Gianluigi BuffonGetty

ユヴェントス加入から16年…史上最も偉大なGKブッフォンが“ラストイヤー”にかける思い

2001年の夏はユヴェントス、そしてイタリアサッカー界において歴史的な節目となった。その年の7月3日、のちにビアンコネーリ(白と黒)そしてイタリアサッカー界のバンディエラとなるGKジャンルイジ・ブッフォンが、トリノに上陸したのだ。

■歴史に名を残すものが見せた“気持ち”

当時はまだ24歳になったばかりの偉大なGKは、4029万ユーロといわれる当時の史上最高額の移籍金でパルマから加入した。彼の使命はユヴェントスのサポーターに対し、それまでの2年間に正守護神を務めたエトヴィン・ファン・デル・サールのイメージを払しょくさせることだった。あの夏、ユヴェントスはパルマでブッフォンの同僚だったDFリリアン・テュラムや、現在クラブの副会長を務めるMFパヴェル・ネドヴェドも同時に獲得している。

ブッフォンにとって、ユヴェントスでの冒険の始まりは一筋縄ではいかなかった。デビュー間もないころに「スタディオ・デッレ・アルピ」で行われたキエーヴォ戦では、信じられないようなミスを犯している。

それでもユヴェントスのサポーターはすぐにそのミスを許し、シーズン最終節が行われた2002年5月5日、ブッフォンとともに思いがけないスクデットの獲得を喜び合った。あの時から数えて実に10回。そのうちの2回はカルチョーポリの裁判により取り消されているが、幾度となく、ブッフォンはユヴェントスでスクデットを獲得している。

PS palmares Buffon Juve

とはいえカルチョーポリこそ、ブッフォンのキャリアにおける1つの転換点となったといえる。2006年夏、イタリア代表として世界王者の座につきながらも、マウロ・カモラネージ、アレッサンドロ・デル・ピエロ、ダヴィド・トレゼゲ、ネドヴェドといったベテラン選手らと一緒に、セリエBへ降格したユヴェントスと運命をともにすることを決断した。

この選択があったからこそ、ブッフォンはユヴェントスの歴史に名を刻む選手となり、2013年以降デル・ピエロの後継者としてキャプテンマークを託されたのだ。

ユヴェントスとともにセリエBへ行くことを決断した理由について、ブッフォンは昨年このように説明している。「残留を決断したのは、カルチョにおける僕の価値観をただ熱弁するのでなく、実践することで具体的な形で示したかったからだ。カルチョでは“気持ち”も大事なんだ」

その英断に対する報いは、ピッチにおいて十分に受けたと言えるだろう。最初の数年は結果に結びつかなかったが、その後ブッフォンは再びユヴェントスとともに王者に返り咲いた。直近の6年間、獲得したタイトルはスクデット6回、コッパ・イタリア3回、イタリア・スーパーカップ3回にも及ぶ。

■最高のフィナーレへ向かって

PS Buffon serie b

ブッフォンにとってキャリアにおける最大の心残りは3度にわたり目の前で取り逃してしまったチャンピオンズリーグのタイトル以外にないだろう。マンチェスター、ベルリン、そしてカーディフの夜。頭上にトロフィーを掲げることは叶わなかった。おそらく何かのサプライズがない限り、ブッフォンにとって今シーズンがビッグイヤーを掲げるラストチャンスとなる。

イタリア史上最も偉大なGKは、ロシア・ワールドカップ終了後の引退を示唆している。欧州予選プレーオフで、スウェーデンと対戦することが決まったブッフォンは、唯一無二といえるキャリアの幕引きとして相応しい大会に出場し、最高のフィナーレを飾ることができるだろうか。

文=Lelio Donato

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