フォルトゥナ・デュッセルドルフは“降格一番手”のクラブだろうか? そんなことはない! 昨シーズンのフォルトゥナはブンデスリーガ復帰1年目にして素晴らしい戦いぶりを見せ、4月の半ばに早くも残留を確かなものにした。
『Goal』のインタビューに応えたフォルトゥナのファンネンシュティールSD(スポーツディレクター)が伝統あるクラブの“あまり例のない”活躍や新シーズンの目標、フリートヘルム・フンケル監督とロベルト・シェーファー会長の間のトラブルについて語る。
ファンネンシュティールはさらに、自分を人間的に成長させることになった現役時代の2つの深刻な事件、“放浪のフットボーラー”としての自身の経歴が現在のクラブでの仕事に役立っている理由についても語る。
■普通の昇格クラブとは異なる1年目の戦いぶりに

――ファンネンシュティールさん、あなたがデュッセルドルフの新任SDとして紹介された時クラブは順位表の最下位にありました。就任時の状況としては必ずしも望ましいものではありませんでしたね。
その通りだ(笑)。だがその代わり、続く数カ月間にずば抜けた活躍ぶりを見せてくれたよ。
――10位でシーズンを終えたことには誰もが驚きを覚えました。それも守りのフットボールをやらずに、試合の内容面でも皆を納得させてくれました。ウィンターブレイクの間にいったい何があったのでしょう?
我々のチームは何と言ってもブンデスリーガのスピードとインテンシティに慣れる必要があった。それはまったく当たり前のことだ。我々は昇格チームとしてはあまり例のないシーズンを送ったんだよ。
――それはどういうことですか?
普通、昇格チームは非常に高揚したムードで新シーズンに入っていき、初めのうちこそ多くの勝ち点を手に入れるものの、結局は息切れしてしまうんだ。我々の場合、昇格チームとしてはちょっと変わったバージョンだったね。
――つまり、昇格チーム第2バージョンだった?
まさに(笑)。スタートは理想的なものではなかったが、不断の努力で汚名をそそぎ、全員が一丸となったチームとして納得の戦いぶりを見せた。守備の組み立てが良く、攻守の切り替えが非常にスピーディーかつダイレクトで、素晴らしいカウンター攻撃のできる選手たちを使った堅固な戦いぶりだった。フォルトゥナの試合を見るのは大きな楽しみだったよ。汚いやり方でだまし取るでもなく、守りに徹するでもなく、勝ち点を挙げていったのだから。我々は素晴らしいフットボールでブレーメンやグラートバッハのようなチームに対して勝ちを収めたが、それは当然の結果だった。あれ以上うまくやることはなかなか望めるものではないだろう。
――ちょうどウィンターブレイクが終わってからチームの調子が上がりましたね。あなたは“汚名をそそぐ”という点に触れましたが、あれはクラブ内の騒動に対して選手たちがプレーによって抗議する意味もあったのではありませんか? つまり、チーム内で非常に慕われているフリートヘルム・フンケル監督の契約を巡ってロベルト・シェーファー会長との間に起こった騒動のことです。とにかく短い間にせよ、見事な成果を挙げたフンケル監督がシーズン終了と共にクラブを去ることになるのではないかと思われていた時期がありました。
自分たちの手の届かないようなクラブ内の問題で混乱したりしないのが我々のチームの特徴なんだ。選手も監督も役員たちも、まったく普段通りに仕事を進めていた。少しもうろたえたりはしていなかった。後半戦のスタートとなったアウクスブルク戦での勝利はまったく特別なもので、シーズンの残りにとって重要な意味を持っていたよ。
――実際アウクスブルク戦では力強いパフォーマンスが見られましたが、まさにあの日のフンケルには契約の問題がずっとつきまとっていました。
それでも、僕はあれがチームの抗議の表れだと言うつもりはないね。集中力の発揮されたプロにふさわしいパフォーマンスで、チームはクラブ内の問題にまったく影響されていなかったよ。
(C)Getty Images――ですが、ファンはあの問題を非常に気にしていました。アウェー席(アウクスブルク戦はアウェー戦だった)ではフンケルの名を呼ぶシュプレヒコールが何度も起こりました。特に試合終了後や、最後の最後になって勝負を決めた後など。
フリートヘルム・フンケルは我々のチームから信じられないほどの力を引き出してみせた。僕は彼の前に喜んで頭を下げたいと思う。彼は選手たちの心をつかんでおり、彼が父親のように共感に満ちた権威をもって臨んだことが成功のカギになっている。
――あの騒ぎが起こった時、あなたは仕事を始めてわずか数週間でしたが、すぐに監督に対して批判的な立場を取っていました。
僕はSDに就任したばかりだったからね。あの時の判断は間違いだったよ。だが、その間違いは48時間経たないうちに正されて、最後には10位という素晴らしい順位が達成された。人は間違いから学ぶものだし、あの時の間違いは手本となるようなやり方で処理されたんだ。後腐れは何もなく、我々はピッチの上で答えを出してみせたんだから。
――ですが、舞台裏は明らかに紛糾していましたね。4月にはロベルト・シェーファーが会長の座を去らねばなりませんでした。
結局あれは、新しいスタートを切るために一番上の役員たちが決めたことだよ。
■「大きな変革は必要ない」

――さきほどあなたは、昨シーズン以上にうまくやるのは難しいだろうと言っていました。では、それが無理だとしたら、新シーズンに対してはどんな計画があるんでしょうか?
