『スカイスポーツ・イタリア』は、1999年の名波浩氏のヴェネツィア移籍を振り返った。
現在日本代表のコーチを務める名波氏は、現役時代にジュビロ磐田などで活躍。日本代表としても10番を背負って1998年のワールドカップ初出場や2000年のアジアカップ制覇に貢献したりと、当時日本を代表する司令塔として高く評価されていた。
そんな名波氏は、1999年6月22日にセリエA昇格2年目を迎えるヴェネツィアに期限付きで加入。しかし、期待に応えるだけの活躍を残すことができず、クラブもセリエBに降格した後、同氏は古巣ジュビロ磐田に帰還した。
『スカイスポーツ・イタリア』は22日、同日に起きた移籍市場における過去のイベントを紹介し、その中で名波氏のヴェネツィア移籍を取り上げた。「1999年6月22日:ナナミがヴェネツィアに到着。“彼はレコバに匹敵”」と題して当時の様子を振り返った。
「ヒデトシ・ナカタの移籍が成功したことが明らかになったとき、(ヴェネツィア会長)マウリツィオ・ザンパリーニはヴェネツィアでこれを再現しようとした。日本で、ナカタの同胞ヒロシ・ナナミは高く評価され、一部ではナカタよりも優れているとも考えられていた。ローンが終わったレコバがインテルに帰還したこともあり、観客を魅了できる新たなプレーメイカーを見つけなくてはならなかった」
「そして1999年6月22日、ナナミはラグーンに到着。クラブは彼にオレンジと黒、緑の背番号7を手渡し、彼を連れてグランドカナルを一周し、日出ずる国からの新たなチャンピオンとして彼を紹介した。ザンパリーニ会長は”レコバと同じレベルの選手だ”と確信し、ルチアーノ・スパレッティに彼を託した」
「しかし、彼はすぐに彼が理解する上での複数の問題点を報告し、戦術面を理解するためにトレーニングセッションやピッチ上でナナミを追いかける通訳を雇わなくてはならなかった。この移籍はとても大きな失敗だった。セリエA24試合の出場でわずか1得点で、降格し、ジュビロ磐田への悲しみの帰路に就いた」
同メディアは、期待に応えられなかった名波氏のコメントも伝えており「彼はとても大きな教訓とともに帰国した。そして、日本人にある賢明さとともに“イタリアでの経験は金よりも大切だった”と語った」とヴェネツィアでの1年間は同氏にとって何ものにも代えがたい経験だったようだ。


