝戦だった。一つのボールを巡って肉体と肉体が激しくぶつかり合い、一つのボールを追い掛けて両チームが走り続け、二つのゴール前はしばしばスクランブル。体を張って防がんとする側と、体を投げ出して決めてやろうという側の攻防の極みがあった。
世界のサッカーの潮流がそうなっていったように、より激しく、より強く、より速く攻守が切り替わり、ゴールラインを巡る攻防は熾烈を極めるようになっていた。最後まで諦めない、全員が泥にまみれて戦う姿勢は高校サッカーの原初的な価値観を再確認させてくれるものでもあり、「この流れはきっと加速する」。そんな確信もあった。
星稜高校の劇的な逆転優勝で幕を閉じたこの大会で、最後まで激戦を演じた相手が前橋育英高校だった。無念の敗戦だったが、チームにとって初めての決勝進出。それまでベスト4の壁に泣かされ続けてきた黄色と黒の強豪にとって、大きな一歩を刻んだ試合でもある。確かに結果は敗戦で、翌々年にあたる16年度の決勝では青森山田高校の前に大敗も喫した。だが、この名門校が変化していっていることも明らかだった。
「小嶺先生のようになりたい」
高校サッカーの指導者を志した前橋育英・山田耕介監督の描いた原初的な夢は、島原商業高校時代の恩師である小嶺忠敏監督(現・長崎総科大附属高校監督)のようになることである。ただ、同時に「小嶺さんとは違うサッカーをやって、小嶺さんのようになりたい」(山田監督)という思いともワンセットだった。高校サッカーのプリミティブな部分を体現するようなチームを作って幾多の栄光を勝ち取った恩師のスタイルとは異なるサッカーで、栄冠を得たい。ボールを大切に保持し、テクニックで勝負できるチームを。もちろん、「小嶺先生のような」要素も採り入れつつ、別のベクトルで戦う。それが理想形だった。
「強く激しく美しく」という、前橋育英サッカー部が掲げるスローガンには、そんな山田監督の思いが込められている。なかなか選手が集まらなかった草創期は最後の要素「美しく」を体現するのは難しかったのだが、全国大会出場を重ねて県内はもちろん、県外からも有力選手を集められるようになっていくにつれて、最後の要素が際立つチームも作られるようになっていった。一方で、「強く激しく」の要素で後れを取っての苦杯も目立つようになっていく。美しい選手が増えれば、逞しい選手が減っていく。そんなジレンマも生まれた。
転換点は、少し皮肉な話になるが、選手が集まりにくくなってきたこともあるように思う。プリンスリーグ関東の舞台で肌を合わせるJクラブのユースチームに対して、この10年ほどで内容面で劣勢になる試合が増えていったからだ。
「Jのユースと集まってくる選手の質に差が開いたと感じるようになった。普通にぶつかったら勝てないなと感じるようになった」(山田監督)
ボールを持ち合う「美しく」を競う勝負になったら勝てないのならば、原点回帰を強めるしかない。前橋育英が今季掲げた5つの原則「球際」「切り替え」「ハードワーク」「声」「競り合い・拾い合い」は、まさにそれを象徴するものだろう。この原則を掲げるようになった直接的な切っ掛けは青森山田との前回大会決勝なのだが、もともと前橋育英が“そちら側”へ傾斜しつつある中だったからこそ、受け入れられた要素でもあった。
今大会決勝を戦った前橋育英と流通経済大柏の両チームは現代高校サッカーを代表するチームである。だが、決勝のピッチに立った選手に中学時代から「エリート」だったような選手はほとんど見当たらない。これは別段たまたまそうなったのではなく、そういう時代になっているからだ。昨年のU-17ワールドカップの日本代表に高校サッカーの選手が一人もいなかったことが象徴しているように、“超中学級”のような選手が高校サッカーを選ぶ例はもはや僅少になっているのは紛れもない事実。指導者はその中でいかに選手を鍛えて強いチームを作るかが問われるようになっている。それはいわゆる名門校でも例外ではない。
「ポゼッションかカウンターかとか、技術か体力かとか言うけれど、今はもう、どっちも持ってないと勝てないんだ」と喝破したのは前回大会優勝時の青森山田・黒田剛監督だが、最終的に「強く激しく美しく」を体現した前橋育英にも当てはまる要素だろう。一人ひとりがしっかりした技術を持った上で、なおかつ戦える選手の集団に仕上がっていた。強さ激しさだけでは勝てないし、美しさだけでも勝てない。試行錯誤を何年も重ねた末、そのバランスが最も取れるチームになった前橋育英が栄冠を勝ち取ったのは、自然な流れだったのかもしれない。
文=川端暁彦