我々は昨シーズンと同じ理念、同じフィロソフィー、同じ試合姿勢を携えて新シーズンに入っていかなければならない。結局のところ我々にはただ一つの目標しかないのであって、それは15位につけるということだ。ファンは夢を見たければそれでいい。だが、僕は理に適った考え方をしなければならない。夢を見るために雇われたわけじゃないからね。僕が雇われたのは、中期的に見てフォルトゥナ・デュッセルドルフがブンデスリーガで足場を固めることができるように、それに役立つ構造や基盤を作り出すためだ。2年目で重要なのは、リーグの中で生き延びることだけだ。
――次のシーズンからはSCパーダーボルンやウニオン・ベルリンがブンデスリーガに加わってきますが、目下これらのクラブも資金があるとは言えません。そういう中で、デュッセルドルフが生き延びる見込みはどのくらいあると思いますか?
まず、対戦するのがウニオン・ベルリンやパーダーボルン、シュトゥットガルトやハンブルガーSVだろうと、それはたいして重要なことじゃない。15位というのは非常に現実的な目標であって、我々が力を合わせれば必ず達成できるものと信じている。
昨季の順位表
| 10. | フォルトゥナ・デュッセルドルフ | 34 | 49:65 | -16 | 44 |
| 11. | ヘルタ・ベルリン | 34 | 49:57 | -8 | 43 |
| 12. | マインツ | 34 | 46:57 | -11 | 43 |
| 13. | フライブルク | 34 | 46:61 | -15 | 36 |
| 14. | シャルケ | 34 | 37:55 | -18 | 33 |
| 15. | アウクスブルク | 34 | 51:71 | -20 | 32 |
| 16. | シュトゥットガルト | 34 | 32:70 | -38 | 28 |
| 17. | ハノーファー | 34 | 31:71 | -40 | 21 |
| 18. | ニュルンベルク | 34 | 26:68 | -42 | 19 |
――非常に前向きですね。昨シーズンが始まる前の“降格候補一番手”発言とは大違いです。
いずれにせよ、以前に比べれば我々はまともな相手として受けとめられている。僕にわかっているのは、今季の目標を達成するためには、我々一人ひとりがさらに成長しなければならないということだ。
――ということは、最終的には移籍市場でさらに何かの手が打たれるということでしょうか?
一番重要なのは、チームの顔つきを変えないということだ。その場合、適切なポジションの一つ一つにもっと多くの優れた才能を配置しなければならないが、我々の強みであるまとまりを維持するためには適切なタイプを選んで配置することも必要だ。それがうまくいけば、2年目もいい年になるだろう。
――ワトフォードFCからローン移籍していたドディ・ルケバキオが去り、ベニト・ラマンはシャルケへ移っていきました。これでフォルトゥナは、昨シーズン最も多く得点した2人の選手を失うことになります。さらに、カーン・アイハンを巡っても様々な噂がありました。これですでに重要選手3人です。その上、まさに後半戦で力強い働きを見せたケヴィン・シュテーガーが、本当にシーズンの最後の最後になって十字靭帯断裂というケガを負いました。
もちろんケヴィンのことはこれからも頼りにしているし、ケガがあっても契約を延長しようと思っている。カーン・アイハンの場合は、僕は彼が残るという前提のもとに考えている。だから、我々のチームが壊れてしまうことはないだろう。主力メンバーの大部分は今のまま一緒に残るはずだ。個々の点では強化を行うつもりだが、それ以上のことは全然必要じゃない。我々は素晴らしいチームであり、単にブンデスリーガで戦う力を持っているだけじゃなく、とにかく誰もが夢中になるようなフットボールをやれるということをみんなの前に示したんだ。だから、大きな変革を加えることはないだろう。
■自らの“放浪”経験が糧に
Imago――フォルトゥナにはあまり資金がありませんから、そうなると、あなたが豊かなアイデアの持ち主でスカウティングの経験にも富んでいることが根本的に重要になってくることでしょう。その場合、現役時代のあなたが20年に渡って放浪のフットボーラーとして培った経験がどの程度役に立つのでしょうか?
