世界最高ではなくなったバルセロナ、”完全無欠”になった悲劇的な理由とは?【連載:リーガは愛憎譚に満ちて】

コメント()
(C)Getty Images
スペインのみならず世界中を熱狂の渦に包み込むラ・リーガ。無論、日本もその例外ではない。『Goal』では、愛情深くクラブに心血を注ぐ現地記者に執筆を依頼し、活字でその熱量を余すことなくお伝えする。第2回の主人公は、ネイマールが去り、指揮官が代わりながら望外の成績を収めるバルセロナだ。

エルネスト・バルベルデのバルサは、現在戦っている三大会で着実な歩みを見せている。リーガエスパニョーラでは無敗で首位に位置、チャンピオンズリーグではグループリーグ首位突破、コパ・デル・レイではベスト32のムルシア戦に2戦合計8−0に勝利……。アスルグラナ(青とえんじ)のチームは、まるで完全無欠のようなイメージを与えている。少し前には予想だにしなかったことだ。

■開幕前の予想とは裏腹に…

どのようなブックメーカーであっても、今のような状況を穴と捉えていたに違いない。スペイン・スーパーカップで、レアル・マドリーに惨敗したときには。クラブ最大の財産の一つであった、ネイマールを失ったとには。クレ(バルセロナファンの愛称)から声高に叫ばれながらも、中盤を金銀細工で飾ることができなかった(または望まなかった)ときには。クレはマルコ・ヴェッラッティの到着を手を組んで祈り、その代わりに中国からパウリーニョがやって来ると、神のために組み合わせていた手でもって、ソシオの会員証を破り捨てようとさえした。

この暗澹たる、終末のような雰囲気が醸し出されていたのが、たった4カ月前のことである。しかし今、あの頃に凡庸とみなされていたチームは、まるで模範的な学生たちのような愛想の良さを見せ、クレたちに可愛がられている。バルサはバルベルデの指揮の下、軽率な行動を取らず、整然とした、規律正しい集団へと変貌を遂げた。ピッチ上のチームはレミングスの群れのように足並みを揃え、目的を果たすまで、ただひたすらに進み続ける。MSNの解体は攻撃における即興性を減じた。バルベルデはそのことも考慮に入れ、戦術による安定、リスクの排除に賭けたのである。

もちろん今季のバルサにも試合を左右する個は存在する。最前線を駆けるのは、リオネル・メッシ。相手の堅守をどうしても穿つことができないときには、単騎で穴を空けることができる。そして最後尾で守りを固めるのは、マルク=アンドレ・テア・シュテーゲン。数字でも印象でも、これだけ信頼できるGKは世界にもそうはいない。まるで遠近法のトリックのごとく幅7.23メートル、高さ2.44メートルのゴールを小さくし、身長187センチの自分を大きく見せている。

■失われた創造性で得たもの

だが2017−18シーズンのアスルグラナの歩みは、レオの魔法やマルク=アンドレのビッグセーブだけで片付けられるものではない。二人の想像の範疇を超えるプレーのほか、バルベルデの頭脳の中にあるものを反映しているのが、現在のバルサである。それはこれまでのバルサのようにフットボールの、グルたち(指導者たち)の理想を追い求める類ではなく、もっと現実に即したもの。チングリ(バルベルデの愛称、バスク語で蟻の意)はアスレティック・ビルバオを指揮していた時代に私たち『パネンカ』とのインタビューに応じ、こんなことを語っていたのだった。

「私の趣味のカメラであれば、写真を撮影するという行為自体がクリエイティブなものだ。けれども、フットボールでは勝利という明確な目標に到達する必要がある。だからフットボールで、レトリックやクリエイティブについて話したいとは思わない。まあ、自分好みのクリエティブなことを行っているのかもしれないが、しかし何よりも勝たなくてはいけないんだよ。それぞれが独自の道で勝利を目指していくわけだが、最後に物を言うのは数字にほかならない」

今のバルサは、4−3−3を究極にして至上のシステムとは考えていない。4−4−2、4−2−3−1と、自分たちの陣容、そして相手に合わせて最適解となるシステムを探している。今のバルサは、中盤をかつてのような創造と芸術を生み出すアトリエとしていない。芸術家と言うよりも土建屋のパウリーニョをそこに含めることを常とし、たとえ彼がボールの交通の妨げになろうとも、そのカバーリング力と飛び出しの能力を生かそうと試みる。今のバルサは、ボールを愛でたり撫で回したりしない。自陣でボールを持つセルヒオ・ブスケッツやアンドレス・イニエスタも、まずは最前線のメッシ、ルイス・スアレスの動き出しを見て、ロングボールを蹴り込むことを狙っている。そこには、チャビ・エルナンデスがいた頃の知的にして魅惑的なパス回しも、MSNが揃っていた頃の即興的なカウンターもない(無論、メッシはどの時代にも、メッシとして君臨している)。

カタルーニャのメディアは、大量得点で勝利を挙げたにもかかわらずバルサらしいパス回しを見せていなかったとの理由で、ヘラルド・マルティーノの首を求めたことさえあった。一方、バルベルデは、そうした厳しい向かい風を受けずに済んでいる。たとえアトリエを捨てても、たとえそのフットボールに以前のような面白みや一貫性がなくとも。というのも、彼がここに到着した際に置かれた状況は、前任者たちとは異なるものだったからである。逆説的だが、ルイス・エンリケ率いるチームの悲劇的な昨季と、これまた悲劇的な移籍市場での動きにより、前アスレティック・ビルバオ監督は異議を差し挟む対象外となった。彼は結果を盾にすることを許されている。

バルサはもはや世界最高のチームではない。その事実を受け入れることこそ、次の一歩を踏む手段だったのだろう。バルベルデのバルサは、自分たちのフットボールを過信してはいない。それは臆病なのではなく、実用主義であるということだ。カンプ・ノウのピッチで4−4−2を披露する。それは保守的なのではなく、真剣ということだ。引き分けとなれば十分な試合でメッシをベンチに置く。それは倦怠ではなく、極めて合理的に競争に臨んでいるということだ。

とどのつまり、バルベルデのバルサは、見るものを魅了するパフォーマンスを前提から外し、ただ競争を勝ち抜くことを目指している。そもそも、彼らが向き合っているのは、鏡に映っている自分の姿だけではない。昨季にリーガ優勝のほか、史上初のチャンピオンズリーグ連覇を成し遂げたレアル・マドリーという打ち破る敵が存在している。だからこそ勝利という目標は、プレーの美学に関する議論よりも先にある。バルベルデは擁することのできる選手の質にも大きく依存する理想と現実のジレンマを、きっぱりと否定した。それこそが、現時点における彼の功績だ。

文/ルジェー・シュリアク(Roger Xuriach、スペイン『パネンカ』誌)
企画・翻訳/江間慎一郎

▶リーガ・エスパニョーラを観るならDAZNで!1ヶ月間無料のトライアルを今すぐ始めよう。

閉じる