Emre Can Juventus Serie A 01102018

「プランBはなかった」エムレ・ジャンの原点。バイエルンとプロ契約を結ぶまで/インタビュー後編

子供の頃から何よりもフットボールを愛していたエムレ・ジャンは、かかとのケガを乗り越えて再び愛するフットボールの世界に戻って来た。

今回は『Goal』のロングインタビュー後編となる。前編では、現在のユヴェントスでの時間にフォーカスしたが、4時間を超えたインタビューの後半部分では、フランクフルト北西部で屈託なくストリートフットボールに興じていた少年時代のこと、バイエルン・ミュンヘンに加入して孤独ながらも自信に満ちたティーンエイジャーとして過ごした日々を振り返る。

さらに、自身のことだけに限らず、プロフットボール界のバブル現象やファッションに対する関心といった話題にも言及した。

■原点は「ストリートとジダン」

Emre Can Juventus Serie A 01102018

――ジャンさん、インタビューの前半では主に現在と未来のことについて伺いました。今度は、あなたの出発点となった過去の方に目を向けてみたいと思います。あなたの旅はどのようにして始まったのでしょうか?

僕はフランクフルトの北西部で育って、たいていはそこいらの通りで友達と一緒にフットボールをやっていたよ。

――最近では、路上でフットボールをやる子供がどんどん減ってきているように思えますが…。

僕は、自分がそういった今どきの子供たちと同じような育ち方をしなくてよかったと思うよ。SCフライブルクの監督のクリスティアン・シュトライヒが最近すごく良いことを言ってたんだ。「そんなふうに育つのは子供たちの責任じゃなくて、子供たちにそうさせる方に責任があるんだ」ってね。10歳や11歳の子供が自分でスマートフォンやゲーム機を買えるわけじゃない。彼らにはそんなお金はないんだから。買ってやるのは両親だ。子供の育て方が変わらなければダメなんだと思うよ。

――どんなふうにですか?

たとえば、子供の時にちょっと木によじ登って、膝をケガしたりしたっていいはずだ。きっと、そういう経験をして初めて、ちゃんと大人になることができるんだ。僕たちが子供だった頃は、朝の10時から夕方の7時か8時ごろまで外で遊んでいた。あの頃は僕にとって生涯最高の時間だった。僕のおかげで洗濯に追われるっていうので母に叱られたにしてもね(笑)。

――子供の頃のあなたはどんな選手に憧れていましたか?

僕と同じ世代で、路上でフットボールをやっていた子供たちは、みんなジネディーヌ・ジダンかロナウジーニョ気取りだったよ。僕はジダン派だった。ジダンが僕のお気に入りで、アイドルだったんだ。彼がなでるようにボールを操る様子はとても印象的だったよ。

――ですが、あなたは路上でプレーするだけでなく、早い段階でクラブ探しに取りかかりましたね。

僕は5、6歳の時にはもう、「クラブに入りたい」って何度も両親に言っていたんだ。だけど、最初のクラブには受け入れてもらえなかった。そこは超満員だったんだよ(笑)。 だから僕はSVブラウ=ゲルプ・フランクフルト(少年フットボールクラブ)に挑戦してみた。ブラウ=ゲルプでは練習の後すぐに、「飛び抜けて優秀だ」っていう理由で上の方のクラスに入れられたよ。そして5、6年後にはアイントラハト・フランクフルトに引き抜かれたんだ。

――プロになる上で、ストリートフットボールで鍛えられたことが役に立ちましたか?

すごく役立ったよ。ストリートフットボールで身につけたものをピッチの上で活かせば、高いテクニックが求められる大胆なプレーができるから、間違いなく利点になるね。もちろんやりすぎるとダメだけど。結果が出なければ、そんなプレーをしても何の意味もないからね。

■若くしてバイエルンへとステップアップ

Emre Can, FC Bayern MunichAFP

――現在、ドイツでは若手の育成について盛んに議論されています。批評家は、もっとストリートフットボール的なメンタリティーが必要だと主張しています。

そうかもしれないね。選手を育てる時に、いくつか変えた方がいい点があると思うんだ。また以前のように、1対1の戦いに強い選手を増やすことが必要なんだよ。それから、若い選手はすぐにボールをパスせずに、ドリブルを駆使することも覚えるべきだ。

――あなたはユースの監督からプレースタイルについて注意を受けたことがありますか?

ユースの何人かの監督からは、僕が足の裏やかかとを使いすぎるっていうので叱られたことがあるよ。僕は初め10番のポジションに置かれたんだけど、6番やセンターバックのポジションでもプレーしていた。守備寄りのポジションを経験したおかげで、試合の状況によってはそれまでよりうまく対応できるようになったんだ。そういうポジションでは、あまり頻繁にそういったトリッキーなプレーはできないからね。

――あなたは15歳で故郷のフランクフルトを去って、バイエルンへ移籍しましたね。その頃は大変でしたか?