ホッフェンハイム(ファンネンシュティールは現役を引退した2011年からホッフェンハイムでスカウトを務めていた)でもすでに非常に役に立っていたし、今またフォルトゥナでも役立っているよ。
――詳しく言うと、どんなことが役立っているんですか?
世界中で旅を重ねてきたこと、あらゆるフットボール文化を吸収してきたこと、常にポジティブな面もネガティブな面も記憶に留めてそれを自分の糧にしてきたことだ。それは経験の多様さでもあれば、情報量の豊富さでもある。これがデュッセルドルフでの僕の仕事に非常に役立っているんだ。
――情報の豊富さという中には、きっと、放浪の年月の間にあなたが築いてきた個人的な人間関係も含まれていることでしょう。
まさしくそういうことだ。スカウティングや選手の勧誘を行うためには、目が利くというだけでは十分じゃない。一番大事なのはネットワークと話をつけるタイミングだ。適切なタイミングで適切な人物と話し合うことなんだ。誰よりも多くの連絡先を書きつけた、誰よりも分厚いテレホンリストが欠かせない。ブンデスリーガには非常に素晴らしいネットワークを築いている人物が大勢いるよ。フレディ・ボビッチやアレクサンダー・ローゼンやミヒャエル・レシュケのようにね。
――まさにボビッチとルカ・ヨヴィッチのケースを考えれば、それがよくわかりますね。2年前にはヨヴィッチはまだベンフィカのリザーブチームでプレーしていましたが、今年の夏6000万ユーロ(約73億2000万円)でフランクフルトからレアル・マドリーへ移籍しました。
個人的なつながりというのはそういうものだ。持っているのはわずかな人たちだけで、それがあれば誰も思いもよらないようなことが起こるんだよ。
――ボビッチやレシュケと違って(2人はほとんどドイツを離れたことがない)あなたはプロとして世界中の25のクラブに在籍した経験があり、今までのところ、6大陸すべてのクラブと契約を結んだことのあるただ一人のフットボーラーです。どうしてそういうことになったんですか?
そもそも僕の場合計画していたわけじゃなく、状況のせいでそうなっただけだよ(笑)。僕は我慢強い人間じゃない。GKとしていつも試合に出られる選手は一人だけだし、僕にとってベンチという選択肢はなかった。そんなことはとても我慢できなかっただろう。プレーをしていたいという気持ちははっきりしていた。そのためにお金や贅沢は諦めて、週末が来るたびにピッチに立っている方がよかったんだ。僕にとってはそれが最高に素晴らしいことだった。だが、それがあんな規模にまで膨れ上がったのは、他にもいろいろな事情があったからだ。
――いろいろな事情とは?
監督の解任からクラブの破産に至るまで、ありとあらゆることだ。それに僕は、シーズンが実質的に6カ月しかないリーグでも何度もプレーしていたんだよ。たとえば、ニュージーランドやオーストラリアやアメリカでね。だが、選手としての僕にはそれではしっくり来なかった。6カ月間練習だけやってぼんやり過ごし、あとは親善試合をいくつかこなす、そんなタイプじゃなかった。それよりも、活発にリーグ戦が行われている中に参加している方が好きだった。だから、よくローン移籍でよそへ行かせてもらったんだ。4年間に連続して48カ月間、休暇なしで試合に出続けていたこともあったよ。
――そんなことをやっていると、そのうち消耗してしまいませんか?
確かにGKはフィールドプレーヤーよりもリカバリーがうまくいきやすい。だが、当然のことながら時には疲れ切ってしまうこともあったよ。ある年なんかまず初めにニュージーランドでプレーして、それからアメリカでプレーしたんだが、両方のチームでプレーオフ戦にも出たんだ。その年は全部でだいたい70試合に出場したよ。
――そして、後には世界記録を打ち立てました。
事実あれは唯一無二のことだったし、実のところある程度計画的にやったことだった。南米でプレーするのは僕の夢の一つだったんだ。だがその時はまだ、自分がすでに5つの大陸でプロとして過ごしていて、ブラジルへ移籍すれば世界記録が達成されることは全然意識してなかったんだ。当時の僕はすでにバンクーバーに腰を落ち着けていて、MLS(メジャーリーグ・サッカー)で長期契約を結んでいた。それに、僕の子供もすでにバンクーバーで学校に通っていた。だから、あの移籍はいっそう重大な決断だったよ。
――そんな重大な決断に対して、家族はどう反応するんですか?
僕の家族は僕のそういうところに慣れっこになっていた。僕がどこへも移らずにじっとしていると、何も問題はないのか不思議に思っていたくらいだ(笑)。家族はいつも僕を支えてくれたよ。とても美しい言葉で表現されているように(キリスト教の結婚式での誓いの言葉)、“良き時も悪しき時も”ね。僕にもまさしくそういういろいろな時期があったんだ。何度か非常に恐ろしい経験をしたんだが、そんな時には常に家族の支えがあることが重要な意味を持っていた。もう今さら僕の家族を驚かせることなんて何もないね。
■「ネガティブな事態からポジティブなものを引き出す」
Getty――あなたの人生の暗鬱な2つのエピソードを思えば、まさにその通りでしょう。その一つはシンガポールのゲイラン・ユナイテッドFC時代に、もう一つはイングランドのブラッドフォード・パーク・アベニューAFCにいた頃に起こったものですね。
シンガポールではあの奇妙な裁判事件があった。僕はあまりにもうまくボールを止めたというので非難されたんだ。まったくとんでもない話だった。
――八百長行為があったとされて2000年に有罪判決を受け、投獄されなければならなかったんでしたね。
確かに後で無罪になったけれど、そのせいで自分の人生の丸々1年間をつぶされてしまったよ。もしかしたらもっと長くかもしれない。
――そんな目に遭った時にはどうするんですか?
どうしようもなくネガティブな事態から何かポジティブなものを引き出そうと努力していたね。
――どんなポジティブなことが考えられるんですか?
もう何があってもこれ以上のショックを受けることはない、極限状況であっても常に何とかして乗り越えられるものだ、と考えるんだよ。フォルトゥナで仕事をしていてもいろいろなことがあって、中には不快なこともあるけれど、あの経験に比べれば子供の遊びのようなものだと学ぶことができる。 “自由”という言葉の重要さをたいていの人はまったくわかっていないんだ。
――きっとあなたはその反対ですね。そしてまた“命”という言葉についても間違いなくそうでしょう。2002年のボクシング・デー(クリスマスの翌日)にブラッドフォードであんな経験をしたのですから。
これ以上悪いことなんかもう起こるはずがないと思っていると、すぐにピッチの上で死にそうな目に遭わされるんだからね。
――あなたはあの時、3度蘇生処置を受けなければなりませんでした。
何にしろ、あれは思いもよらない事故だった。相手FWが僕の上を飛び越えようとして、その膝が僕のみぞおちのあたりに当たってしまったんだ。とんでもない事故で、とにかく運が悪かったんだよ。悪い時に悪い場所にいたってことだ。
――イングランドで死にそうになった経験よりも、シンガポールでの出来事の方があなたの性格に大きな影響を与えましたか?
間違いなくね。あの出来事のせいで僕は前よりも立派な人間になったし、人生に対する考え方が変わったと思うんだ。
――以前はどんな考え方でしたか?
素晴らしい靴に素晴らしい車、ってやつだ。そういう考え方はあの出来事の後わりとすぐに、はっきり変わってしまった。僕にとって一番大切なものは家族だ。それに、グローバル・ユナイテッドFCという慈善事業も立ち上げたよ。たくさんの子供たちが教育の機会や食べ物を手に入れられるようにするプロジェクトだ。環境保護も力を入れているテーマの一つになっている。この事業のこと、そこで我々の果たせることをちょっぴり誇りに思っているよ。
インタビュー・文=ヨナス・リュッテン/Jonas Rütten
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「※」は提携サイト『 Sporting News』の提供記事です