最初のうち、母は僕がそんなに若い時に家を出ることに反対だったけど、アドバイザーやバイエルンとの話し合いがうまくいったんだ。僕は年の割にはすごく大人びていて、気持ちもしっかり定まっていた。でも、家族や友達や故郷の町を後に残して一人で出ていくのが簡単なことだったと言ったら、それは嘘になるだろうね。僕はまだ大人じゃなかったし、ミュンヘンには誰も知り合いはいなかったんだから。

――うまくいかないかもしれないという不安はありましたか?

もちろん、「またフランクフルトへ戻ろうか?」って自分の胸に尋ねることは時々あったよ。けれど両親が何度も来てくれたし、アドバイザーや両親が支えてくれたおかげで、くじけずに自分の目標を守り抜くことができたんだ。

――うまくいかなかった時のプランBはあったんですか?

いや、なかったね。僕はフットボールにすべてを懸けていたんだ。僕にはプランAしかなかった。これは必ずしも良いことだとは言えない。プランBも用意しておくべきだったよ。だけど、当時の僕はすでに自信満々で、プロになれると確信していたんだ。

――フットボールのために諦めなければならなかったことはありますか?

フットボーラーとしてやっていこうと思えば、早く大人にならなければならない。まだ子供のままの部分があっても、それでも大人のように振る舞わなければならない。たとえば、友達と一緒に夜そこいらをぶらついたりすることはやってはいけないんだ。だけど、僕は少しも困らなかったよ。僕の頭の中にはフットボールのことしかなかったからね。プロになるのが僕の夢だった。もう一度あの頃に戻るとしたら、僕はまたまったく同じようにするだろう。僕はバイエルンで3年間寮に入っていたんだけど、寮の建物の前がトップチームの練習場だったんだ。僕は朝起きると真っ先に窓の外を見て、自分に言ったものだ。「そのうちきっと、僕もあそこで一緒に練習するようになるぞ」ってね。

――そして、あなたはやってのけましたね。2012年に、ドイツの王者バイエルンとプロ契約を結んだのですから。

ミュンヘンへ行ったことは後になってから僕の役に立ったんだ。僕はバイエルンで素晴らしい時間を過ごすことができたよ。

Emre Can Bayer Leverkusen Bayern 03152014Bongarts

――ですが、あなたはプロとして契約した後たったの1年でバイエルンを去りました。あなたにとって、またバイエルンにとって、何がうまくいかなかったんですか?

僕はバイエルンでうまくいかなかったとは思ってないんだ。まだ契約が残っていたし、クラブは僕を引き留めようとしたけれど、当時の僕はあまり試合に出られそうな見通しが持てなかったんだよ。若手だった僕にとっては、できるだけたくさんピッチに立てることが重要だった。レヴァークーゼンは僕にそのチャンスを与えてくれたんだ。今振り返ってみて、レヴァークーゼンへ移ることにしたのは自分にとって最善の決断だったと思うよ。

――あなたはレヴァークーゼンにも1シーズンしか籍を置かず、続いてリヴァプールへ移籍しました。大胆な決断だったと思います。

ドイツでは、「あいつは何をやってるんだ?」って声が多かったよ。だけど僕は、リヴァプールで成功できると信じていたんだ。そして結局、実際にそうなったよね。僕はこれまで、どこにいようと常に自分の力を認められるようにしてきた。今もまたユヴェントスで、そしてドイツ代表チームで認められるようになることが僕の一つの目標なんだ。

――あなたは自分に大いに自信を持ってるんですね。それでも、プロとしてのプレッシャーは感じますか?

もちろんプレッシャーはある。フットボーラーというのは大きなプレッシャーに晒される仕事だ。毎日毎日、練習や試合のたびにスイッチをオンにして働いて、日々新たに自分の真価を示さなければならない。簡単にスイッチを切るわけにはいかない。けれど、そうやって15年とか20年とかプロとして仕事をしていくんだ。そしてその間ずっと、自分のすべての力を引き出そうと努力し続けなければならないんだ。

■「稼げば稼ぐほど責任が大きくなる」

Emre Can Napoli Juventus Serie AGetty

――経済的観点からも努力が必要ですか?

僕はお金のためにフットボーラーになりたかったわけじゃない。子供の頃はお金のことなんて考えないよ。頭にあるのは、満員のスタジアムでプレーするってことだけだ。

――フットボーラーの収入は法外だと思いますか?

他の仕事に比べるときっとそうだろうね。1日に12時間働いて、もしかすると僕たちの収入の1%も稼げない人たちもいるんだ。昔、僕の父親がそうだったように、建設現場で働いたり、零下の寒さの中で外に立っていたりする、そういうのが正真正銘の仕事だと僕は思っている。一方のフットボールの世界では、テレビやスポンサーに絡んで莫大な額のお金が動いて、結局選手たちもその分け前に与っている。重要なのは、責任感を持ってお金と付き合うことだ。お金を持つというのは責任を負うことを意味している。だから、それ相応の使い方をすることが求められるんだよ。そうやってまた、お金が社会に還元されることになるんだ。たくさん稼げば、そのお金で有意義なプロジェクトを支援できるという大きな利点がある。そういう場合、僕たちはビル・ゲイツのような人たちをお手本にすればいいと思う。彼は上手にお金と付き合って、莫大な額の寄付を実行している。そういう行為によって、彼はレジェンドになると僕は思っているよ。

――あなたはどういう形で社会参加を実行していますか?

僕は今、自分の基金を立ち上げようと計画しているところだ。いろいろなプロジェクトに間近で関わることを目指しているんだ。そういうプロジェクトに関心を持って、積極的に関わっている人たちがいることにみんなが気づく必要があると思っている。

――非常に謙虚ですね。

僕は、清掃スタッフからクラブの会長まで、どんな人間に対しても同じ態度で接することができるように努力している。これは僕の人生のモットーだし、この考えが変わることはないだろう。これは僕の両親が教えてくれたことなんだ。

――フットボーラーのあなたには、非常にたくさんのファンやソーシャルメディアのフォロワーがいます。そんなあなたにとって、あらゆる人々に同じように接するのは難しいことではありませんか?

ソーシャルメディアをあまり本気になって相手にする必要はないと思うんだ。僕にとってあれは偽物の世界だ。そこでは、誰もが自分をできるだけ良く見せようとしている。ソーシャルメディアの発展を止めることはできないだろうけれど、僕としては、人々がまた顔と顔を突き合わせて語り合う機会が増えるようになればいいと思っている。レストランに座って周りの人を見ていると、ほとんどの人が自分のスマートフォンしか見ていない。あれじゃ、普通の会話はほぼ無理だね。

――仕事がない時には何をしていますか?

僕は単純な人間だから、よく町をぶらついたり、友達と食事に行ったり、家でのんびりシリーズものの番組を見たりしているよ。そうやってのんびりすることが、試合へ向けて万全の準備を整えるのに役立つんだ。

■キャリアを終えたら、ファッション方面へ?

――ですがあなたは、まるであちこちのH&Mのショーウィンドーを覗くような気軽さで、フットボールの合い間に別の仕事も手がけていますね。フットボーラーがH&Mと提携して活動するのは、デヴィッド・ベッカムの後であなたが初めてのケースです。

デヴィッド・ベッカムの後を追ってH&Mと仕事をするのは光栄なことだと思っているよ。H&Mのマークはいつも身近にあったし、僕が以前フランクフルトで住んでいた家から歩いて2分のところにH&Mの店舗があって、いつもそこで服を買っていたんだ。今じゃ両親がその店のそばを通ると、ショーウィンドーに飾られている僕のポスターを写真に撮って送ってくれるんだ。すごく誇らしい気分だよ。

――どうしてファッションはあなたの生活の中で大きな意味を持っているんですか?

ファッションは僕の趣味なんだ。コーディネートがうまくいっていると、自然と気分がよくなる。僕が15歳でミュンヘンへ行った時、友人たちの多くがファッションにとても興味を持っていることに気づいたんだ。今いるイタリアでも、みんながファッションに気を使っている。それはいいことだと僕は思っている。

――あなたのお気に入りはどんなファッションですか?

それはやっぱり時と場合によるね。結婚式へ行く時はタキシードを着こむけど、普段外出する時には何かもっとカジュアルなものを着てるよ。僕はどんなファッションでも好き嫌いしないし、特別なこだわりを持っているわけでもない。だけど、どっちかというとあっさりしたファッションが好きだね。たとえば、けばけばしい服にはあんまり手を出す気がしないよ。

――他にもファッション関係のプロジェクトを計画したことがありますか?

いつか僕の企画したプルオーバー・コレクションを市場に出したいと思っている。けれど僕の興味の中心にあるのは、やっぱり職業として選んだフットボールの方だ。だからキャリアを終えたら、もっと本腰を入れてファッションの仕事に取り組むかもしれないね。

――ユヴェントスとの契約はまだ2022年まで残っていますし、あなたはイタリアが気に入っているとのことです。それでもトルコの血も引くあなたとしては、いつかスュペル・リグでプレーすることを考えていますか?

考えないわけがないだろう? 僕がもうちょっと年を取ったら、トルコでプレーするというのも、間違いなく一つの選択肢として考えられる。いつか、イスタンブールで生活しながらフットボールをやるということも大いにありうるよ。イスタンブールは素晴らしい町だからね。

――あるいは、あなたにとってすべてが始まったフランクフルトへ戻って、アイントラハト・フランクフルトでプレーするという選択肢もありますね。

絶対そんなことがないとは言えないだろうね。フランクフルトは僕の故郷だし、それはいつまでも変わらない。両親も友達もフランクフルトにいるし、何日か時間ができると僕はよく彼らに会いに出かけるんだ。もちろんアイントラハト・フランクフルトのことも今でも注意して見守っている。彼らの今シーズンの成功はリスペクトしているよ。

インタビュー・文=ケリー・ハウ/Kerry Hau

構成=Goal編集部

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「※」は提携サイト『 Sporting News』の記事です

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